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『もるうさあ』 第7話

7.蟻の城と方言ものまね
(もるうさあ 2日後) 

《パチパチぱちもんやねん》
▽わてらが大阪で流れ星降らせたんやねーん(星)堪忍なー(土下座)
▼別に被害でとらんのやさかい、何の問題もあらしまへーん(すまし顔)
▽せやかて世界が終わるかもしれへんと思わせてもうてすまんかったわ(丁髷)
▼ぎょうさん願い事かなえたろー思うて。大阪人派手なん好きやん(ハート)(唇)堪忍してーや(トラッキー)
○せやなぁ、好っきゃねんやんかぁ(風圧)(右掌)
▼せやった(汗)好っきゃねんやんかぁ、やったわ(ドラゴン)(火炎)
○(やしきたかじんのスタンプ)
▽(やしきたかじんのユーチューブ動画のリンク)

「やっぱすっきゃね~ん」と口ずさみながらスマホを草の上に投げて座る。夕焼けの長い波長の光はビジビリティと気温も変える。常磐公園の彫刻広場でココアシガレット一本を口に咥える。それを野球盤のバットに見立てて夕日を打つ。透き通るドーム状の空を橙色の球が幾何学的に跳ねるイメージをする。そのイメージは一昨日の【もるうさあ】の火球を想起させた。

 レッドスプライトのような現象を僕も大学病院の9Fから見た。アルマゲドンが現実化したかのように困惑したが、入院患者の源田さんはベッドの上で「今日はなんかのお祭りがあるんかの?」と嬉しそうに呟いた。
「あれが【もるうさあ】かの? 世界が終わるんやなかろうか」
車椅子の大城さんが窓に近づいた。
「世界が終わるっちゃあ物騒なことじゃ。そりゃあ大変じゃのう」
「なんか、他人事みたいですね」
僕は冷静な2人の様子を見て、落ち着きを取り戻した。
「まぁ、他人事じゃな。それよりもまず、わしはこの病気に勝たんといけん」
と源田さんは言った。
「はよぅ山に行かんと草が覆い茂ってしまうわ」

 死を前にしたとき、人はどのように行動すべきなのだろうか。
 煙草代わりに咥えているココアシガレットの端を噛んで割る。それを目の前の『蟻の城』というモニュメントに向けて吐く。
「医師として喫煙はすべきではない」という教授の言葉が蘇る。「しかし、1割の医師は喫煙している。一般人に比べるともちろん圧倒的に少ないが、医師はストレスの多い職業であり、できれば喫煙以外の方法でストレスを解消してほしいものである。医師としての尊厳を保ちながらのストレスマネジメントが重要だ。例えば私は、」ということで紹介されたのが、このココアシガレットというラムネの駄菓子を噛み砕いて吐き出すメソッドだ。煙草はオフィシャルでため息をつくことだと考えている僕にとって、このメソッドは悪くない。また、この駄菓子のパッケージも洒落ていて悪くない。箱にはちゃんと、「あなたの禁煙を応援します。」なんて書いてある。
僕と同じ神奈川出身の岩橋先輩は、アイドルの追っかけでストレスを発散している。バンダナをして銀縁メガネをかけ、法被をきてオタ芸をすると完全に別次元にワープできるらしい。「いつでもお前も仲間に入れてやるぞ」ということだが、僕にはそのアイドルメソッドは合わない。
 僕はニセ関西メソッドを実践している。友人と作った関西人以外のメンツによるなんちゃって関西弁のSNSだ。そこで僕らはエセ関西弁を使い、しなやかで強靱なメンタルを持つ関西人を模倣して現実逃避する。スマホの画面を開くとまだそこでは、やしきたかじんが歌っていた。
 ココアシガレットを煙草のように取り出し、端を噛み砕いてできるだけ遠くへ吐き出す。その向こうにはロボットの足のような『蟻の城』という彫像がある。無数に穴が開いていて、欠落を表現しているのかもしれないが、僕にはむしろそれが身軽さに置換され、ラディカルなエネルギーを感じさせる。悩みがあったとき、僕はこの『蟻の城』に会いに来る。  

