雑記:東京の史跡、その九(白河、錦糸町)

江東区白河の霊厳寺は、寛政の改革を主導した老中・松平定信の墓所が有ることで知られ、地名の「白河」も霊巌寺に定信の墓所があることにちなんで昭和初期につけられた(定信は白河藩主)。

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定信の墓所は、本堂に向かって左側の墓域内にあるが、平素は墓域の入り口の門には鍵がかかっていて遠目にしか見られない。

定信の墓は角柱塔で、その周囲には久松松平家の藩主一族や夫人の墓もある(定信以外の久松松平家の歴代当主の墓は、最後に領地となった桑名にある)。

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霊巌寺は江戸時代には他にも多くの大名の菩提寺であったが、戦後の区画整理などによって墓域は失われ、墓地内の一角にわずかに当時の石塔が残るのみである。

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錦糸町の駅から北方に十分ほど歩いた所にある法恩寺は、太田道灌ゆかりの寺である。

元来法恩寺は太田道灌によって江戸城内に建てられたが、江戸時代に現在の場所に移転したと言う。

境内の墓地には太田道灌の墓と言う五輪塔があるが、これは江戸時代に造られた供養塔である。

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