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<日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版

 <日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版

第15次灯台旅 四国編 

2022年11月12.13.14.15.16.17.18.19.20日

#9 四日目(2) 2022-11-15(火)

佐田岬灯台撮影3 

出会い

佐田岬灯台の駐車場に着いたのは、11時ころだったようだ。 駐車場には車が10台くらい止まっていた。秋の行楽シーズンだからな、と思った覚えがある。トイレに行きかけた時、初老の男性に話しかけられた。気やすい感じで、灯台への道のりや時間を聞いてきた。かなりきつい坂もあり、三、四十分かかると思う。自分のほうは、昨日行っているので、自信をもって答える
ことができた。

彼は、スニーカーのようなものを履いていて、これでも大丈夫かと、さらに聞いてきた。自分の履いている軽登山靴を示して、こういう方がいいと答えた。ただそのあとで、遊歩道がずうっとアスファルトなのを思い出して、それでも大丈夫だろうと付け足した。

彼は、行くのを多少ためらっていたようだが、最後に、せっかくここまで来たんだから行ってみようかな、とこちらに聞こえるように言った。オヤジの一人旅、といった感じで、飾り気がなく、ざっくばらんなところがいい。

ところで、佐田岬灯台には、おおよそ、三つのビューポイントがある。<椿山展望台><御籠島展望台>それに、もう一つ<水尻展望台>。…いま調べて名前がわかった…最初の二つは昨日行った。三つ目の<水尻展望台>は、駐車場の脇から、山道を登ったところにあるらしい。ということは、灯台までは、かなりの距離がある。自分の持っている400㎜の望遠でも、とどかないかもしれない。とはいえ、行ってみるしかないだろう。

カメラバックに三脚と重い望遠カメラを入れた。念のためにと、ペットボトルの水も一本入れた。山道を登り始めた。かなり急な一直線の上り坂だ。少し歩いて、息が切れた。この先どのくらいあるのか?と思っていると、上から、中年の夫婦連れが下りてきた。

目の前に来た時に、挨拶をして、展望台まであとどのくらいありますか?と聞いた。眼鏡をかけた、やや小太りの旦那は、関西弁で、愛想よく応じてくれた。生活に余裕のある雰囲気だ。うしろの奥さんも、感じがいい人だった。二言、三言、言葉を交わして、互いに気分良く、山道の上と下に別れた。

あと少し、という情報を、メガネの旦那から得たので、気が楽になった。実際、少し行って、山道が下りになりだした途端、右側に、六畳間ほどの柵に囲われた展望デッキが見えた。崖際に設置されている。はは~ん、ここだな。急な斜面の樹木を伐採して視界を開き、彼方の灯台が見えるようにしている。いい景色だが、灯台はかなり小さい。望遠カメラで正解だった。

さっそく、崖の柵際で撮り出した。いちおう三脚は立てたようだが、よく覚えていない。カメラを三脚から外して、柵に肘を固定して撮ったような気もする。だが、天気がイマイチだった。薄い雲がかかっている感じで、日差しが弱い。しかも、やや斜め逆光だから、視界がぼうっと霞んでいる。

灯台は、といえば、こぶ状の山の先端に見える。しかし、いかんせん小さい。こうした場合、これまでの経験からして、灯台を目いっぱいアップしても、いい写真にはならない。奥行き感というか、存在感というか、要するにリアリティーがなく、画面がデザイン的になるような気がする。

それに、最近は<灯台写真>よりは、<灯台のある風景>に、重点が移りつつある。灯台の造形美にだけ拘泥することもない。となれば、いま、眼前に広がる光景は、まさに絶景であり、海があり、空があり、山があり、岬があり、その先端に灯台がある。<灯台のある風景>そのものだ。

画面上での事物の大きさは、主題と比例しない。<≒>。むしろ、無限大の世界の中で、極小の一点を主役にできるのなら、写真の主題がより明確になるかもしれない。なぜ、灯台などを撮るのかという疑問に、多少なりとも答えることができそうだ。