 梅雨だったから、その日も雨が降っていた。
「源田さんは余命3ヶ月だ」
手技の確認後に指導医の宮内先生が言った。
 山大医学部6年の僕は、内科でポリクリ2、臨床実習中だ。源田さんは担当する患者さんの1人で僕と誕生日が同じ9月21日。若いころに新婚旅行で鎌倉に行ったらしく、神奈川出身の僕に会うたびに声をかけてくれる、親分気質の優しいジイさんだ。
「どうにかならないんですか」
「ならん」
僕の不信感を察した宮内先生は、「おい、お前、顔」と僕の目の前に
指を突き出した。
「考えろ。医者なんだろ、お前」

 2本目のココアシガレットを取り出す。アインシュタインの座右の銘は「think」。人は死ぬ。医者は延命措置をしているにすぎない。 
 万能ではないのは分かっている。しかし僕はやりきれない気持ちになる。現代では治療法が未開発でも、未来ではきっとほぼすべての疾患は治る。倫理観との折衝は生じてくるかもしれないが、そう考えると、救えない患者がいるということは僕自身の怠慢であるように思えてくる。僕がもっと知識を持ち、技術を持っていれば誰だって治療できるはずではないのか。
 今の僕はひ弱なオブザーバーでしかない。源田さんが死んでいくのをただ見守ることしかできない。彼は自分の状態を知っている。しかしその上で、治ると信じて闘病している。医者として考えれば、奇跡は起こらず彼は死ぬ。ターミナルケアが求められる。しかし1人の人間としての僕は、何かを期待している。例外も奇跡も起こりうるのではないかと期待してしまう。
 今、僕がすべきこと。源田さんの今をどのように大切にするか。彼は自分の状態を受容できている。では彼が望んでいることは何か。家に帰りたい? 山の手入れをしたい? 家族に会いたい? もっと僕は、源田さんのことを知りたい。
  
 4月に入院してきた当初、源田さんはベッドサイドに座る宮内先生に、
「今までで一番の絶望はなんじゃ」
と聞いた。源田さんが精密検査でステージⅣという結果が出たあとだった。
「それは私にとっては、患者さんが亡くなったときですね」
と宮内先生は答え、当時高校生の患者さんが亡くなったときのことを話した。すると源田さんは、
「じゃあ、例えばこのジジイが死んでも、あんまり先生を悲しませるこたぁねーのんた」
とぎこちなく微笑み、咳き込んだ。
「いや、年齢は関係ないです。私は今、その瞬間が一番大切だと考えて生きています。まぁそう考えることで自分を保っているところもありますが。そうするとね、源田さん。その瞬間だけを見れば、人間なんて、生きている。ということですべての人間が共通してるんですよ。だから、生きている。から、人が生きていない。に変わるっていうのは、年齢とか諸々、関係ないんです。ただそれは喪失です。それは本当に大きなものが失われるんです」
源田さんはまた咳き込みながら頭を下げた。宮内先生は立ち上がって礼をして病室を出た。僕は部屋の隅で観葉植物のように立っていた。
「おめぇは気楽でえぇのぅ。とぼけた顔してから。医者になるなら、まずは入院してみぃ。看病だけじゃのぅて患者体験もせぇ」
源田さんは険しい表情で大きく咳をした。
「実は僕、小学生のときはずっと病院で生活していました」
源田さんは大きく息を吐いて腕を組み、僕を見た。
「せぇーかぁ。みんな、苦労しちょるんやな」
そして天井を見上げながら、
「よろしく頼むのんた」
と僕を近くに呼んでから腕を叩いた。
「痛いのんた」
おどけて反応したが、源田さんはただ前方を見ていた。顔には楠木の幹のような皺があった。

