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「呼ばれた」と言われる、直観について



1.「呼ばれた」は、常に起こっていること


『呼ばれた商法』と私は勝手に呼んでいますが、とある場所に呼ばれた、とか物に呼ばれたとか、呼ばれたことは特別ですごいこと、呼ばれるにはその人が達していないといけない段階があるなどの表現で、人間を神格化したり、教祖化する動きは、数十年流行った日本のスピリチュアルかと思います。この構造で、当時は、少し前まではよかったのだと思います(いろんな意味で)。


あなたは、呼ばれているというその現象を説明・解説してくれたり、それは誰しもに起こっていて、あなたがもしそれをキャッチしていないと思うなら…で、体のことや意識のこと、エネルギーの話へとしていってくれる人に出逢っているでしょうか?(もし、こういう界隈にいらっしゃったなら)


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・まだまだ!
・〇〇になったらあなたもできる
・呼ばれているからこの情報に反応したんだよ!
・タイミングが合ってる、ズレてる
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などなど、なんでやねん。です。

これについては、段階で起こる起こらないではなく、ただただ起こっていることを人間として認知できる『状態か』=『周波数(振動数、チャンネル)か』ということを知らなければ意味がありません。


自分を特別にして、自分が得意に感じ、認知できることを”特別”のように言っている人間からは離れることをおすすめします。


もう何年も前から、組織も人同士のつながりも、ピラミッド型からサークルへと言われているにもかかわらず、どうもこういった目に見えにくい、人間が認知できないと信じ込んでいるジャンルに置いては、音の強い誰かや何かがトップになってその下に広がるような構図になりがちだなと思います。

サークルを描く活動をしている人間を選ぶ


今回のテーマも、そういった古びた構造を足かせに、知らない方も多いのではないかなと思って書いてみようと書き始めました。

情報源の状態をみるひとつの指針に、こういった話がなれば幸いです。



2.この世界の仕組みを理解した(しようとした)スピリチュアルか


さて、本題に。
○○○○○○○○が、起きていないのは、この世界ではありません。

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マニアックな方、自分という存在を存分に生きることに本氣な方 言葉でなんぞ語れないそれを言葉で語ろうとする矛盾を愉しめる方 どうぞ、一緒にこの世界と人間についてふれていきましょう。 月1~2回の更新予定です。

この世界の仕組み、人間の仕組みを体系立てる過程でみえてきたことを綴っています。【研究に合わせて不定期配信】

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