北関東の石造物㊻:山上多重塔
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名称:山上多重塔
伝承など:なし
所在地:群馬県桐生市新里町山上
現在は合併して桐生市になった旧新里村の山上に、平安時代初期に造立された古石塔がある。
「山上多重塔」と通称されるこの石造層塔は、銘文によれば延暦二十年に道輪と言う僧侶によって造立されたものである。
道輪については詳細は不明であるが、当時鑑真の弟子・道忠一門が上野・下野で影響力を持っており、法名に「道」の字が着くことからするに、道忠の関係者であろうか。
銘文は層塔の四面それぞれにあり、苦しみを受けているすべての人々を救うために石塔を造立して法華経を内部に安置したと言う趣旨が刻まれている。
これによると元々内部には法華経が納入されていたものと思われ、また造立の時期的に人々の苦しみとは、朝廷の蝦夷征討による影響のことと考えられる。
造立年代も趣旨も判明しており、かつ東日本の石造層塔の初見例として大変貴重である。
なお、山上多重塔は現在保存のために覆屋に納められ、アクリルケース越しにしか見学すること出来ないため、高崎市の群馬県歴史博物館の常設展で展示されているレプリカ(写真三枚目、四枚目)を見た方が全容はわかりやすい。