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巡り合わせと積み重ねによって導かれた広島スポーツ史の転換点


広島ドラゴンフライズがチャンピオンに

広島ドラゴンフライズの優勝で幕を閉じたB.LEAGUE 2023-24シーズン。2016-17シーズンから始まったB.LEAGUEの歴史において、5チーム目のチャンピオンとなりました。

広島ドラゴンフライズはB1に昇格して4シーズン目で優勝となったわけですが、シーズン開幕前に、もっというとシーズン中盤でもこのような結末を予想していた人がどれだけいたでしょうか。

僕はそんな初優勝を迎えたシーズンから応援し始めた立場ですが、B2時代から長く応援してきた方にとってはより一層の喜びなのではないかと思います。

B.LEAGUEのポストシーズンであるチャンピオンシップ(CS)は、西地区・中地区・東地区の上位2チームと、その他のチームを全地区総合で見たときの上位2チーム(ワイルドカード枠)の、合計8チームが出場できます。

Bリーグ公式サイトより

昨シーズンCSに進出し、クオーターファイナルで敗れた広島は今シーズンもCS進出を目指していました。しかし、西地区では琉球ゴールデンキングス、名古屋ダイヤモンドドルフィンズ、島根スサノオマジックが上位争いを繰り広げている構図で、そこになんとか広島が食らいついてたいのですが、CS出場圏内にはなかなか入れない状況でした。そんな広島がCS進出圏内に入ったのはリーグ終盤となる4月中旬でした。

リーグ終盤では、CS進出を直接争う島根スサノオマジックや、後にCSのFINALSで対戦する琉球ゴールデンキングスとの試合が残っており最後までどう転ぶかわからない状況でしたが、1試合を残してCS進出を決めました。

そしてその後、中地区王者である三遠ネオフェニックス、西地区王者である名古屋ダイヤモンドドルフィンズを破り、「下剋上」を果たしてFINALSの舞台に辿り着きました。

そんな広島ドラゴンフライズの優勝までの奇跡は、多くの記事が出ていますので、ぜひそちらをご覧いただければと思います。

優勝の過程で見えた「文化の波及と根づき」の瞬間

本noteでは、そのような素晴らしい功績の道のりの中で、広島ドラゴンフライズと広島スポーツ文化が獲得したものに触れたいと思います。

ドラゴンフライズの立ち位置

そもそも、広島県において広島ドラゴンフライズはどのような立ち位置であるかを触れておきます。広島県は、何と言ってもプロ野球の広島東洋カープが強く根付いている地域です。本当に街中の至るところにカープに関連するものを見つけることができます。ローカルニュースのスポーツコーナーでは、シーズン中でなくても、試合がない日でもカープに関する話題がトップで扱われることも少なくない、それほど象徴的な存在になっています。Jリーグのサンフレッチェ広島も、リーグ創設当初から参加している「オリジナル10」でありながら、広島県内における人気の獲得には一定の時間を要しました。2012年、2013年、2015年の3度にわたる優勝や、2024年から街中に新しくできた新スタジアムなどにより、少しずつ、着実に裾野を広げてきました。

そして広島ドラゴンフライズは、実際に選手が語るようにその2球団を追いかけるように、成長を積み重ねてきたチームです。街中ではスポーツといえばカープやサンフレッチェ、そんな環境下で結果を積み上げてきました。

次に、B.LEAGUEにおける広島ドラゴンフライズの立ち位置についてです。B.LEAGUEは2016年に始まっています。それまでは日本におけるバスケットボールのトップリーグは、長らく2つのリーグに分裂していたのですが、FIBA(国際バスケットボール連盟)からの制裁措置などを契機に、立ち上がったのがB.LEAGUEです。

広島ドラゴンフライズは、このB.LEAGUE創設を2部のカテゴリであるB2でスタートしています。その後、2019-20シーズンにB2西地区優勝、B2全体で2位という成績をおさめ、2020-21シーズンからB1に昇格しています。

ただし、記憶に新しいですがこのときはまさに新型コロナウイルスの真っ最中。2019-20シーズンは途中で打ち切りになっていますし、2020-21シーズンと2021-22シーズンは収容人数50%制限があった時期でした。せっかくのB2西地区優勝、B1昇格といったイベントを十分に活かしきることが叶いませんでした。

