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C-30〜僕らが歩んだ意味、涙のレコーディング〜

 プロデューサーの渡辺さんはメンバー全員を常に叱咤激励していた。激励より叱咤の方がより覚えているというのは師弟関係ではありがちな事だろう。

 レコーディングスタジオでギターがへたっぴーな僕は特に怒られてたのかもしれない。
 ある時、歌詞書いてきて、と言われ、翌日のレコーディングに僕は歌詞を書いていかなかった事があった。



 お前、皆んなに置いてかれるぞ! 


 
 ギター下手で何となく焦っていた僕にバンド内の居場所を作ってくれようとして渡辺さんは作詞の作業を振ってくれていたのだ。でも僕は怠けてしまった。それで渡辺さんは厳しく言ってくれたんだと思う。あの一言で僕は目を覚ました。
 それ以来僕は怠けるなら死ね、と自分に言い聞かせてきた、少なくとも大酒を飲み始める前までは泣
 心筋梗塞やら肝臓疾患などで死にそうになって断酒したわけだけど、飲酒時代は、怠けてるんじゃない、酔ってるだけだ、とか、体調悪いんだから歌なんかうたってられっかよ、とか言っちゃってたから、まぁ怠ける以前の問題でしたねw

 今、こうしてCを書いていて様々な記憶を掘り起こしつつ僕は毎日必死だ。もちろん一滴も飲んでないから酔ってないし、毎回の記事を書いている中で数々の渡辺さんのアドバイスなんかを思い出して頑張っている。そのつもりだ

 レコーディング

 この作業は実力のない者にとっては一番の訓練の場だ。
しかし同時に友情とか愛情とか無関係な地獄の空間でもある。

 どんなに頑張っていても下手くそは下手くそ。頑張っている、なんて言っても一つも意味はない。だってレコーダーの再生ボタンを押せば上手く出来てないのは誰の目にも、というか、誰の耳にも明らかになるからだ。
 

 当時レコーディング機材はまだ普通の人が揃えられるような金額ではなく、レコーディングスタジオを使うにはすごく予算がかかった。まして売れてもいないバンドが使える時間は限られていた。

 だから、

 出来ません?じゃバンドやめていいよ


 という世界。僕のギターはまるで使い物にならなかった。録音しても完成品を聴くと見事に葬り去られている事が多かった。つまりカットされているとかどこにいるのかわからないほど(実際いなかったのかも?w)小さな音量にされていたり。特にギターに電気が入ると何故かダメになる。
 たとえ弾いても白玉(しろたま)の専門家。白玉というのは和風のデザートの事ではない。全音符、とか、二分音符、とかいうジャラーンと長く伸ばす音符の事。同じ押さえ方でゆっくり弾くパートの専門家、という意味。


 歌もひどかった。
 初めて吹き込んだボーカルを再生して聞いていて、違う曲歌ってんじゃないの?と自分でも思うくらいだった。とにかく椰子の時代はブースというんだけど、ガラス張りでマイクが置いてある一人ぼっちの部屋でひたすら落ち込んだ。


 歌もダメなのオレって…..


 しばらくの間僕はブースに入るとひどい拒絶反応で全身が痒くなった。英樹はよく吐いてたし笠は泣いてた。皆気づかないフリをしていたけど全員知っていた。皆一人ぼっちのブースの中で自分と戦っていたのだ。
 同じバンドのメンバーだって誰も助ける事はできない。自分のトラックはカット。他の人が代わりにやる。カットって事は消えるって事。存在しなくなるんだからいわば


 極刑


 文字通り、


 静かになって死ぬ


 わけだ。
 レコーディングスタジオなんて所には自信がないなら入らない方がいい、なーんてつい言いたくなる。もちろんどんどんチャレンジすべきなんだけどね。でもどんなに頑張ってると主張してもダメならみんなの見てる前で殺されるんだから。


 僕の録音してきたトラックが100だとする。そうだとすると約99は処刑されてる。皆さんが聴いた事のある僕の声なり演奏なりは実際録音したものの、1%という事だ。


 よく、どうしたら自分の音程良くなりますか?って質問してくるバンドのボーカルの人がいる。その答えを聞くよりもっと必要なのは自分の録音を聴く事だと思う。だから僕と話してる暇があるなら練習すれば?って思う。今だから言えるんだけどね。そして僕はその人を崖っぷちに追い込む。

 友達同士でレコーディングスタジオ入って思いっきり歌ってみなよ、基礎だとか、発声練習だとか、難しい事は後回しにしてさ、と答える。

 才能なければ友達だった人もシラけるからハッキリわかる。逆に上手ければみんなも友達も湧くはずだ。

 音楽を目指して揃った友達だから一度シラけさせてしまったら多分その友達の気持ちは離れていくだろうね。友達はきっと、お前歌えるって言ったじゃないか、オレの夢を壊さないでくれ、って思うわけだから。

 自信がないならやめとけって言いたくなるのはそういう事が起こるから。スタジオはそんな覚悟で入るもの。夢も友達も両方なくす可能性があるからね。もちろんそれを恐れちゃダメだけどね。

