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某映画のイメージになった庭園と和洋折衷建築 〜猿賀公園④ 盛美園

猿賀公園巡りも4記事目になりました。これでいよいよ最後です。


社号標

鳥居を撮り忘れたので、google map より

鳥居も大きいですが、社号標も大きい。
石碑の字は概ね小さくなりがちですが、対して社号標は1字の大きさが大きく、見栄えがします。

この標は昭和5年の作、書は高山松堂。青森県内にかなりの数の書跡を残した人物で、このブログでも何度か取り上げています。
石工がわからないのが残念ですが、彫り方も含め、とても迫力があります。

盛美園

さて、その鳥居を背に左に歩いて10分くらいで見えてくるのが「もてなしロマン館」いわゆる道の駅みたいなところです。ここに、盛美園があります。

看板の字も魅力的です。

猿賀のあたりから岩木山を望むというコンセプトの庭。

入口付近より
反対側から盛美館を望む

こうして見ると2階が洋館で1階が和風建築であるとわかりますね。完成は明治44年。明治維新後多くの和洋折衷建築が建てられていますが、それの一つ。

日本庭園に洋館が美しく馴染んでいます。こうしてみると、日本ではないところにいる感じもしてくるのが不思議です。こういうセンスはいつみても楽しいですね。

樹齢400年超のけやき

園の雰囲気を少し載せてみましたが、上から2枚目の写真なんかどことなく某映画を彷彿とさせる佇まいではありませんか?



アリエッティ

「借りぐらしのアリエッティ」のイメージになったそうです。
行くまで知らなかったんですけどね。笑
実際にこんな妖精のような存在がいたら楽しい気分になるなぁ、と当時映画を観た記憶があります。

さて、実は盛美館の横に御宝殿と名付けられた館があります。そこは写真禁止でしたが、公式サイトに様子が載っているので、貼り付けます。

いや、これが実にすごい。中尊寺の金堂も立派ですが、圧倒されたは個人的にはこちら。
700年前のご本尊に河面冬山が生涯をかけてつくった蒔絵の調和が素晴らしい。時代を超越する感覚がここにはありました。

入場口も趣のある茅葺き屋根です。

手前には清藤氏書院庭園がありますが、こちらの見学は事前申請が必要です。「大石武学流”の源流/最初期の作」と言われている庭園らしいので、お時間あるかたはぜひ。

趣ある篆書で書かれた看板。左から清藤氏書院庭園。

駐車場にある碑

そして、ここの駐車場にはひっそりと2基佇んでいます。

明治天皇御駐蹕記念と書かれた碑。駐蹕とは天皇が一時的に立ち寄ったことを示します。

所在地がいまひとつわかりませんでしたが、旧猿賀村役場に立ち寄られたそう。その際に猿賀神社の御神水でお茶を飲んだ様子と、馬で畑を耕す青年たちをみたとありました。

木に隠れていますが、実直に書かれた様子が伺えます。

それともう一基。

尾上町 猿賀村 合併記念碑
昭和三十年一月百米寿翁松堂書

碑文より

高山松堂(1869~1959)86歳辺りの書。晩年の成熟しきった頃のでしょう。

書体が異なりますが、同筆者のものが近くにあるのはなかなか楽しいもので、年齢による字の変化も楽しめます。その差25年、四半世紀の流れがあると思うと不思議な気持ちにもなります。

だいぶマニアックな話ですけどね。笑

この合併により、尾上町と名称が統一されたようです。それも平成18年に平川市に合併し、地名に旧名がのこるのみとなっています。

長くなりましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

↓過去の猿賀公園の記事

【参考】

青森県 [編]『青森県に於ける明治天皇の御遺蹟』,青森県,大正4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/950920 (参照 2024-10-06)



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