前回に引き続き、佐渡の諏方神社にある碑をみていきます。
前回の投稿はこちら
この神社には碑が2基あり、どちらも明治の大家、日下部鳴鶴の書です。
『佐渡碑文集』によると、元々は別のところにあった碑であるそうです。
はじめに「朔汀若林翁碑」をみましょう。
本文は日下部鳴鶴の書です。
起筆を鋭く立てて書く筆法で表現されています。
鳴鶴先生らしい安定した結構で字粒が小さいながらも存在感があります。
大正7年の書ですので、だいぶ晩年の書になります。
もう一方の書がいかにも鳴鶴風のやや平べったい結構でするどい筆致で書かれているのに対して、こちらは四角の中に配字をし、晩年らしい落ち着いた線となっているようにみえます。
石工も丁寧に深く薬研彫りして筆跡を追っています。よくよくみると、鳴鶴先生の書き順に従って刻しているのもわかります。
鳴鶴先生は自分が認めた人でないと彫らせなかったとの話があるくらいですが、筆跡の雰囲気が存分に残っている碑は観ていて楽しいものです。
書者と刻者の息遣いが聞こえてくるのも石碑の魅力の一つですね。
では、碑文をみていきましょう。
文中に出てくる偉人の略歴をまとめてみます。
両津港は漁師町であり、文字が読める人が少なかったのを一変させて人材を輩出した人物が朔汀翁です。性格は磊落(率直であけっぴろげ)な人物であったと記録が残っています。
また、板垣退助の自由民権運動に賛同し、国会開設の請願委員となるのと、現在の佐渡汽船となる越佐商船株式会社(昭和7年に買収された)の設立を行ないました。
漢詩の七絶を得意として、氏が詩境に入らないことはなかったと銘に謳われています。
「景色を観て唄えないものはない」とまで言われる朔汀翁も素晴らしいですが、それは佐渡の景色があってこそだと書かれているとおり素晴らしい景色が並びます。
宿根木で見た景色を思い出しながら書いてみました。
碑文を読んで共感したところを自分なりに書いてみるのは記憶にも残って楽しく書けます。
もう一つの碑はこちら
上の画像程度の画素数ですが、一覧できるようにPDFでまとめました。
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