 僕はそんな内容の歌も歌っている。スターダストシンドロームという曲だ。聴きたい人はぜひライブに来るかCD買ってくださいな。


 追分って知ってますか?おいわけ、と読むのだけれど、
それは二股に分かれている道を言うんです。りんご追分、という有名な美空ひばりさんの曲がある。あの歌はやはり分かれ道の歌。片一方はりんご畑へ、もう一方は町へと向かう道。娘は馬に乗ってその追分にさしかかりある意味絶望的な気持ちで町への道に進む。つまり売られていくわけだ。りんごの花びらが風に散ったよな、という歌い出しはその時の少女の気持ちを表しているのだと思う。多分。


 初めてのレコーディングスタジオはまさにこの追分だ。それまでは遊び仲間だった。だから何ができてもできなくても、友達だからいいよ、で事は済んだ。

 音楽は好きだったしみんなでよく聴いていた。遊びの一環で。誰かがバンドやろうぜ、と言い自分もノリで、いいねぇ、やろうぜ、と簡単に応えてしまう。

 ところがそこは前述のような険しい場所。カラオケボックスのフワフワのソファーの上と違って、岩と砂のペンペン草も生えないような場所。そしてそこにはまさに追分が待っている。

 ちなみに追分というか人生の分岐点は言うまでもないが誰にでもある。
 どちらに進むかは自分の決断にかかっている。どちらに進んでも自分で決断したんだから間違いじゃないと思う。
 仮に間違いがあるとすれば、その決断を後から悔やんで、あの時あちらの道に進んでおけば…..とネチネチ考えて現実の自分の世界から目をそむける事でしょう。
 つまり



 進んできた今を信じる


 これこそが僕の重要な哲学なんだよね。
 ここでは、この、今、が大切。
 もちろん過去の記憶も自分の一部なんだけど、過去の記憶を遡ってもそれは単なる出来事でしかない。出来事は記録されてやがてモノになってしまう。モノだから当然生きてはいない。だから動かしたり変える事もできない。
 だからそれを自信の材料にするにはいいけれども、その時の行動を悔いてその後悔が今の自分の動きを鈍らせてるとしたらそれは全く無意味、という事です。

 もちろん過去の失敗から学ぶ事は重要。(だから僕はもう酒を飲まない)でもそれと今の自分の行動を鈍らせる、のとは違う。
 いじめられた、とか、失敗して恥ずかしかった、なんて事だけにスポットを当ててすっかり怯えてしまい現在は自分の殻に閉じこもってる、なんてのはナンセンス、という意味です。


 つまり人が生きて動いているのは、


 今この瞬間だけ


 なのです。


 話しを音楽の世界に戻します。
  
 レコーディングスタジオで言えば、友達と共に夢の未来に進むか、或いは、友達と別れて(ある場合は永久に)夢見たのとは違う現実の社会へと一人歩いていくか。

 しかしここには自分の選択だけではどうにもならない壁もあります。大学や入社試験とも共通していますが少し違うのはそこに友達の存在がある事。それがバンド。またはアマチュア時代、とも言えるわけです。

 ちなみに椰子時代は半分アマチュアです。当時はほとんど誰もレコードを買ってくれなかったのだから。誰も買わない物を売っていてそれを商売と言えますか?だから僕らは一つの決まりを作っていました。それは


 次のシングルが売れなかったらやめよう


 

 売れない商品を扱ってたらやがて店じまいするのが当然。在庫一斉セールなんかをやってゴミを減らして閉店する。それが現実です。バンドだって一緒。

 ロマンティックが止まらない、が
 売れなかったら、解散。


 これは全員の統一した意見だった。だけどメンバー全員
今この瞬間を生きていた。もし売れなかったら、なーんて未来に怯えて足がすくむ、なんて事はなかった。失う物もなかったしね。

 もちろん僕らの場合は大変ラッキーだった。色んなコネクションがあったから。だけどコネがあったら必ず売れるか?と言えばそんな事はない。実際その後の曲で僕らはもう一度ラッキーなチャンスをくれよ、という幸運にすがる様な曲をリリースしている。ご存知の方も多いでしょう。そういう意味も込められてたのよあの曲には。


 
 話しが前後致しますが、レコーディングスタジオで友との関係も終わったりしますが、それは確かに切ないけどよくある人生の一場面とも言える。

 一生の友というのはなかなかいないんですね。

 もしアナタがそういう友情に恵まれているならそれは大変貴重なものだし大切にするべきものです。
 だけどそういう友達がいなくてもいいと思います。一生の友達なんていない、って人が多いと思いますよ。それが案外普通なのかもしれません。

 人は一人で生まれ一人で死んでいく。
 寂しいと言われても仕方ない。だって、別れるのが辛くてじゃあ一緒に死のうって言う人は少ないでしょう?
 人の人生の長さに自分の生き尺(いきじゃく、つまり人生
)を合わせるのは無意味で愚かな事です。時々後を追うなんて方がいらっしゃいますけど追われた方は望んでないと思いますよ。オレの分まで生きて、私の無念の分だけ生き続けて、って先だった人はきっと思っているはずです。
 僕が死んでも追いかけて来ないでくださいねwまぁそんなきとくな方はいないでしょうけどww

 追分で友と別れても、道すがらまた新たな出会いがある
。人生はその繰り返し。

 あのビートルズの曲にもありますよ。 


 こんにちは さようなら


 それを繰り返して僕らは生きてきてやがて出会った。

 最後はさようならで終わったね。でもC-C-Bはまだ生きてるよ。大勢の人の中に生き生きとしている。

 だから安心して。君の声は今も響いているから。

                   つづく



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