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「笑わない男」はなぜ笑わないのか?

先日、録画されたある心理学のウェビナーを視聴しました。マインドリーディング、つまり人の心を読むことについての講座で、7つの感情(幸福、恐れ、嫌悪、悲しみ、驚き、軽蔑、怒り)から表出される顔の表情は性別、年齢、人種に関わらず全世界共通であり、人の表情から心を読みとれるという話をされていました。
この基本的な感情が全世界の人に共通で表情も共通しているという話、これまでは感情研究では確かに常識とされてきたのですが、実は科学の進歩もあり近年の研究で覆される結果が示されるようになっています。
ちなみに、それぞれの感情がどのような表情になるのか興味ある方は、代表的な研究者であるポール・エクマン博士の名前「ポール・エクマン」でGoogle検索して、検索結果を「画像」に切り替えると表情の写真を見ることができます。

ノースイースタン大学のリサ・フェルドマン・バレット特別教授の著書『情動はこうしてつくられる ~脳の隠れた働きと構成主義的情動理論~』によると、これまでの情動理論では次のように説明されてきました。ここで感情と情動は厳密には違うのですが、この記事では同じことを指していると考えてください。

情動とその表現は、太古の時代から受け継がれてきた人間の普遍的な本性の一部であり、世界のあらゆる人々が、いかなる訓練も積むことなく情動表現を顔に出し、認識できる

しかし、バレット氏の研究によると基本情動は先天的なものではなく、人が生を受けてから社会で生きていく中で構築されていくものであり、したがって変化するものであるとされています。つまり全世界共通では無いということになります。なお、この著書では基本情動は「怒り、恐れ、嫌悪、驚き、悲しみ、幸福」の6つとされています。

「でも、感情に対する表情ってだいたい同じですよね?」と思う方も多いかと思います。ではなぜ同じような表情をするのか?私たちの社会には「しかめ面をしている人は怒っている」「口をへの字に結んでいる人は悲しんでいる」といったステレオタイプ(固定観念)があり、生まれてから大人になっていく過程でそのステレオタイプを社会から自然と学ぶことによって同じような感情表現になります。したがって同じ地域で育つ、同じ国で育つなど、育った文化が近ければ近いほど感情表現が似てきます。また日本ではよくハリウッド映画など欧米の映画やドラマを見る機会が多いですが、そのような映像を見ることで欧米の感情表現が私たちに浸透してきていることもあると思います。でもちょっと考えてみてください、欧米の方たちと同じような感情表現を私たちはしているでしょうか?近い部分もあると思いますが、表情の動きの大きさなどやはり違いはありますよね。

ここで、昨年開催されたラグビーワールドカップで日本代表として活躍された稲垣啓太選手について触れたいと思います。ワールドカップでの活躍があり、またラグビーを日本でもっと広めたいという稲垣選手自身の意思もあり、ワールドカップ終了後からラグビートップリーグが始まるまでの期間、稲垣選手は精力的にテレビに出演されていました。そして「笑わない男」としても有名になりました。多くの人が笑うような場面でも笑っている姿を決して見せず、でも本人は「とても楽しんでいる」と言います。また笑顔はないままに面白い話もされるので、そのギャップが見ている私たちにとってまた面白く感じられました。

ではなぜ、稲垣選手は笑わないのか?私も含めて多くの人にとって面白いことがあると表情を崩して笑うことが常識になっていますが、ここで先ほどのバレット氏の研究の話を思い出してください。稲垣選手が人前で笑わないように我慢しているのか、それとも自然の振る舞いなのかはご本人にしか分からないことですが、そもそもバレット氏の研究から「人は面白いことがあると表情を崩して笑う」という考え自体が私たちの持つステレオタイプということになります。つまりこの記事のタイトル『「笑わない男」はなぜ笑わないのか?』という問い自体がナンセンスということになります。

このように感情や、感情から作られる表情は人の遺伝子や脳にプログラムされたものではなく、社会生活の中で作られてきたものです。私たちは「あの人は表情が豊か」とか「あの人は表情に出ない」など、表情による表現についてとやかく言うことがありますが、少なくとも相手を傷つけるような言動は控えた方が良いでしょう。そしてマインドリーディングに話を戻しますが、表情から心を読み取ることは難しいと知っておくことが大切です。社会的関わりの中で感情や表情が作られるので、もちろん同じような環境で育った人であれば似てくるでしょう。しかし当然個人差がありますし、お互いの育った環境が異なれば表情も変わってきます。グローバル化が進んでいる昨今では、表情から心を読み取る試みがミスコミュニケーションを引き起こす原因になる可能性もあると思います。

さらに言うと、ウェビナーを視聴してて「そもそもマインドリーディングは必要なのだろうか?」という疑問が私としては湧いてきました。必要な場面ってどんな時でしょうか?例えば営業の仕事をしている人が顧客と交渉する時や何か買う時に値切り交渉する時などが考えられます。しかし日本の商習慣としてマインドリーディングを駆使してまで交渉を行う場面は私の感覚としてはあまり想像ができません。私は現在ITエンジニアと研修講師の仕事をパラレルキャリアの形でしており、また8年前には37歳にして農家になろうと1年間農家修行をしていたので合計3つの業界の経験がありますが、正直私の今までの人生の中でマインドリーディングが必要と感じたことはありませんでした。

日本ポジティブ心理学協会の代表理事である宇野カオリ氏の著書『逆境・試練を乗り越える!「レジリエンス・トレーニング」入門』にも書かれていますが、マインドリーディングはレジリエンスを低下させる原因になることもあります。例えば、皆さんが顧客に対してプレゼンしている時に相手の反応が悪いということに気づくことは大切です。これは心を読むのではなく空気を読むと言った方が適切でしょう。ここでマインドリーディングを試みるとどうなるでしょうか?相手の心を正確に読み取ることは不可能に近いですし、むしろ相手の心が気になってプレゼンに集中できないなど悪影響が出る可能性があります。このような時は「不明点がありましたらご質問ください」とか「何か気になるところなどあるでしょうか?」と相手に振って意見を言って頂くのが間違いないですし、皆さんの心も健全な状態を保てると思います。
皆さんの身近にいる方で尊敬する人を数人思い浮かべてください。その方たちは普段マインドリーディングをしているように見えるでしょうか?その答えが皆さんにとってマインドリーディングが必要かどうかのヒントになると思います。

マインドリーディングをお伝えしている人を否定するつもりはありませんが、私の個人的な意見としてはマインドリーディングを習得することに時間をかけるよりも、人との信頼関係を築くことに力を入れた方が良いと考えています。普段から誠実に接して、お互いに率直に会話ができるような信頼関係が築けていれば、相手の心を読む必要は無くなるでしょう。今後、信頼関係を築くことに役立つ心理学の研究についても私のnoteで書いてきたいと思います。

心理学の研究は人生にとても役に立つと考えていますが、現在の日本の義務教育の中では学ぶ機会がほとんど無いのが実情です。そのような実情もあるので、私は講師としてビジネスや人生に役立つ心理学の研究をお伝えしています。今回この記事を書いていて改めて感じたのは、心理学の研究は色々な形で活用できますが、そもそもどのように役立てるのか、伝える人、学ぶ人、それぞれの「心のありかた」がとても大事であるということです

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