諏方or諏訪? 佐渡の玄関口近くにあるお宮には明治の書跡がずらりと並ぶ 〜諏方神社①
さて、今回は佐渡の玄関口、両津港の近くにある諏方神社に参拝してきました。
境内にある由緒書によると
とあります。
社号標は明治神宮宮司の書。
拝殿には幾つか社号が書かれた額が掛けられていました。
その一つが明治を代表する巌谷一六(本名:修)の書。
落款に「正四位」とありますので、楊守敬の来日によっていわゆる六朝楷書を取り入れたあとの書になります。
焼けたためか、墨の色が薄くなっているのが残念ですが、六朝楷書らしい力強さを表現した書風が全面に出ています。
写真では伝わりにくいですが、肉筆の放つ「気」は時代の隔たりを感じさせません。
他に2人が額を奉納しています。久我素堂の割れた線の表現が颯爽としていて面白いです。
さて、この3人の生没年を比較すると
久我素堂 1815〜1903
巌谷一六 1834〜1905
東郷平八郎 1848〜1934
となります。
ほぼ同時代の人でありますが、それぞれ諏訪と書いたり諏方と書いたりまちまちです。
現在の呼称は「諏方神社」となっていますが、『佐渡神社誌』(大正15年刊)では「諏訪神社」と記載されています。
全国的に「諏方」神社と書く神社はいくつか存在しているようですが、中世の行政区分上の表記だとか、諏訪大社に敬意を払ったためだとか、決まっていないようです。
こちらの神社は2つの書き方が併用して使われ、現在の呼称に落ち着いたのでしょうか。
また、この神社には日下部鳴鶴書の「溟北先生之碑」と「朔汀若林翁碑」もありますが、あまりに長くなるので、別にまとめています。
アクセス
〒952-0007 新潟県佐渡市浜田
参考文献
新潟県神職会佐渡支部 編『佐渡神社誌』,新潟県神職会佐渡支部,大正15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971197 (参照 2023-12-10)