この活動で戦う相手とは 

 この署名活動は性的な漫画やゲーム作品自体の規制を求めるものではなく、すみ分け/ゾーニングの必要性を訴えたものです。

 レンタルビデオ店や書店でも、18禁コーナーは区切られて隠されていると思いますが、現在のインターネット環境は、店の入り口を入ってすぐのところに性的な書籍やビデオが陳列されているようなものです。

 これを、表現の自由や経済活動という理由で放置している国で良いのでしょうか?

 性的な広告が無差別に表示される現在のインターネット環境は、表現の自由(の名を借りた全く別のもの)のみが尊重されてしまっている状態です。

 適切にゾーニングをすることで、作品自体の表現の自由を損なうことなく、こどもが偏った性知識にさらされないこと、性的なものを見たくない人が(見たくない時に)見ないですむこと、性的な広告に暴露されずに調べたいことを調べられること、一部の性的な作品がこどもや女性の人権侵害だと感じる人が心を乱すものに接しなくてすむこと、広告ブロッカーによって必要以上に広告の機会を失っている非性的な広告たちなど、表現の自由の名のもとに侵害されている多くのことに配慮し、最大多数の最大幸福を実現できると考えています。

(本来表現の自由を含む個人の権利を唯一制約する根拠となる、「公共の福祉」です。)

衆議院「公共の福祉(特に、表現の自由や学問 の自由との調整)」に関する基礎的資料https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/shukenshi046.pdf/$File/shukenshi046.pdf

 ここまで、今回の問題の前に立ちはだかっている(と多くの方に誤解されている)表現の自由と規制の話をしてきましたが、それらの問題は非常に奥深く、様々な考えの人がいて当然です。

 ただし、インターネット上で性的な作品の広告が無差別に垂れ流されていることは全く別の問題で、表現の自由という崇高な問題と混同して難しい話にするのはナンセンスだと思っています。

 インターネット上の性的な広告をゾーニングすることが表現の自由の侵害になるか、という点については、現在性的な広告/作品が適切にゾーニングされているテレビ・新聞などのメディアや公共交通機関での広告が表現の自由の侵害であるか、レンタルビデオ店や書店で(性的かどうかに関わらず)作品の分類により陳列棚を分けること=ゾーニングが表現の自由の侵害であるかを考えると答えは明白だと思います。

 最後にとても大切なことですが、「エロ広告」を憎むあまり、性的な漫画やゲームを密かな趣味として楽しんでいるだけの、犯罪を起こすことなく生活している人達をまるで性犯罪者予備軍かのように憎むことは私は誤った考え方だと思っています。

 今回の規制活動で戦う相手は、無差別に表示される性的な広告であって、その作品を楽しんでいる人達ではありません。


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