今回のCSでセミファイナルに進んだ千葉ジェッツ、名古屋ダイヤモンドドルフィンズ、琉球ゴールデンキングスはいずれもB.LEAGUE創設初年度からB1に所属しており、観客動員数でも毎年広島ドラゴンフライズを上回っています。

つまりB.LEAGUEの他競合チームと比べると、地域への文化の根づき方にも成長の余地がある状況だったのが、広島ドラゴンフライズです。

琉球ゴールデンキングスブースターに見せつけられたGAME1

そんな広島ドラゴンフライズがCSのFINALSに進み、迎えたGAME1。会場は横浜アリーナですので、広島ドラゴンフライズブースターにとっても、琉球ゴールデンキングスブースターにとっても決して簡単に駆けつけられる距離ではありません。

そのような環境下でも、琉球ゴールデンキングスブースターの応援の迫力は凄まじいものがありました。どんなときでも休まず鳴り響く「GO GO KINGS」の声は、会場の雰囲気をぐっと掴んでいたと思います。前シーズンの優勝を含めて、場数を踏んできているからこそ、自分たちの応援で選手を後押ししてきた感覚があるからこその力強さを感じました。

GAME1試合中の様子

そして結果としても、琉球ゴールデンキングスがその強さを見せつけるような試合運びで、琉球の勝利となりました。

巻き返しに向けて、広島ブースターが動いたGAME2

広島ドラゴンフライズにとっては後がなくなった状態で迎えたGAME2。そんなGAME2の試合前には、前日とは異なる光景が見られました。それは、広島ブースターが観客席の各エリアを回って、声を出して選手を応援することを促すようコミュニケーションをとっていました。

新型コロナウイルスの影響がある期間中にB1への階段を駆け上がったチームだからなのか、実は広島ドラゴンフライズの応援は「声を出して応援する」よりも「音楽のリズムに合わせて拍手やツインメガホンで音を鳴らす」ことに重きが置かれているような応援スタイルでした。

そんな広島でしたが、GAME1の琉球ブースターの迫力を目の当たりにして、このままではいけないというように、声を出して応援するような呼びかけが行われていたのです。

実際に試合中も、GAME1よりも多くのブースターが声を出したり、音楽が鳴っていない時間も「レッツゴー広島」の声援を送ったりと、選手を後押ししようという雰囲気がより強く感じられました。

なお、FINALSではオフェンスチームの音楽が流れるため、ディフェンス時は自分たちでリズムを合わせて声を出す必要があります。これを揃えるのはなかなか難しいところですが、琉球ブースターの「GO GO KINGS」の掛け声のちょうど一拍休みが入るところに「ディフェンス」という声を合わせるという裏技(?)を発明し、リズムを揃えることに成功しました。

そんなブースターの声援に応えるかのように、見事広島がGAME2を勝利で終え、決着はGAME3にもつれることとなりました。

GAME2の勝利を分かち合う広島ブースター

スポーツを跨いで広島を繋いだGAME3

GAME1、2は連日行われましたが、翌日の月曜は1日お休みとなり、GAME3は火曜日の開催です。そんな中日の月曜に、あるお知らせが出ました。

サンフレッチェ広島のホームスタジアム、今年開業したばかりの「エディオンピースウイング広島」でGAME3のパブリックビューイングが行われることとなったのです。試合がない日にヨガのイベントなどは開催されていましたが、パブリックビューイングは初めての開催でした。

ただし、何もこれは、急に思いついて実施されていたわけではありません。この「エディオンピースウイング広島」、またその実現に関わってきた方々にとっても一つの目指したい姿だったのです。

そもそも、このエディオンピースウイング広島の実現も相当紆余曲折がありました。ここでは割愛しますが、下記の記事などにその経緯が語られているので、関心のある方にはぜひ読んでいただきたいです。

そんな広島の新スタジアム構想、令和元年に策定された「サッカースタジアム建設の基本方針」では、「1 サッカースタジアム建設の基本的姿勢」として、以下のように書かれています。

