自己紹介します。

1980年 昭和55年 1月23日 生まれです。 Go Go 1, 2, 3 ! と 覚えやすい誕生日です。 1月23日 生まれには、ジャイアント馬場さん や 葉加瀬太郎さん などがいます。 旧暦の 1月23日を含めると、西郷隆盛さんもそうだったらしいです。


私は、本当に幸運にも、素晴らしい先生方に恵まれてきました。 「先生」それは、私にとっては魔法の言葉でした。私も「先生」になりたい、強く思いました。 先生方に、憧れて、少年期、青春時代を過ごすことができました。

中学校2年生の立志式では、「小学校教師になります」と書きました。

そして、高校入学後は、静岡大学 教育学部 小学校教員養成課程 社会科専攻に入学することを目標に、勉学に励みました。 当時、静岡大学 教育学部には 小和田哲夫先生が教授としていらっしゃいました。 日本史の第一人者です。当時から NHK大河ドラマの歴史考証を担当していらっしゃいました。 現在は、静岡大学では名誉教授という称号です。 定年退官なさっています。でも、歴史の第一人者として今も大活躍なさっていますね。最近では、ご子息の小和田泰経先生も、日本史の世界で大活躍していますね。高校時代、小和田哲夫先生から直接、日本史を教わりたいと強く思っていました。 でも、その夢は叶わず、私の学力では、静岡大学には合格できませんでした。 同じ静岡県内の常葉学園大学 教育学部 初等教育課程 社会科専攻に入学しました。 社会科専攻の日本史の教授は小和田哲夫先生と同じ大学の同級生だったそうで、少しご縁を感じました。小学校教師になることを目標に一途に勉学に励んだのですが、疾病し、大学三年生の時からほぼ一年間大学に行けなくなりました。 幸い、2年次終了までに160単位取得できていたので(当時は単位上限制度が緩く、2年間で卒業に必要な単位数のほとんどをそろえることが可能でした。少しだけ、4年生にならないと受講できない必修講座もありました)一年間、大学に通うことができませんでしたが、4年間での卒業はできました。 ただ、小学校教員免許は取得できませんでしたし、就職活動もまともにできなかったので、それに加えて、いわゆる、就職氷河期でもあったので、就職先も決まらないまま、常葉学園大学を卒業しました。 ただ、当時の僕には、自尊心が今以上にあったので、友達には「近所の雑貨屋で働くことになった。」と言っていました。友達にも、仕事が決まっていない、不安、怖いと打ち明けることができませんでした。当時の僕は、自分をさらけだすことができなかったのです。

皆様が指摘されていることですが、日本では、卒業時に進路が決まっていない場合、人生の軌道修正が、本当に難しいです。 大学卒業後、「無職」、履歴書で、どうやって、記入しよう、悩んだものです。

本当に不本意にも、10社もの会社を、渡り歩きました。 うち4回解雇されました。 また、ほとんどが非正規雇用の立場でした。 現在40歳ですが、これまですべての職場で、常に最下層の地位でした。 

今の10社目の会社では、幸運にも正社員になることができました。また、4年前から活動している日本語教育でも意欲的に楽しく活動できています。40歳にして、ようやく、心地好い生き方ができるようになりました。 私は小学校の先生には成ることができませんでした。(書き忘れましたが、玉川大学 の 通信教育で、念願の小学校教諭第一種免許状は取得できました。)でも、日本語教育に巡り合うことができました。 幸せです。 

私は、職場で、ずっとずっと最下層の地位でした。 技能実習生などの立場で働く外国人の皆様と汗も涙も一緒に流してきました。 そのことが、日本語教育に大きく役立っています。 外国人の皆様と一緒に働いたことで、外国人の皆様が現実に直面する仕事での困難をリアルに知っています。 職場で大切な日本語が、日本語教育と言う観点で、よくわかるようにまりました。

これからも、日本語教育にずっとずっと携わっていきたいと思います。

#自己紹介

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