雑記:越前一乗谷

このnoteを始めて間もなくの頃に、福井県福井市城戸ノ内町の一乗谷朝倉氏遺跡跡にある宝篋印塔(朝倉孝景の墓と言う伝承がある)を紹介したことがあったが(「東海・北陸地方の石造物①」参照)、その際には宝篋印塔の紹介だけで、朝倉氏遺跡については特に言及していないことに思い当たったので、遅ればせながら今回紹介したい。

一乗谷朝倉氏遺跡は、戦国時代に五代にわたってこの地を支配した朝倉家の館の跡であり(近年では戦国朝倉氏の初代孝景よりもずっと前、南北朝時代くらいから朝倉氏は一乗谷に館を構えていたと言うことがわかってきたらしいが)、戦国時代の城下町の姿が良好な状態で残されている貴重な史跡である。

朝倉氏滅亡後は、越前の政治の中心が北ノ庄に移ったため、遺跡の上がそのまま田畑になって、言わば「タイムカプセル」的な形で残されていて、すでに二十年ほど前から史跡公園として整備が進み、現在もそれが続いている。

私はここを過去に三度訪れたが、二十年くらい前に最初に訪れた際にはまだ綺麗に整備されておらず、2013年3月に三度目に訪れた際には、復原された城下町が出来ているなど、かなり整備されて観光地らしくなっていた(それでもすでに七年も前のことなので、現在はもっと整備されているかも知れない)。

鉄道を使う場合は、JR一乗谷駅から歩くことも出来るが、かなり距離があり、駅のすぐ近くにある資料館で自転車を借りると良いであろう(2013年の時点では無料で貸し出しをしていた)。

ちなみにこの資料館は、遺跡から出土した文物を展示・保存している施設で、朝倉孝景や義景の肖像画(模写)なども展示されているので、遺跡に行く前に見学すると良い。

館跡は自転車で十分ほどで、途中にはやはり整備された朝倉景鏡など、重臣たちの屋敷跡がある。

朝倉氏遺跡は堀と土塁で囲まれ、入り口には下の写真のような門が建っているが、これは元々豊臣秀吉が朝倉氏を供養するために作った寺院にあった門を移築したもので、現在の門は江戸時代に再建されたものである。

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館内には復元された庭園などがあり、裏の小高い丘の上に、以前に紹介した朝倉孝景の墓と言う宝篋印塔(英林塚)がある。

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道を挟んで館の向かいには、精巧に復元された城下町があり、そこまで規模は大きくないが、武家屋敷や商家が復原・公開されている(ただし、内部まで復元されている武家屋敷は一つだけで、他は門だけがあってその中は空き地である)。

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