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シンポジウム「葬送の今と樹木葬」レポート

「最初の樹木葬」を再考することで「葬送の今」を深掘りすることを目的に、日本葬送文化学会創立40周年記念公開シンポジウム「葬送の今と樹木葬」が開催された。会場は100人超えの大盛況。

  • 主催:日本葬送文化学会

  • 共催:長倉山知勝院(岩手県一関市)

  • 後援:東京新聞

  • 日時:2024年9月8日(日)13:00~17:00

  • 会場:TKP市ヶ谷カンファレンスセンター3C(3階)

Facebookで告知した内容と当日のレポートを記録として残しておく。

「樹木葬とは何なのか」。
葬送界隈に関わる人間であれば、樹木葬を聞いたことがないという人はいないはず。
一方で、そもそも、樹木葬とは?の問いを立て、本質的な回答ができる人はどのくらいいるのか。
その問いの解を得られるシンポジウムが、9月8日に東京で行われる。
私は会の主催組織の会員ではないけど、碑文谷さんからお知らせをいただき、その主旨に共感しているのでお知らせ

日本最初の樹木葬は、岩手県ではじまった。

岩手県一関にある知勝院樹木葬墓地は、「自然と共生した葬送」を掲げ、人の死を起点に里山が再生されていく。

多くの人が樹木葬と聞いてイメージする「自然に還る」「自然と共にある」といった、ある意味、真の樹木葬。

敬愛する碑文谷創さんがその立ち上げには深く関わっておられ、今回のシンポジウムでは碑文谷さんもお話される。

最初の樹木葬は、現在の巷で流行っているガワを石から樹木に変えただけのお墓の擬態式とはモノが違う。

ここ数年で増えている樹木葬の実態は石のカロートに収められたり、粉骨されて狭いスペースに鮨詰めにされていることを憂い、樹木葬の本質を知る人たちの間では「樹木葬もどき」と呼ばれている。

葬送は儀式や形式に目がいきがちだけど、結局は人の人生や想いと向き合うのが本質のはず。

その器としての「墓」。

人の心情や思想を受け止めるに値するなら、その形に正解はないと私は思う。

だけど、「お墓のことがわからない」「負担をかけたくない」といった生活者のニーズだけを掬い上げたビジネスとしての「樹木葬もどき」や、経営破綻やトラブルが多発しつつある一部の永代供養墓や納骨堂も、墓の形をしたやはり「もどき」でしかないのだろうと思う。

人の心情や思想の器になるはずが、なりきれず、お金と遺骨だけが飲み込まれていく様を恐ろしく思う。

お墓参りの時間軸は長い。
生きた人の記憶を持つ人、その人から話を聞いた後世へと続く。

10年後、30年後の人がみて「なんでこんなところに大切な人の遺骨を、魂を預けたんだ」と思われるモノをつくっていないか。

また、その無計画さから、「なんでこんなものをつくってしまったんだ」と次世代の僧侶や霊園管理者に恨まれるモノをつくっていないか。

文化ではなく、文化を利用した商品を作ることの浅はかさと罪深さ。

今、弔いに関わる身として常にそれを戒めていたい。

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「樹木葬」誕生に込められた想い

シンポジウムでは、お体があまりよくないと聞いていた知勝院の「樹木葬」を立ち上げた千坂住職が東京にお越しになっていた。

自然再生に詳しい須田さんや約款を作成した碑文谷さんのお話もふくめてとても学びが多い時間。

「樹木葬」の誕生をめぐってたくさん貴重な話を聞けた。後日youtubeでその様子は配信されるようなので、以下に、シンポジウムで心に残ったことを記しておく。

当代住職のご挨拶

  • 樹木葬がなぜはじまったのかを知ってほしい

  • 今の樹木葬のありようを見ていると樹木葬の意義が伝わりにくくなったのでないか

  • 本来の意味が見失われ、ないがしろになっているのではないか。

  • 墓地の永続性は考えているのか。霊園の管理不全・破綻は契約している人にとって一大事である。

    • 樹木葬に飛びついたが管理しきれなくなり、樹木葬を放棄する事例。

    • 二年前の納骨堂の経営破綻。

須田真一さんのお話

  • 樹木葬墓地に関わって約20年

  • 里山とは必要な生活資源を手に入れるために人が生活成形資源として設けたシステム。「二次的な自然」とも呼ばれている。

    • 水田稲作。まずは水。ため池や肥料、まきや炭のために林、労働力のために牛や馬と茅葺屋根のための草地。薪は生活、炭は現金収入。落ち葉は薪の原資など。

    • 「二次的な自然」は人間の自然への干渉によってできた。「二次的な自然」は原生的な自然環境(一次的な自然)にとって劣っているので守る必要がないとされてきた。

    • 里山のおかげで1970年~1980年に素晴らしい生き物や生態系があるということが理解された。原生的な自然環境と共に二次的な自然環境も大事と認識された。しかし二次的自然環境は人の手がないとすぐにだめになる。

