書くことに理由はいるか
西加奈子の「くもをさがす」を読んだ。
乳がんになってからの彼女の闘病生活の内面や、治療を受けたカナダ・その前に暮らしがあった東京とのコントラストなどを描いている。
エッセイを読むことは少ないけれど、時間の合間が出来るとつい食べてしまうお茶菓子よろしく手を伸ばしては読み終えた。つまりはおもしろかったのである。
このエッセイを書いた西加奈子も当初はただ自分の手記として書いたそうだが、誰に向けて書いているのかわからなかったという。その中にはこんな一節がある。
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これは「あなた」に向けて書いているのだと気づいた。どこにいるのか分からないあなた、何を喜び、何に一喜一憂し、何を悲しみ、何を恐れているのか分からない、会ったことのないあなたが、確かに私のそばにいた。
あなたは時に幸せで、時に不幸だった。あなたは時に健康で、時に健康を害していた。あなたは時に生きることそのものに苦しんでいて、あなたは時になんてことのない日常に無情の喜びを感じていた。
あなたに、これを読んでほしいと思った。
文章を書くことは、そしてそれを発表することは、大海に小石を投げるようなことだと、尊敬する作家が言っていた。ささいな音だ、小さな波紋だ、でも、自分の持っている全てを投げるのだと。
私の文章が、あなたの心でどんな音を鳴らすのか、あなたの魂にどんな波紋を作るのかは、分からない。それがどれだけささいで、小さくても、私は私の全てを投げたい
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なるほど、書くことの作業自体に救われた書き手がつくったこのエッセイは、いつかどこかでそれを読む誰かを救うことになるかもしれないのか。
父が膀胱がんになった。再発である。
このエッセイは父が闘病中に読んだ。
読了後、自分は幾分も視界が開けた気がした。
自分自身が救われた実感をすることで、ある人が書いた文章で誰かが救われることも同時に実感したのである。
じゃあ自分も書いてみようかな。
書くことで自分を含めた誰かが救われるかもしれないし。
それが今のところの書く理由。
世界旅行で感じたことなどいろいろまとめてみたいな。
それでは。
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