 サッカースタジアムは、広島の新たなシンボルとして広域的な集客効果を高めるなど、広島市ひいては広島県全体の活性化につながるものであり、さらに、サッカーを通じた国際交流が期待できる中で、その建設場所である中央公園広場と平和記念公園が一体となった平和発信の拠点となることを目指す。
 また、サッカースタジアムは、サッカーのための施設にとどまらず、都心部の更なる活性化に寄与することが期待され、スタジアムが都心部の再生の起爆剤となるよう、スタンド下を活用した賑わい機能の導入を進めるなど多機能化・複合化を図り、年間を通じて人が集まるスタジアムとしていくとともに、若者を含む幅広い世代が楽しめるような施設とする。
 さらに、旧広島市民球場跡地を含む中央公園全体の空間づくりなどを進めることで、平和記念公園から旧広島市民球場跡地、サッカースタジアム、広島城、ひいては紙屋町周辺に至る、中央公園全体を使った大きな周遊ルートの形成につなげ、この一帯が、中四国地方の発展を牽引する広島の新たな賑わいの拠点となるように取り組む。

サッカースタジアム建設の基本方針(令和元年5月)

ここで語られているのは、サッカーのためだけではなく、都心部の賑わいを創出するための役割を果たすということです。

そして、令和2年に出された「中央公園サッカースタジアム(仮称)基本計画」では、「にぎわいの創出に向けた導入機能のイメージ」として、「パブリックビューイング」という表現が登場しています。建設前から、こういった使われ方を想定していたプロジェクトであるということが分かります。

よって、どこかのタイミングでパブリックビューイングの開催をするための準備はしていたのだと思います。ここまで早いタイミングで機会が巡ってくるとは思っていなかったかもしれませんが。

そして、実際に迎えた当日のパブリックビューイング。

多くの観客が詰めかけたエディオンピースウイングスタジアム
来場者が多かったため追加で開放したゴール裏
バックスタンド席

当初3,800席の開放を予定していましたが、多くの方が来場したため追加で席を開放し、約7,700名の方がパブリックビューイングに駆けつけたのです。

これは、広島ドラゴンフライズにとってもこれだけの人を動かす影響力を持った出来事ともいえますし(7,700名という数はグリーンアリーナで試合を開催して満席となった観客数を上回ります)、エディオンピースウイングスタジアム広島にとっても賑わいを創出するというサッカーのためだけではない役割を果たすという当初の目標を実現した1つの瞬間でもありました。

しかも周りの方々の話を聞いていると、このスタジアムに訪れること自体が初めてという方も多くいたようで、スタジアムの美しさやピッチとの距離に驚き、興奮しているようでした。広島ドラゴンフライズの力によって、これまでこのエディオンピースウイングスタジアム広島に足を運んだことがない方をも動かしたのです。

そして実際にパブリックビューイングも大変盛り上がりました。急遽の開催ながらも飲食売店を営業したり、ビールの売り子さんも稼働したりと、万全の体制で会場を運営することができていました。

そして掴み取った最高の結果。本当に様々な人の努力と、積み重ねがあってこのような景色を創り上げることにつながったのだと思います。

試合後に大型ビジョンに映し出されたメッセージ

なお、手元に写真はないのですが、この日にプロ野球の試合が開催されていたマツダスタジアムでも広島ドラゴンフライズ優勝の一報がスクリーンで出されたそうです。まさに広島一体。

積み重ねと巡り合わせ

広島ドラゴンフライズがたどり着いたFINALSという頂点の舞台。その舞台で共に試合をつくり上げた対戦相手とそのブースターからの刺激。奮起して会場を巻き込んで盛り上げたブースター。それに応えるように躍動を魅せたチーム。同じ広島を本拠地とする他スポーツとの協力と、長い時間をかけた先の巡り合わせ。

地域にスポーツ文化が根付くということは、地道な積み重ねの先に、こういった先駆者や同志の存在があってこそより強固になるものなのだと、改めて感じました。そしてこれは、紛れもなく広島のスポーツ史において大きな転換点となったと思います。

本当に、おめでとうございます。


最後に、素敵なエヴァンス選手の日本語インタビューを。

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