 懐中電灯の光が揺れている。老夫婦がウォーキングをしている。前後で並び無言で歩いている。よく見ると奇妙な光景だ。吉本新喜劇でヤクザの舎弟が兄貴分の真似をして、「それでこそ金魚のフン」とつっこまれるシーンを思い出す。開業医の親父は日曜日の午後にトマトジュースを飲みながら吉本新喜劇を見るのを癒しにしていた。それをモチベーションに、面倒なレセプトチェックを終わらせるらしかった。親父の大袈裟な笑い声が脳裏をよぎる。
 老夫婦は近くに停めている僕のママチャリの近くでストレッチを始めた。奥さんは、懐中電灯で僕のチャリを照らした。カゴにはOUTDOORのリュック。ホームセンターで買ったアップハンドルのママチャリ。旦那さんは僕が気にならないのか、背後で呻り声を上げながらオレンジ色の懐中電灯を持った手を伸ばして腰を捻っている。いつもこの場所でストレッチするのだろう。ここは小高い丘の上で、湖が見渡せる。
「今日の空は何にも変化がないですね」
懐中電灯を草むらの上に置きながら旦那さんが声をかけて来た。
「せやなぁ」
つい関西弁で答えてしまった。僕の頭の中では吉本新喜劇が再生されていたし、関西弁メソッドが脳裏で起動していたらしい。自分のアクシデントに驚いて笑いそうになったが、このまま僕は関西弁を続けることにした。心拍数が上がる。
「一昨日の【もるうさあ】はたまげましたね。もう何が起こるか心配です」
「ほんまですわ。どないしよう思いましたもん」
僕は吉本新喜劇を思い出しながらイントネーションに注意する。ワテは生まれも育ちも大阪で、粉もんで身体の9割ができとる、と思い込んだ。旦那さんは僕が関西から来た医学生であることを確認するついでに、一昨日の【もるうさあ】は天変地異ではなく、流れ星を人工的に作る関西のベンチャー企業の仕業らしいと言った。奥さんは機嫌が悪いのか黙々とストレッチをしている。
「でも【もるうさあ】で世界がどうにかなっても、庶民はその日を暮らしていくだけです。だからこうやって、今日も嫁さんと習慣になっているウォーキングをしています」
「考えてもしゃあないことってあるさかいに。バクぅも世界の終わりかもしれへんと思いながら、ちゃんと大学行きましたし。晩飯はいつも通り、一九でラーメンですわ」
ヤバイ! 一瞬自分のことを「ワテ」って言いそうになってしまった。辛うじて踏みとどまったが大丈夫か? 冷静になれ。腹式呼吸。
「あたしはハワイとかに逃げたいけど」
奥さんが突然ぶっきらぼうに言い、懐中電灯でこちらを照らした。
「でも、あなた、大阪じゃぁないでしょ? 関西弁も色々とあるのよね」
自分のニセ関西弁が見破られたと思い、絶句した。やってもた…。調子に乗りすぎや。しかし後戻りはできない。なんとか話題を変えなければ。誤魔化すために少し慌てて質問をした。
「や、山口弁もおもろいですよね。山口の人って『~のんた』って言わへんですか? 語尾に『のんた』を付ける人に会うたことあるんですけど。『のんた』ってどないな意味なんですか?」
「え? 『のんた』なんて使わん」
奥さんは吐き捨てて湖の方へ歩き出した。
「『のんた』っていうのは山口でも年寄りしか使わなくなった方言ですね。そもそもは『そうですよね、あなた』という意味だと思います」
「へぇ~。もう使わへんのや」
「なになにやのんた、みたいに、語尾にくっつけて同意を求めるって言うか、そんな感じで使ってたんじゃないですかね。語調を整えるためといいますか」
「ああ、なんか、英語の『you know』みたいなやつなんやろか?」
「なんですか?」
「あぁ、英語で特に意味はないんやけど、会話の中でぎょうさん使う言葉があるんですわ。それが『you know』っちゅうやつで。日本語で言うたら、ええっと、みたいに使うんですわ。調子合わせみたいなもんですねぇ」
よし。もう開き直ろう。
「へぇ、さすがですね。医学生は英語もできるんやのんた」
「あ、それ。それですわ旦那さん。僕、アメリカ住んどったことがあるさかい」
慌てて奥さんを追いかける旦那さんは別れ際に励ましの言葉をくれた。僕は調子に乗って「おおきにありがとう」と叫んだ。離れていく懐中電灯の光を見送りながら、自分のニセ関西弁のクオリティの低さを笑った。「おおきに」ともう一度大きく手を振ってから、「なにやっとんねんっ」と自分にツッコんだ。声が思いの外大きくて焦ったが、ちょうどそのときにカラスが鳴いて笑った。ネイビーブルーの空を住処に向かって黒点が滑っていく。久しぶりに新喜劇が見たいと思った。親父の胡散臭い、大きな笑い声を思い出した。
 アホなことをした恥ずかしさついでに、大の字に寝転んで星を数えた。ココアシガレットを指に挟んだ。ドーム型の夜空を見上げていると、死んだ人は星になるという言葉を思い出した。

