歴史の扉⑧ 冷房の世界史
2007年は人類史にとって、大きな転換点となる年だった。
ついに、都市(urban)人口が、農村(rural)人口を上回ったのだ。
1000万人規模の巨大都市圏のことをメガシティと呼ぶが、21世紀に入り、アジア各地の熱帯エリアに位置するメガシティが増えている。
20世紀の大都市の多くは、温帯エリアに位置した。
しかし、今後も熱帯地域のメガシティは増え続ける見込みなのだ。
これを可能にした発明がある。
そう、冷房だ。
冷房の発祥の地は、多くの人がイメージするようにアメリカ合衆国である。
初めは出版社による発行物の品質管理のために発明されたようで、それが職場や家庭用へと転用されていったそうだ。
ブタクサが生んだ空気清浄機
空気清浄機を搭載した冷房も、20世紀初頭に開発されている。
こちらは、ブタクサの花粉症に悩まされた発明家によるものだということを最近知った(小塩海平『花粉症と人類』)。
「雑草の世界史」で紹介したように、雑草は人間の開発した土地を ”ニッチ” として進出する植物だ。
18世紀末に産声をあげたアメリカ合衆国は、19世紀後半にかけて西部開拓を進めていった。これとともに大西洋側から拡大していったのがブタクサなのだという。
まさに開拓のしっぺ返しともいうべき花粉症が、空気清浄機の発明につながったというのだから複雑だ。
シンガポールと冷房
冷房が先進国の各家庭に広まっていったのは、大戦後のこと。
日本でも1960年代の「三種の神器」に続き、1970年代には「3C」と呼ばれ、企業戦士にせっせと働く意味を見出させた。
しかし1970年代、石油危機が先進国の経済成長にブレーキをかけると、代わって台頭したのがNIEsとよばれた新興工業経済地域だ。
その筆頭であるシンガポールの初代首相リー・クアン・ユーは次のような言葉を残している。
「冷房は、われわれにとって最も重要な発明である。」
熱帯の人々は怠惰であるというのは、かつて温帯に位置する先進国の常套句であった。
日本もかつて、領土としたり占領したりした南洋諸島や東南アジアの人々に対し、そのような眼差しを向けていたことがある。
しかし、その後の「東アジアの奇跡」は、そうした認識の誤りを明るみにしたといってもよいだろう。
大気の空調
ドイツの思想家ペーター・スローターダイクは、毒ガスや核兵器といった軍事技術が、人間の生存領域である大気そのものを凶器化し、その延長線上に21世紀の気候変動があることを論じた(『空震』)。
空気そのものをコントロールする冷房は、他方でフロンガスを排出することにより、かつて大気の組成に影響を与えた。「オゾンホール」(大気の穴)という優れた比喩により、国際的な規制が進み、現在では “穴” の破れは塞がれつつある。
このオゾン層研究によりノーベル化学賞を受賞した人物こそが、じわじわと普及しつつある「人新世」(アントロポシーン)という呼称を広めるきっかけをつくった張本人でもある(寺田匡宏ほか『人新世を問う』)。
人々の生産性を高め、世界の人々の健康に莫大な貢献をしてきた冷房は、テレビやコンピュータ、そして核兵器とならぶ、20世紀の人類の生み出した最大の発明の一つかもしれない。
熱帯の人々に冷房を使うなという権利など誰も持っていない。そんなことは当然だ。
他方で「燃料貧困」(fuel poverty)という言葉の示すように、熱波が頻繁に起き、熱中症患者の年々増える温帯エリアも蚊帳の外ではない。
大気そのものの ”空調” が異変をきたしている中、冷房をオフにすること自体が、まさに凶器となりつつある。
そんな状況がある。
われわれはそのような世紀に足を踏み入れつつある。
参考
上記記事で岡部直明氏はリー・クアンユーとの懇談について次のように記している。
「そんなリー・クアンユー氏と懇談するのは記者冥利につきるが、気を付けなければならないことが一点あった。室温の低さである。常温に慣れた身からすると寒すぎる。この点を聞くと、「常夏のシンガポールが生産性を高められたのは、冷房が行きわたったからだ」という答えがはねかえってきた。シンガポールが先進国に駆け上がれた意外な秘密かもしれない。」
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