東日本大震災から12年。今、想うこと
あの日から12年も経ちました。
3月11日を迎えるたびに、震災当時のことを振り返っています。
震災当時の出来事
私の故郷は、福島県の浜通りにある双葉町です。
当時は高校1年生で、南相馬市にいました。高校で課外授業を受けているとき、椅子に座っていられないほどのひどい揺れを感じました。何が起きているのかまったく分かりませんでした。
14時46分、クラスメイトと担任の先生とともに外に急いで飛び出し、校庭に出ました。そこで目にしたのは、信じ難い光景でした。校庭の土から突き出して立っている電灯が大きくしなっていたのです。
その後、南相馬の生徒は家に帰っていきました。しかし、双葉郡から通っていた数名は、数日間家庭との連絡が取れず、校内にある会館で数名の先生方と過ごしていました。幸いにも、設備が整っていたその会館では水や電気が使用でき、みんなで協力し合ってごはんを炊いたり、寝床を作ったりして過ごすことができました。
しかし、その数日間、とにかくいろんな不安が絶えませんでした。会館でテレビがつながり、そこで初めてどんなことが周りで起きているのかを知りました。手の震えが止まらなかったのを覚えています。
「家族は無事なのだろうか」
「双葉町はどうなってしまうのか」
「これから私はどうしたらいいのだろうか」
近くのコンビニに出向くとほとんどの何もなく、携帯電話の通信が途絶えたまま。今まで経験もしたことのないような、未曽有の事態の渦中にいることにようやく気づかされました。
数日後、誰とも連絡が取れないままでしたが、私の父が高校まで車で迎えに来てくれました。そして、父から家族全員の無事を確認しました。しかし、双葉町の状況について聞き、耳を疑いました。
「いつ戻れるのかわからない」
自分の故郷、家に帰れないなんてまさか…。そんなことが現実に起きると思ってもいませんでした。車に乗せられ、川俣の避難所に向かっていました。ガソリンスタンドに並ぶ車の長蛇の列、何もないスーパーやコンビニ、あちこちで起きている車の渋滞。自分の周りではいつもと違う光景が広がっていましたが、とにかく家族が無事で良かったと心の底から安堵しました。
それからは、山形県米沢市の避難所に移ったり、米沢で借りたアパートで数日間生活したり、居住先を転々としていました。
そうしているうちに、今後どうするのかを自分で決めなければいけませんでした。自分が行く高校を決めなくては…と悩み、いろいろと考えて悩んだ結果、両親や妹と離れ、福島市内の高校に転学することに決めました。
初めての転校、新しい福島市での生活、祖母との二人暮らし。次のステップへと勇気を出して踏み出さなくてはと思い、転校先の高校へ行きました。
それからの2年間は、その高校に通い、多くの友人に恵まれ、とても充実していました。
しかし、そんな中でも故郷のことを忘れることはありませんでした。
教員を目指すことになった経緯
この東日本大震災により、多くの人が犠牲になりました。
そしてこの出来事を通して、多くの人の人生が大きく変わったことと思います。私もそのうちの一人です。
私は、大学卒業後のことを考えていた時、「福島に帰って何か仕事がしたい」とだけ思っていました。大学在学中は東京にいて、そこで就活もしていましたが、あまりピンときませんでした。
そして福島市の民間企業に就職しました。そして結婚し、今後の将来について真剣に考えるきっかけとなりました。
「故郷の福島のために、自身のこれまでの経験や得た教訓を次世代に伝えたい」
そう思い立ち、真っ先に自分の頭に浮かんだのが「教師」という仕事でした。自分が将来絶対に就かないと思っていた職業で、大学在学中も教職の履修を自ら辞めたこともあったので、その職業が心に浮かんだ時、自分でも驚くほどでした。
そして、教師になると決心してから約2年。
仕事をしながら通信大学に通い、英語教員の免許を取得し、福島県の教員採用試験に何とか合格をいただけました。
そして、昨年の春から教壇に立ち、改めて教師になれて良かったと感じています。今後は、さらなる目標をもって教員としての人生を歩んでいきたいと思っています。
12年が経ち、私が今想うこと
この震災からの経験を通して、今自分が考えたことがあります。
まず、震災前と震災後のどちらの人生も大切にしていきたいということです。
震災以前、私は双葉町に住んでいました。そして、家族みんなであの地で過ごしていました。しかし、未曽有の大震災の後は、家族と離れて生活するようになり、双葉町にはそれ以来戻らずに別の地で過ごしてきました。
双葉町で過ごした日々はとても幸せで、町民同士のつながりが温かく、震災後は苦しかったり、悔しい感情を経験しながら、いつでも故郷を想っていました。それでも、震災後に過ごした福島市や東京での生活を経験し、そこで出合った人々の温かさに触れ、苦境から立ち上がることができました。そして、今の自分がいます。
震災後に自分の人生が大きく変化し、自分自身も変わったという自覚があります。それも含め、自分の歩んできたすべての人生を愛していきたいです。
もう一つは、震災を通して得たことを未来につなぐということです。
今、自分は教員として仕事をしています。自分自身の経験から学んだことを、この仕事を通して未来を担う子どもたちに伝えていきたいと思っています。
私はあの出来事を通して、人はどんな苦境を経験しても立ち上がれることや、自分の夢や目標に向かって挑戦することの大切さなど、多くのことを学びました。もし、今自分の目標や夢が見つかっていなくても、焦らずに、自分の好きなことを見つけて、見つかるまで探し求めてほしいと思っています。
一度きりの人生において、自分の満足のいく人生を送るためには、自分の直感が働くような、好きなことをする必要があると思います。私の場合、それは教師になることでした。新たに夢や目標を持つことに、年齢は関係ありません。その人生で、自分が納得できる人生を歩み、いろんなことに果敢に挑戦する人が増えていってほしいです。
震災から12年が経ち、当時の経験や今私が想うことについて書きました。
この教訓や経験を、未来につないでいけたらと思います。