 宮内先生は窓の外、オリオン座が見えないことを確認していた。
「死んだ人は星になるって聞いたことあるか? でもあれって、流れ星のことを考えると、悲惨よなぁ」
ココアシガレットはオリオンという会社が作っているという話の後だった。
「先生はなんか、気分転換法とかあるんですか?」
「俺はねーなぁ」
茶渋の付いたスヌーピーのマグを持ちながら、宮内先生はガラス窓に左手を当てて顔を近づけた。「お、あれかな」と言いながら、「まぁ、強いて言えば」とデスクの上のガラスケースを指差した。
「これ、何か分かるか?」
「え? 回天ですよね。人間魚雷の」
「そうだ。行ったことあるか? 回天記念館」
「いや、無いです」
「そうか。ま、いつか必ず行け。せっかく山口に来てるんだし」
「はい。でもそんな、なんていうか、いいところなんですか?」
「いいとかなんとかっていうとこではないけどな」
先生はマグをデスクに置き、椅子に座った。そして患者さんの電子カルテを開いた。
「俺はな、手術前に『下部ハッチ良シ』とつぶやく。なんていうか、おまじないみたいな。ま、いいや。俺がここに生きてるっていうのも、誰かのおかげなんだ。すごい人たちはたくさんいる。それは知ってて損は無いぞ」
あとで知ったが、先生のその言葉は回天で出撃した兵隊が口にする、発進準備の言葉だった。僕の視界の中にはカルテを見る先生と、その机上に置いてある回天の模型があった。外にあるはずの星は僕の位置からは見えず、ただ真っ黒い窓が室内を映していた。白衣を着ている僕がそこにいた。

 救急車のサイレンが聞こえて立ち上がった。辺りはすっかり暗くなっていて、ポケットからチャリの鍵を取り出した。スマホを確認すると、高校の同級で慈恵医大に進んだ浅間から携帯にメッセージが来ていた。医師国家試験と海外での臨床経験についてだった。僕は高校時代に留学していただけで、浅間ほどのクレバーさはない。
「鎌倉の名物で、年配の人が懐かしがるようなものって何だと思う?」と聞くと、「『鳩サブレ』でいーんじゃん?」ということだった。「送ってくれ。ASAP」と打つと、「ネットで買えよ」だった。
 僕はすぐにネットで『鳩サブレ』を注文した。明日の夕方には届くらしい。明後日には源田さんのところに持っていける。他に鎌倉と言ったら何があるだろう。『江ノ電もなか』はどうだろう。とりあえず源田さんともっと話をしよう。
 浅間から、「【もるうさあ】ってまだ起こってないらしいぞ。おもしれぇなぁ、誰がこのイベント考えたんだろうなぁ」とメッセージが来た。
「イベントだったらいいけどな。何が起こるか分からん時代だから、ある意味怖いよ、俺は」
「明日、世界が終わるってなったらどうする?」
逃げ出せないな、自分だけ。と思い、源田さんたちの顔が浮かんだ。
「逃げれんのんた」
と送った。
「何それ?」
と返信が来た。
「you know」と打ってからスマホをポケットに入れ、ココアシガレットを口にくわえた。スタンドを立てたまま、ママチャリに跨ってペダルを思いっきり回すとライトが自動で点灯した。ココアシガレットを噛み砕きながらサドルに座り、足を放して夜空を見上げた。車輪の回る音に合わせて咀嚼した。宙に浮かんでいるような、不思議な感じだった。

次回は最終話 
8.○○のはなしと【もるうさあ】(もるうさあ 1週間後)です。

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