見出し画像

なりたい自分になるために


憧れの人がいた。

僕には憧れの人がいました。

僕の何十倍何百倍も仕事ができて、何十倍何百倍も知識がある人がいた。僕はその人に憧れていた。そんな人になってみたいと思った。そう願った。願っていた。でも、やっていることが凄すぎて、自分にはどうやればその人になれるのかわからなかった。たくさんの知識を詰め込むための、情報や本を買うお金もない、セミナーに参加するための時間もない。仕事量もどうやって上げていけば良いのかわからない。

どうやったらその人になれるかわかりませんでした。

憧れているだけ、「その人がすごい」「その人はこんなこともできる」そんなことをまるで自分のことのように語る自分がいた。でもそれって自分の結果じゃなくて、憧れの人の結果であって、僕自身は何もしていない。そんなこと語ったって、なんの意味もない。ただのウザいやつだった。

憧れは原動力

憧れの人っていつまでも憧れでいいのだろうか。憧れることにどんな意味があるのだろうか。憧れるってことは、その人になりたいということだったり、その人を見て自分も頑張ろうと思うことだったりすると思う。憧れは自分の何かしらの糧に、原動力にしなくちゃ。

その人を目標に、その人の夢見て頑張ることができたら、その人に一歩近づくし、頑張ろうと思える。それでいいじゃないか。

憧れの人になろうとすること

憧れの人になろうとする時がある。でも、やってることが凄すぎて、自分にはできないことだらけだ。やってみてもきっと三日かそこらで挫折する。そんなでっかいことはできない。

憧れの人のなろうとする時、気をつけないといけないことがある。それは、憧れの人がやっていて、自分にもできる、簡単なことを真似することだ。自分にもできることから始めた方が、踏み出しやすい。いきなり難しいことをやる必要はない。いつも自分がやっていないような小さなことだが、それを真似するだけで、その人の小さな習慣を真似したことになる。その人になるための一歩だ。

小さな一歩が大きな変化を生むことだってある。自分がやっていることはすべて足し算じゃないこともある。かけ合わさっている。小さな変化だが、自分の習慣に組み込まれることで、他の活動の質がグンと上がることがある。

僕がなろうとした時の話

僕は、以前、同じ大学の先輩に憧れ、先輩の真似をしようとした。でもできることと言ったら、返信を早くすることくらいだった。とても下らない理由で始めたのだが、それを初めてみると、みんなとのコミュニケーションがスムーズになったし、返信が溜まっていることで自分の時間を使うことが減った。一気に返信しようと、頭をフル回転させて、今できる全力をそこに投下できた他のことに集中できたし、相手に考える時間を渡せるので、自分はその間何も悩まなくていいから、非常に快適だ。もしかしたら、それがいやという相手もいるかもしれないので、そこは考えて欲しいが。

明らかに、自分に小さな変化が生まれた。どんなにできる人も小さなことの積み重ねでできているのだと知った。自分にもできることがきっとある。

憧れのあの人と同じように自分も成長したい、とそう思うなら、まずはその人を観察してみるといい。その人が日々考えていること、やっていることから気づいたことをメモしてみる。下らないことでもいい。特に、「自分がやっていないこと」を軸にやってみるといいかもしれない。その中から自分ができることを絞り出し、あまり多すぎることなく取り組んでみることをお勧めする。

なんだかんだまずはできることから、というのは本当かもしれない。できないことをやるときは、必ず誰かサポーターとか、メンターとかがいた方がいい。そうでなきゃ求めていたところにきっと行かない。

自分自身で始めようと思うなら、まずはできることから、そして周りの反応を伺うのだ。それなりに違う反応が返ってきたり、それが感じられたらそれで十分だ。

変わりたいとか、成長したいとか、言っていても変わらないし、成長しない。でっかいことがしたいから、とありふれたことをやらないと、伸びていかない。

雑用力

雑用力という言葉がある。雑用は全ての源だ。雑用からひとは、もっと楽にする方法を考えたり、効果のある方法を考えたりする。下らないことから始めると思いも寄らない成長が見えることがある。今目の前のことに熱心に取り組もう。仲間や先輩がいるなら尚更だ。一旦やり切ってみてから考えればいい

おわりに

今日は、とても上から目線なnoteを書いてしまった笑

毎日の日々感じたこと、気づいたこと、学んだことを発信して、あなたの日常を少しでも笑顔にできるような言葉を綴っていきたいと思っています。

これからもよろしくお願いします。

訪れてくださり、ありがとうございます!