【選は創作なり】飯田龍太句集『麓の人』『忘音』『春の道』
四十代最後の一年となりました。この十年を振り返ってみると、人並みにいろいろとありました。人によっては、自身の人生を句材にするようなことはしない、という方もいるでしょう。しかし、そういう人であっても、時間と無縁に生きられる人はいない以上、その人の時間がなんらかのかたちで俳句に刻まれているように思うのです。
飯田龍太は大正九年(一九二〇年)生まれ。四十二歳のとき父蛇笏、四十五歳のとき母菊乃が相次いで亡くなります。龍太は二十代のとき、戦争と病気で三人の兄を亡くしています。三十代は自身の子が五人生まれていますから、年代ごと死から生、生から死へという人生を送っています。今回は、そんな飯田龍太の四十代に詠んだ句集『麓の人』『忘音』『春の道』から選句をしました。
『麓の人』
雪山のどこも動かず花にほふ
山碧く冷えてころりと死ぬ故郷
神々の柱歪みて雪解川
月光に泛べる骨のやさしさよ
前書き「父死す」
亡き父の秋夜濡れたる机拭く
冬雨のはげしさ何を齎すや
蛇笏忌のはこぶに重き文机
『忘音』
生前も死後もつめたき箒の柄
遺書父になし母になし冬日向
亡き母の草履いちにち秋の風
父母の亡き裏口開いて枯木山
しぐる夜は乳房ふたつに涅槃の手
大根を抱きし碧空を見てゆけり
冬ふかし夜の障子に蘭の香を
子を負ふて彼岸の燕仰ぎゐる
どの子にも涼しく風の吹く日かな
木を伐つて狂はず帰る山の道
死者に会ふためのつめたき手を洗ふ
『春の道』
一月の川一月の谷の中
雪の一茶いまくらやみの果てにあり
しんかんと栄螺の籠の十ばかり
吊鐘のなかの月日も柿の秋
冬に入る水にけものの香をおもひ
山しづかなり唇の冷えもまた
壮年の句だけですが、「や」で切れる句がまったくありませんでした。「かな」「けり」も伝統派と言われる俳人としては少ない方かもしれません。それだけに〈どの子にも涼しく風の吹く日かな〉という句は突出してみえます。