すぐ隣にあるもの。
前回から久しく間が空いてしまった。
もう10月に入って数日が経ったが、9月の半ばから連日「事故報告」のオンパレード。ようやく落ち着いた感はあれど、緊張は取れない。
新型コロナウイルスについては、ひと頃に比べれば落ち着いているように見えるが、あと2回り・1回りというところまで近づいてきている。それは実際の感染もそうだけど、感染による社会的影響というのも確実に忍び寄ってきている。だからの事故報告なんだけども。
精神に障がいのある方と関わる仕事をして早いもので25年近くなった。
「死」はすぐ隣にあり、突然やってくることもある。
毎日当たり前のように接している人が、ある日突然いなくなることは何度も経験してきたし、これからも起こる。
どうしてその日だったのかはわからないままだけれど、その人にとって「死」は日常であって、何かのきっかけが身体的な死を迎えたのではないかと思う。覚悟を決めた「もういいや」ではなく、「もういいかな」というくらいのもの。そう考えるしかない。
その「もういいかな」ということが最近増えてきているように思う。
あのライブまでは生きていよう、あの本を読むまでは仕事頑張ろう。
そういった実感を得る小さなものを得るために、人は生きている。
新型コロナが落ち着いたらという希望は、見えない閉塞感に変わってきていて、それをどう乗り越えようかというところまで行き着く人はなかなかいない。そこは求めてどうにかなるものではないし、他人から見た社会的ステータスやらは関係ない。
結局のところ、僕らができるのは日常である「死」と非日常である「生」のバランスをどう示唆できるかなのだろう。生きる事が当たり前ではなく、生きていると感じる瞬間を得るにはどうしたらいいか。
前提を崩して、やり方も変えていかないとこれから先は厳しい。
「生」も「死」もすぐ隣にあり、必ずやってくるもの。
それはどちらも容易く、そして難しい。