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1億円の低カロリー(ロング版)

 王様は困り果てていた。

 彼は中年だがすらりと背筋が伸び、良質な筋肉に覆われていて、肌の血色も良い。

 これもひとえに一時の誘惑に負けて贅を尽くすことなく、食事制限や運動など青年期からたゆまぬ努力を重ねてきたため、ではない。

 実のところ世界は完全に進歩しきっていて、美味しくて健康に良い食品は開発され尽くしているのだ。

 昔のように血のにじむようなダイエットなどをせずとも、ストレスフリーに理想的な身体プロポーションを保つことなど現代では造作もない。

 ただし金さえ出せば。そしてここは王家。幸い、出すべき金など掃いて捨てるほどあるのだった。

 幸せに長く生きる上で何より大切なのは健康といっていい。

 食糧事情の未発達だった中世にあっては、好きなだけ飲食できる貴族はでっぷりと太り、明日の食事にも困る貧しい下々の者は痩せ細るというのがお決まりのパターンだったらしい。

 しかし現代は、その逆である。健康にお金を使える裕福な者はほっそりと、安価に手に入るカロリー増し増しのジャンクフードを貪る下流の民はだらしない体型を持て余すのだ。

 そんな現代の格差問題など、実のところ王様にとっては他人事であるはずだった。自分と同じくスタイル抜群の王妃様と結ばれ、その愛の結晶である姫様にも恵まれた。

 食糧とも言えないような粗悪品の出回っている市場を高みの見物と決め込む、そう信じて疑わなかったのに。

 生まれた一人娘には幼い頃から食育を重視した。様々な食感、味の料理を一流シェフと一流食品メーカーの協力のもとに与え、王家の姫様に相応しい食生活を提供した。

 しかし姫様は何を食べさせても、「まずいこれ嫌い」と吐き出してしまう。中世の奴隷のようにみるみる飢えていく姫様に王宮は弱り切った。

 そんなとき、侍女が隠し持っていたスナック菓子を見つけた姫様は取り上げるやいなや、お口に掻きこみ満面の笑みを浮かべたのだ。

 ばつの悪そうにする侍女とは対照的に、安堵する王様と王妃様。その日から姫様は、侍女が市場で買い集めてくるタダ同然の菓子を主食にして、豊満な体型へとお育ちなさっていった。

 姫様の食欲は止まらない。相変わらず偏食で、それでいて菓子だけは人並みの二倍、三倍は食べるのだ。

 王家にスナック菓子が大量に売り捌けることに気付いた菓子メーカーはこぞって、ロイヤル仕様の高級スナック菓子を発売した。包装にこだわり、形状や色合いにこだわり、しかし中身は脂分たっぷりのジャンクフードでなくてはならない。

 王様は低カロリーなスナック菓子を開発するよう、メーカーに補助金を積んだ。その額、国家予算も驚きの一億円。

 そうして出来上がったスナック菓子は、桐の箱に入れられて届いた。金糸の混じった不織布を開くと現れたのは、黄金色に輝くテカテカでサクサクな一口大の塊たち。

 しかしその実態は科学の粋を集めて、食物繊維を口当たり良く香ばしく仕上げた健康食だった。

 にこにこと見守る王様、王妃様、侍女やシェフ、メーカー担当者を尻目に姫様は言った。

「残飯はポチにやってちょうだい」

 シェフはぎょっとした。

 王族に食べさせている健康食の正体は、平民が肉を食べた後の骨や、甘く柔らかい実を収穫し終えた後の茎や根など、栄養の失われた残骸を材料に、科学的に栄養素を添加して精製したものだったから。

 開発費が高いだけの残飯を有難がって常食する王様や王妃様に育てられながら、この娘はなんと真実を見抜く力に優れているのだろう。

「姫よ、馬鹿なことを言うでない。お前は王家の者ぞ。正しい味覚を身に付けねばならぬというのに、なぜこんなことに。ああ、嘆かわしい」

 苦悩する王様を前に、シェフは思う。美味しさとは幼少期からの洗脳なのだ。

 健康と引き換えに、豊かな食生活と縁を切った富裕層こそ、現代の格差の被害者であるとシェフは人知れず感じた。

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