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大きなかさぶた

いつからだろう
こんなに自分の内側をさらけ出すのが怖くなったのは。
私の一番古い記憶は多分2歳ぐらいの時ママとパパが離婚の話をしていた光景。
私は空気を察してるのかしてないのか、パパの肩を揉んだり膝に座ったりした。ママとパパの他に姉2人とママの親友がいた気がする。

ママの親友、、あばちゃんは離婚後ママが仕事中、保育園に入るまで私の面倒を見てくれてた優しい人。
よくある話。パパは不倫してた。
パパの顔を声も覚えてないから別にショックは今もないしパパはいないものだと思ってる。
ほとんど無いに等しいパパの思い出の中に一つだけ強烈に覚えている事がある。離婚した後も保育園までは定期的に会ったり誕生日には百合の花束と何かしらのおもちゃはくれていた。そんな中で、パパと不倫相手の家にお邪魔したことがあった。1人で。
家にはデブな不倫相手と、私と同い歳くらいの女の子がいた。その子が不倫相手の連れ子か、はたまた私と腹違いのパパの子か、分からないけど、パパと女の子と3人であそんだ時にパパの事をパパって呼んでるのを見て、自分があるはずの腕の中にその子がいた事が子供ながらにモヤっとした記憶がある。

20歳になった今でも覚えてる。
新しいパパがくるとパパの事はすっかり忘れた。新しいパパはパパ呼びを嫌がった。父ちゃんと呼ぶようになった。すぐ馴染んだ。けど馴染まないこともあった。父ちゃんの連れ子。確か20代中盤だった気がする。もう独り立ちしてるからたまにご飯をうちで食べに来る程度の仲。私はお兄ちゃんと呼んで一方的に懐いた。分かりやすく可愛がられた記憶はないけど、ぬいぐるみをくれたり優しかったのは覚えてる。だから私はお兄ちゃんが好きだった。
けどママと姉2人は違った。お兄ちゃんが帰ると台所で悪口大会。小学生にもなれば言ってる内容もそれを聞いて父ちゃんが悲しむことも理解出来た。悲しかった。なんで悪口を言うの?子供には悪口を言ってはダメって教えるのに。そんなことを思った記憶。
ママはお兄ちゃんのこと以外でも父ちゃんに対して不満はあったけど、何か起こるわけでもなく緩やかに時間はすぎていた。ママと姉はお兄ちゃんの事、父ちゃんのこと、陰口を言い続けていた。
そして私が9歳の頃。
ついにお兄ちゃんとママが衝突した。姉の部屋で他の部屋から聞こえてくる怒鳴り声を聞いてた。怖くてこわくて涙が止まらなかった。、
罵声と怒声が玄関に移った。ママのかん高い声とお兄ちゃんの低い声、「離婚しちまえよ」そんな言葉が聞こえたあとドアが閉まった。
静かになったと思ったらママの鳴き声と荒々しい息遣い、様子を見ると過呼吸を起こして倒れてるママと支えてる父ちゃん。
そこから私の深い深い深い傷口ができる、、、、続きはまた次に。

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