中国・四国地方の石造物②:米山寺宝篋印塔群(小早川氏墓所)

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名称:米山寺宝篋印塔群

伝承など:沼田小早川氏歴代墓所

所在地:広島県三原市沼田東町 米山寺


毛利元就の三男の隆景が養子に入り、後に吉川家と並んで毛利両川と称された小早川家は、元来は相模の御家人で源頼朝に仕えた土肥実平の子孫が、平家討伐の恩賞として、また承久の乱後の新補地頭として安芸・備後に荘園を得て土着したのが始まりである(ちなみに、小早川の名字は相模の早川に由来し、そのため「小早川」は「こばやかわ」ではなく「こはやがわ」が本来の読み方なのだとか)。

小早川氏は本家の沼田小早川氏と分家の竹原小早川氏の二流があり、隆景が養子に最初入ったのは竹原の方で、後に沼田の本家を相続している。

その沼田の本家小早川氏歴代の墓所が、三原市の米山寺にあり、米山寺には隆景の肖像画も伝わっている。

米山寺は公共交通機関によるアクセスがあまり良くなく、最も確実な方法はJR山陽本線の本郷駅からタクシーを利用することである。

墓所は全て宝篋印塔で構成され、初代実平から隆景まで十七代の墓塔を含む計二十基の宝篋印塔が立ち並ぶ様は壮観で、中世から近世にかけての大名家の当主の墓が一箇所に集中して現存している例は全国でも珍しい。

滋賀県米原市徳源院の佐々木京極氏の墓所とともに、宝篋印塔の時代的変遷を知ることが出来る「宝篋印塔博物館」とでも呼ぶべき墓所である。

墓所の石塔群の中で一際目を引くのが、当主の墓ではなく一族の供養塔と思われる、墓所の最も奥まった所に建つ宝篋印塔である。

二メートルを超え、墓所内でも一際大きい宝篋印塔で、鎌倉時代後期の元応元年の銘文を持つ。

完形であり、均整の取れた美しい塔で、尾道市浄土寺の伝・足利尊氏の墓と並んで山陽地方を代表する宝篋印塔と言えよう。

元応元年塔の二つ隣にあるのが始祖土肥実平の墓であるが、これは後の造立されたものであり、石塔自体は元応元年塔が墓所内で最も古い。

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小早川隆景の墓は墓所内で最も手前にあり、戦国時代末期の様式を持つ宝篋印塔である。

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なお、米山寺は2018年の西日本豪雨による土砂崩れの影響を受け、宝篋印塔群も二十基の半数以上が土砂によって崩れ、小早川隆景の墓は難を免れたが、元応元年塔は大きな被害を受けたとのことである(追記・2020年2月に、墓所は復旧したようである)。


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