こんな町にすんでいる
2024.11.11(月)
朝、また歩いたことのない道を見つける。南伊豆の横田家の玄米に、納豆、ちりめん、海苔。切干大根とわかめの味噌汁。午前は仕事。
午後、晴れてくる。うずうずして、玄関をでると、カマキリが飛び込んできた。吾妻山に登る。湘南も、静岡も、富士山も、北の山々も、なんでもみえる。芝生はきれいにそろえられている。太陽は白く、ふくらんでふるえている。風がないので、おだやかな気持ち。レベッカ・ブラウン『体の贈り物』読む。
四時を過ぎると、肌寒くなり、山を降りる。しばらくぶらぶら歩くと、お寺がふたつ。パン屋から、小麦のいい匂い。お気にいりの食堂で夕飯。今日はイワシの生姜煮、煮物、野菜炒め、豚汁。あした定休日なので、と余った大根葉とあぶらげのふりかけも、お椀いっぱいもらう。いっしょになったのは、白髪染めのしてある髪の毛がぼさぼさの、矢の飛ぶみたいにまっすぐの声をした、おばさん。店主さんに、あたし群馬からよくここの友達のところにくるんだよ、と言った。
今日もこれから群馬に帰るんだ。ねえ、これ。ちくわぶ。あたし、ちくわぶ大好きだよ。
あら、そう?私ね、東京の足立区出身なの。あっちはおでんじゃ、ちくわじゃなくて、ちくわぶなの。私大好物。ご出身はどちら?
あたし群馬。おでんはちくわぶ。
やっぱりね、東京の東部から北はちくわぶだよね。関西の人なんかに、ちくわもどきって笑われても、やっぱりちくわぶなのよね。
そうそう。
2024.11.12(火)
私に吃音があるのは、口先だけで思ってもいないことをぺらぺらしゃべってしまわない、ためかもしれない。そう思いたいんだろう。
2024.11.13(水)
なんでもない日の昼に、伊東線が、あんなに混んでいることはなかった。佐野洋子『私の息子はサルだった』あっというまに読む。
鍼治療。好かれるより、信頼されなきゃなんないですよ。失敗ばかりの人のほうが、ずっと前へ進んでく。先生の話。来年、年男だって。72歳。私もへび。36歳。
へび年は運がいいらしいんです。お金が貯まるって。と私がいうと、へびは一匹狼ですよ。ひとりで生きていけるんですから強いです、と先生が言った。
帰り、国道沿いを四十分歩く。ひなびた匂いの、おばあちゃんがやっている古い八百屋。明るいのに暗くて、暗いのに明るい。おばあちゃんが、たやさなかったものでできている、八百屋。和歌山のみかん315円。はやとうり一つ、87円。2円まけてもらい、400円。はやとうり、美味しいよね、この時期ね。これ、東北のだからおいしい。
Y、帯状疱疹。太もものうらに、三角形に。じくじくしている。6種類の薬をもらってくる。切り落としかけたくすり指は、きれいにひっついた。
2024.11.14(木)
民家の軒先で、朝どれのからし菜、ひと束100円。土からぬかれても、まだ空をめざすように、噴水みたいにぴんぴんはねて、水をたたえている。トートバッグに入れて歩いたら、みるみる濡れて、みどり色に染まった。
近所がすきだ。そこいらじゅうの軒先で、ちいさく野菜を売っている。古い道が、あちこち残る。丘、川、里、原は、すこしも変わっていないみたいにそのままにある。ちいさな神様が、そこかしこにいる。すれちがう人よりおおい。道祖神というらしい。ピンク色やえんじ色の、あったかいおべべ着たり、ひざ掛けあてられたりして。赤い、ちいさな鳥居はそのへんの庭の片隅に、ちょっと傾いたり、すれてたり、けれどまっすぐにある。貝塚や古墳も、名所になんかならないのが、ひっそりある。ここにずっと、人がいたんだということ。
2024.11.15(金)
ページをめくることが救いであるような本を書く。めくれば、めくるだけ、前へすすめる本。時間をかけよう。さみしくても、心臓が透けそうでも、このままいよう。
2024.11.16(土)
朝、神社まで散歩。お賽銭箱のうしろ、とびらがひらけていたので、中へ入る。祭壇の、木の天井にふとい筆で描かれた、八方睨みの龍。1789年の作とある。私のうまれる200年前か。
しばらく、椅子にこしかかけてぼうっとする。スピーカーから、神楽がスーとながれる。壁いちめんに、だれがいつ、なにを寄付したと、書きつけてある。五百万を寄付した人なんかもいる。
太鼓をつくった人、祭壇の木工うつわをつくった人、ちいさな橋をつくった人。垂れ幕の、つなぎ目に黒と赤の線が入って、その上に蝶と鳥をいっぱい描いた人。太鼓の面の、絵を描いた人。ここにあるのは、心だと思う。心は目にみえない。心は人のからだのなかに、あるらしい。それがからだの外にでて、せかいで、さまざまに形をもったもの。それがある。だからうれしい。心に触れると人はうれしい。
Yと小田原へでる。公園で、少年野球の大会。その隅で、有機野菜のマーケットをやっている。りっぱな葉つき大根、マンゴーみたいなはやとうり、私の背丈ほどあるレモングラスの束など、買う。麻のコースターはポット用に買う。紅葉がはじまっていた。
小田原城の二の丸ひろばでも、食のマーケット。おだやかににぎわっているのが、鎌倉とちがっていい。むりがない。炙りじねんじょ棒、韓国おでんなどたべる。ラスカで、すぼん、無印のインナーなど買う。
夜、がってん寿司。小田原の焼霜かますがしゃりっとおいしくて、おかわり。
2024.11.17(日)
昼、食堂でわかさぎの天ぷら定食。小麦とたまごをだめだと話したら、米粉と青のりに変えて、作ってくださった。それが、さくさくして、歯にたのしげにあたって、おまけにおいしいのでうれしくなった。今日がいい日だとうれしくなった。大根葉のふりかけも、またこんもり出してくれた。こんどのは、揚げなしでにんにくの効いた味。
フラワーショップで、カモミールと、レモンバームの苗買う。ちいさな喫茶店で、バザーをしているのをのぞく。Yにチョコチップベーグルをおみやげ。軒先で、娘のブラウスで作ったという、くすんだピンクのトートバッグの、縫い目のゆるいかわいいのがあり、買う。百円にしてくれた。白いつなぎを着た、つくり手の女性は、ああ恥ずかしいわ、あんなので作ったものだからほんといやだ、と言って、ものすごく照れた。佐野洋子さんの文庫本は、古本でふたつ買う。武田百合子、吉本ばなななど、私も読んでいますと言うと、ああら、本の趣味がおなじってうれしいわよねえ、とお母さん。
図書館で作業。日がおちていくのが、きれいにブラインドの隙間から入る、席がある。駐車場でバザー?イベントやっていた。この町はむりがなくていい。暗くなりきらないうちに、家に帰る。
すこし前、インスタグラムをフォローしてくださった方が紹介していた、上野千鶴子さんの言葉。
「あなたの倍近く、長く生きてきたわたしは、上から目線と言われても、あえて言いましょう、ご自分の傷に向きあいなさい。痛いものは痛い、とおっしゃい。ひとの尊厳はそこから始まります。自分に正直であること、自分をごまかさないこと。その自分の経験や感覚を信じ尊重できない人間が、他人の経験や感覚を信じ尊重できるわけがないのです」