雑記:木曾殿と背中合わせの寒さかな

JR琵琶湖線の膳所駅から北方に歩いて十分ほどの所にある義仲寺は、源平合戦の物語で著名な木曽義仲の菩提寺である。

源義経に敗れて北陸に落ち延びて行く途中、義仲はこの近くの粟津であえない最期を遂げたことから、後世この地に義仲の墓所が設けられた。

義仲寺の境内には、江戸時代の俳人・松尾芭蕉の墓があることでも知られているが、芭蕉は義仲のことを敬愛していたらしく、彼の遺言でこの寺に葬られたと言う。

「木曽殿と背中合わせの寒さかな」と言うのは、芭蕉の門人の又玄が詠んだ句であるが、さほど広くない境内にあってまさしく義仲と芭蕉の墓塔は隣り合って建っている(下の写真三枚目)。

義仲の墓である宝篋印塔(下の写真二枚目)は、室町時代に近江守護の六角氏によって再建されたものとされるが、現在残る宝篋印塔は室町時代のものではなく、かなり後になってから造られたものではないかと思われる。

現在の石塔の下に、別の宝篋印塔の基壇があるので、これが元々の宝篋印塔の名残なのかも知れない。

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義仲寺から琵琶湖畔を歩いてしばらく行った所には、膳所城の跡がある。

膳所城は、江戸初期に徳川家康が京都の抑えとして築城の名手・藤堂高虎に築かせた名城で、琵琶湖に面した「浮城」であった。

幕末まで譜代の名門が配置されていたが、現在は城跡は公園となって当時を忍ぶものはほとんど残っていない。

公園内には復原された城門と堀があり、他には琵琶湖に突き出る天守台の跡地が「浮城」と呼ばれた膳所城の姿をわずかに思わせるものである。

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膳所城の遺構は周辺の各地に分散されて残されており、その一つで代表的なものが、城の旧大手の当たりに建つ膳所神社の門であり、これがかつての大手門で創建当初の桃山時代の特徴を残す建築として重要文化財にも指定されている。

なお、そこから旧東海道を膳所駅の方に戻ってしばらく行くと、道沿いに縁心寺と言う寺があって、ここには膳所藩主の本多家歴代の墓所が残されている。

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