雑記:幻の都・福原京
これまた、以前に神戸市内の石造物について書いた際に、紹介し忘れた史跡。
兵庫県神戸市兵庫区は、平清盛の別邸があった場所で、後に清盛の晩年、この地に福原京を築いて遷都したが、わずか半年ほどで平安京に還都したため、幻の都となった。
現在の湊山小学校付近が福原京の中心であった雪見御所の跡地と推定されており、小学校近くには石碑も建っている(ただし、発掘調査の結果では、清盛時代のものと思われる遺構は見つかっていない)。
近くの平野商店街には、平清盛の像が建っている(2012年の大河ドラマ「平清盛」の放映に合わせたもので、比較的新しい銅像である)。
清盛の屋敷は、京都の六波羅が有名であるが、他に西八条にも巨大な邸宅があったとされ、現在JR西大路駅近くの若一神社がその跡地で、ここにも束帯姿の清盛の像がある。
京都市内の平家関連の史跡としては、東山区の京都女子大学東方の正林寺は、清盛の長子で、『平家物語』では清盛と対照的な人格者として描かれる平重盛の邸宅・小松殿があった場所とされ、後に関白の九条兼実の別邸となり、さらに兼実にはこの地に一堂宇を建立して出家したと言う。
境内には阿弥陀経石があるが、これは重盛が後生安堵のために南宋の阿育王山に砂金を遣わして送らせたと言う阿弥陀経石を(実際に日本に届いたのは、重盛死後で平家も滅亡した後であったが)、江戸時代になって再現したものと言う。
なお、近くのフォーシーズンズホテル京都の敷地内にある積翠園は、平安時代末期の庭園の遺構で、重盛の小松殿にあった庭園が前身と伝承されている。
清盛の銅像は、広島県呉市の音戸ノ瀬戸を見下ろす高鳥台公園内にもある。
この像は、清盛が安芸守であった時に音戸ノ瀬戸を開削した際、工事完成のために沈む日を招き返したと言うエピソードをモチーフにしている(写真は、随分以前にフィルムカメラで撮影したものを電子化したことに加え、撮影当日は強い雨が降っていたために画質がかなり悪い)。
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