とはいえ、天気が良くない。日差しが少ない。画面構成はできても、全体の色合いを調整することはできない。かっと陽が差してくるのを、待つしかないのだ。ひと通り撮り終えて一息入れた。この展望台の位置取りからして、午前中の明かりのほうが、きれいに撮れるかもしれない。明日の朝、高松に向かう前に、また撮りに来よう。山道も、たいしたことないしな。柵に肘をかけて、いま一度<灯台のある風景>に見入っていた。

そこへ、おしゃれな感じの初老の男性が来た。目礼をした後、多少時間つぶしの感じで、気軽に話しかけた。車で日本一周しているらしい。<足摺岬>にも行ってきたというので、どんな場所だったのか、少し詳しく聞いてみた。雨が降っていて、そのうえ、自殺者が出たとかで、規制線が張られていた、そばまで行けなかったとのこと。ええっと思った。

土佐清水の<足摺岬灯台>は、今回の旅で、寄ってみようかどうしようか、少し迷った灯台だ。<佐田岬灯台>からは、150キロくらいだから、グーグルマップで、付近の探索もした。駐車場からかなりの距離を歩くこと、ビューポイントは遠目で、一つしかなく、灯台の形にも、それほど魅かれなかったので、今回はパスした。いずれ、四国の南側を旅することもあるかもしれない。その時に<室戸岬灯台>抱き合わせて行くという手もある。またの機会ということにした。

初老の男性は、そのほかにも、本州と四国との間の、三つの橋(瀬戸大橋、明石海峡大橋、しまなみ海道)を往復して走ったとか、宿泊場所は<ブッキングアプリ>で最初に予約しているとか、けっこう長い間話した。節々に裕福感が出ていて、一流企業を退職した部長さんで、お金持ちという感じがした。影とか暗さとかはなく、なぜ一人で日本一周しているのか、ぱっと見、よくわからなかった。

それじゃあ~と、挨拶して、帰るのかと思ったら、反対方向の行き止まりの方へ歩きだしたので、そっちは行き止まりですよ、と声をかけた。何か勘違いしているようなので、彼方の灯台を示して、行き方を教えた。道のりが大変そうなのがわかったとみえ、行くのが億劫そうだった。

この後、少しして、自分が駐車場に戻った時に、彼の車が出ていくところだった。大きなSUVでまだ新しい。手を挙げて会釈すると、彼も車の中から、こちらを見て手を挙げた。時間的にみて、灯台には行ってない。観光などはどうでもよくて、車で日本一周することが目的なのだろう。それと、思った通り、金持ちだった。あの歳で、500万以上する車に乗っている。しかも新車だ。あらためて、住んでいる世界が違うなと思った。

<12時 灯台へ向かう>。<椿山展望台>に登るところに、崖をくりぬいてコンクリできれいに固めた、扉のない物置のような構造物ある。昨日も前を通り過ぎたのだが、流したので、今日は案内板に目をやった。

いまちゃんと調べると、太平洋戦争末期の<移動式探照灯格納庫>のようだ。あの時も、格納庫という言葉だけは頭に入った。戦争遺構なので、興味があり、写真を撮っていると、午前中、駐車場で立ち話をした、ざっくばらんな初老の男性が、どこからともなく現れた。灯台を見てきた帰りだという。

はじめは、日陰の山道での立ち話だった。そのうち、あれやこれやと、話に花が咲いて、そばにあったベンチに座り込んで、かいた汗が冷たくなって寒くなるまで、小一時間ほどしゃべった。雄弁で、車中泊で半年以上、日本全国を回っているのだという。そのほか、旅行会社をやっているとか、身の上話的な話題が、次から次へと出てきた。話の内容にも整合性があり、でたらめではないと思った。

互いに、旅好きの車中泊愛好家であり、それに、年寄りの一人暮らし、という境遇の近しさもあり、初対面ながら、話が合って楽しかった。別れ際に、メールと電話番号が載っているカードを、名刺がわりに渡した。彼も<ユーチューブ>のハンドル名を教えてくれた。ほかにも<フェイスブック>など、いろいろやっているようなので、友達になろうということで、その時は別れた。