  • 里山よりも便利なくらしが台頭し、身近な生き物が珍しくなってしまった。

  • 現在の里山再生

    • なりわいの場としての里山はほぼない。里山環境のみ。

    •  知勝院の維持管理作業の多くは過去のなりわりとして行われていた作業と共通。墓地経営=里山そのものが収入になっている。カタチを変えた本来の里山。

  • 知勝院は20年という時間をかけ、こつこつと里山を再生し、知勝院の山だけではなく周辺の自然環境保全にも影響いている。「樹木葬」としてだけではなく、価値の高い里山として認知(入賞、認定)されるようになってきた。

  • 知勝院のような「樹木葬」は全国でも5ヵ所もない。

  • 「樹木葬」をやるのであれば一関のモデルをぜひ見てもらいたい。増えることを望んでいる。

千坂前住職と碑文谷さんの対談

千坂さん:(日本初の樹木葬。はじめるきっかけは?の質問を受けて)葬送の自由をすすめる会の海洋散骨がはじまり、違和感を覚えたこと。「自分らしさ」が主張されるが、生き方が問われるのが葬送ではないのか。
今の僧侶が葬式坊主とよばれるのは仕方ない。懸命に葬儀の法務執り行いつつ、社会的課題にとりくむのが大乗仏教。そういう考えで一介の住職でもがんばってみよう。と思い、樹木葬をはじめた。

碑文谷さん:墓地は「使用規則」が多いが契約なのだから「約款」とした。知勝院の場合は遺骨の埋蔵する場所を選べる。カロートもない。これまでのお墓の規則にないものを作ることを意識した。また、運営側と使用者が同等の関係で契約を結ぶことを意識した。

千坂さん:(日本初の樹木葬。許可の苦労などは?の質問を受けて)住民許可をいただく際、3つの集落の同意を得る必要がある。住民反対はかなりあった。しかし、地道に活動を続け、だんだん評判になっていったことで敷地を4万平米、6万平米と広げる際には苦労することなく理解を得ることができるようになった。

千坂さん:(知勝院の樹木葬形式がなぜ広がらないのかの質問を受けて)はじめるには申請や住民理解など熱量がいる。住職ががんばれないのが原因ではないか。寺と地域の交流人口を増やすことへの意識もない。例えば知勝院の契約者多くが都会の方。宗教にこだわりがない人が都会からこられる。宿泊は光熱費にあたる1000円程度のお布施で提供。また、もてなしとしての自然環境だと思っている。京都のお寺を見ても、美しい庭は来客へのもてなし。庭先で帰すのではだめ。お寺に入って来ていただくためのおもてなしを考える必要がある。一生懸命ではなく、一所懸命。土地のつながりを実感して生きてきたのが日本人。

千坂さん:(「樹木葬」を商標登録しなかった理由の質問を受けて)他の寺院にもがんばってほしいとおもったけど、全然そうはならなかった。墓地の一角を業者に任せきりの形が増えた。想いが伝わっていない。
碑文谷さん:千坂さんは「葬送の自由をすすめる会」が自然葬を利用していたので断念したが本当は自然葬にしたかった。やむなく樹木葬としか経緯がある。この理念を広げていきたいのと想いで、商標登録をとらなかったが結果的に樹木葬もどきがはびこった。我々の好意が仇で返された形。

碑文谷:お寺になぜ普及しないか。お寺はもっと地域とあることを考えなければいけない。いろんな課題にとりくむべき。1ヵ寺でできないのなら複数でも。お寺がもっと主体性を持ち、市民がお寺の資源を利用した活動ができるようになったほうがいい。

千坂さん:(韓国にも招待されたのはなぜ?の質問をうけて)韓国は儒教の国。五行思想がある。木火土金水。木が土にかつとされて木が忌避される考えがあるので、墓地に木はない。朝鮮戦争で山が荒れて、資源としての木の観点で国家公務員が知勝院に視察。その流れで樹木葬が流行っている。向こうには生態系としての観点がない。木を生き物として扱ってない。木を利用しているだけ。それは日本の今の樹木葬と同じで憤りを覚える。

碑文谷さん:世界でもイギリスなどで樹木葬がはじまったのは知勝院と時期がかさなっている。たしかに自然は求められているが、「自然風」を装うのはちがう。また、知勝院のような里山型「樹木葬」に限らずさまざまな形の樹木葬、納骨堂、永代供養墓はあり、やりかたは違えど中にはちゃんとしているものもある。弔う人弔われる人の権利があり、自分たちの生き方を見直して双方として価値観にあっているかを選択する時代。


以上レポート。
以下はシンポジウムを受けての私の考えを整理した記事。


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