数日たって、四国を離れる日に、電話が来た。<ハンズフリー>で運転しながら、互いの現況などについてしゃべった。ついでに、四国最東端の<かもだ岬灯台>について話を聞いた。付近の道の駅のことも尋ねたら、丁寧に調べて再度連絡してくれた。説明の仕方が、なるほど、旅行会社をやっているだけのことはあるなと感心した。

この電話をきっかけに、<ライン>でも友達になり。帰宅後も、時々メールの交換をしている。これまで、旅で出会った人と、その後に友達になったことは一度もない。今年の夏には北海道に行くようなので、また会えるかもしれない。

自分も、去年の夏の酷暑には懲りたので、一ヶ月くらい、北海道での車中泊・灯台巡りの旅を計画していたところだ。ま~、果たして、そんなに長期の車中泊旅ができるかは、心もとないが、挑戦してみようと思っている。今回、車中泊旅の<プロ>と友達になったことだし、何かあれば相談できるというのは、心強い限りだ。

<日影の長話で体が冷えた 1時30分 別れて 灯台へ向かう 昨日も強風 今日も強風 風がけっこう冷たい <椿山展望台>はパスして<御籠島展望台>にしぼる 望遠カメラ 三脚をおいてきたから リックが軽い 足取りもいい 体調もほぼ万全だからな 2時30分前~3時までねばる 雲が多いが 昨日よりもいい>。

この日の佐田岬灯台の撮影は、昨日とほぼ同じポイントで、ほぼ同じアングルで撮った。とはいえ、空の様子が若干ちがっていた。青空の部分に雲が多少出ている。今日のほうが、写真的には、見栄えがいいと思うが、ま~、大差ない。総体的には、初日の感動が薄れて、覚めた撮影だった。そのせいか、展望台での時間が長く感じられた。<3時40分 駐車場に戻る>。

四時過ぎには民宿の駐車場に着いた。まだ明るかったので、すぐ近くの漁港(佐田岬漁港)にある、白い防波堤灯台を見に行った。ついでに、民宿の隣にある、立派な神社にも立ち寄った。由緒書きの案内板があったが、頭に入らなかった。ただ、狛犬の表情がいいので、写真に撮った。白い防波堤灯台のほうは、ぱっと見、ロケーションがあまりよくない。しかも、陽が傾きすぎていて、やや暗くなっている。近くまで行くこともあるまい。遠目から、記念写真的に何枚か撮った。

民宿に入った。受付カウンターには、宿のおかみさんらしき、小柄な初老の女性がいた。知的であか抜けた感じだ。そうそう、今朝、出発するとき、駐車場で、民宿の大将に会った。宿のHPに写真が載っていたので、一目でわかった。向こうから挨拶してきたので、少し立ち話をした。老人ではあるが、がっしりした体格の漁師で、風格がある。このおかみさんとあの大将が夫婦なのかと、やや意外な感じがした。

部屋のキーを受けとり、狭いエレベーターに乗った。四階で降りて、部屋に入った。風呂にはもう入れるというので、すぐに浴衣に着替えて、風呂場のある五階へ行った。脱衣所に入ると、湯船の中に誰かいるようだ。裸になり、前も隠さないで入っていくと、湯船の中に中高年の男性がいる。軽く挨拶をして、自分も湯船の中に入った。

駐車場には、ほかの客の車は一台もなかった。気やすく話しかけてくるので、従業員のおっさんかなと思ったが、そうでもなさそうだ。なんでも、いまはミカンの収穫の手伝いに来ている。ちょっと前は北海道でコンブ漁の手伝いをしていた。今日は、ミカン畑の消毒で仕事が休みだから、原チャリで八幡浜から来たのだという。おしゃべりの大意はそんなところだった。

さほど広くない洗い場でも、一つ空けて互いに座って、頭や体を洗いながらも、あれやこれや話しかけてくる。どこから、と聞かれたので埼玉だというと、自分は、出身は神奈川だという。灯台の写真を撮りに来たのだというと、いいカメラを持ってんでしょうね、と応じてくる。嫌味がなくて、実に如才ない。

一足先に洗い終わって、また湯船に入った。彼の後ろ姿が見えた。まだ洗っている。76歳とか言っていたが、腰まわりが太くて、体全体に筋肉がついている。肌のツヤもよく、大柄ではないが、いわゆる<ガタイがいい>。自分より六つも年上の老人とは、とても思えなかった。

彼とは、縁があったのか、翌日も何回か出っくわした。一度目は、午前中に、灯台の駐車場でばったり。マスクをしていたので、はじめは互いによくわからなかったが、至近距離で確認しあって、お~昨日の、ということで、少し立ち話をした。そのあと、<椿山展望台>で写真を撮っていると、彼が上がってきた。そこでも少し立ち話をした。彼は、カメラを見て、あ~やっぱりいいカメラを持ってるんだ、とやや羨ましそうだった。

旅の出会いは、ふつうなら、ここで終わりだろう。だが彼とは、このあと、灯台を後にして、八幡浜へと向かう道路でも会った。会ったというか見かけた。狭いトンネル内を、よろよろ走っている原チャリがいる。なんでこんなところに原チャリがと思った。対向車が来るので、避けようにも避けられず、スピードを落として追尾し、トンネルを出てから、脇を通り過ぎた。その時、あっと思った。季節労働者のおっさんだ!白いジャンパーが、風をはらんで膨らんでいる。

トンネルを過ぎると、道は広くなるが、かなりの登りだ。バックミラーで見ると、原チャリのスピードが落ちて、みるみる小さくなっていく。このまま走り去ってしまうわけにはいかない、という気がした。坂の途中、路肩の少し広いところがあったので、ハザードをつけて停車した。さっき駐車場で会った時、おっさんが俺の車のナンバーを確認していた。止まっている白い車が俺の車だということがわかるはずだ。

少しして、原チャリが横を通り過ぎた。すかさず、走り出して、原チャリを追い越した。そして、ハザードをつけ、少しスピードを落としながら、窓から手を出して、後へ向けて大きく振った。バックミラーには、了解了解、と大きく手を振っている、原チャリにまたがったおっさんが見えた。なんというか、少し感動していた。人生は様々、しかも不公平だ、としか言いようがない。

さてと、時間を戻そう。風呂から帰ってきて、部屋で、布団の上にねっころがって、テレビなどを見ながら、夕食までくつろいだ。七時になり、一階に下りた。案内された部屋に入ると、昨日と同様、テーブルには目いっぱいの料理が並んでいた。

昨日の教訓を生かして、今日は、自分の好みものだけ食べて、そうでもないものは、残すことにした。ただ、巨大なザリガ二?の塩焼きは、大味で、うまくなかったが、残らずたいらげた。こやつだけは、食べ残すのが、なんとなく、はばかられたのだ。

それでも、十二分に食った、食った。そうそう、食べている最中に、昨晩同様、体格のいい若い従業員が、クーポン券を持ってきた。今日は、愛媛県分の¥3000だけだった。伊方町のほうは、何泊しても、一回きりの¥3000だけだという。 今晩も、合わせて¥6000分のクーポンを頂ける?ものとばかり思っていたので、心の中でずっこけた。ま、いいだろう、昨日と今日、合わせて¥9000分のクーポンをゲットしたのだから。

あと、最後のほうに、おかみさんが、顔を出した。お料理はいかがでしたか、というので、食べきれないほどで、おいしかったと答えた。事実とは少し違うが、こういうときに、ちょっと口に合わないものがあった、などと言うことができようか、できるはずがない。これは<反語>的表現というべきものだろう。

<今 現在 20:00 21:00前にはねるつもり 明日の予定 6:00起床 7:30出発 小尻展望台撮影 椿山展望台撮影 12:00には引き上げ クーポン券を三崎でガソリン¥3000 八幡浜のドラックストアで¥3000消化>。

写真撮影と、あぶく銭に等しいクーポン券との使い方に、同程度に頭を使っている。形而上と形而下との振れ幅が大きい、と前にも書いた。その一例だが、一事が万事といってもいいかもしれない。誤解され、甘く見られるのは、こうした性格に由来するのだろう。他人を恨むことなかれ。いや、<実存>の実相とは、まさにこうしたことで、それを隠蔽して生きてはいけないだろう。本当のことを言ってはいかん!寝よう、寝よう。

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