【中年の危機を生き延びる】(6)コントロールできることだけにフォーカスする
借金問題の解決に「ウルトラC」がないことはわかりました。となれば、まずは足元を固めて、地道に返済していくしかありません。これまでの私に一番足りなかった考え方、と言ってよいでしょう(笑)。
さしあたっての目標は、「奨学金第二種の340万円を貯めること!」
このようにして、ひとまず「お金の問題だけに集中する」ことには、次のような効用がありました。
それは、「無力感の緩和」です。
私はお金の問題のほかに、離婚の問題(ここには「元妻に申し訳ないことをしてしまった」という罪悪感、「一生ひとりで生きていくことになるかもしれない」という孤独感、そして「子どもが欲しかったけど叶わないかもしれない」という失望感、なども含まれています)も抱えていました。
この問題については、コントロールできない要素があまりにも多すぎます。自分にとって切実な問題ではありますが、そこに全力で向き合っても、無力感が募るばかりなのです。
それに比べれば、お金の問題はまだ対処のしようがあります。短期間で結果が出やすいですし、しかもそれが数字として可視化されます。まずはこの「コントロール可能な問題」だけに注力することで、無力感をある程度払拭することができました。
お金の問題のいいところは(というと語弊がありますが)、お金は数値化されたものなので、ゲーム感覚で取り組みやすい、ということもあります。シューティングゲームで得点を稼ぐように、あるいは、ロールプレイングゲームで経験値を稼いでレベルを上げたりするように。
具体的には、貯蓄用の銀行口座を作って、そこのお金を少しずつでも増やしていけば、「状況はだんだん良くなっていっている」という右肩上がりの実感が得られます。自然と気持ちも前向きになってくるというものです。
人間の幸・不幸の感覚については、「今いくらお金を持っている」とか、「今これだけ高い地位にある」という「現状の絶対値」よりも、少しずつでも「増えていっている」とか「良くなっていっている」という、「変化の方向性」のほうが重要な気がするのです。
たとえば、10億円の資産を持っている人が、その半分の5億円を失ったら、「もうダメだ。自分はなんて不幸なんだ……」と思ってしまうかもしれません。まだ手元に5億円も残っているのに。一方で、100万円の資産しかない人が毎月10万円ずつ増やしていけたら、「いい感じやわー。これからますますいいことありそう!」となるでしょう。
これは日々の気分の変化や、生活環境の変化などについても言えると思いますが、ことお金については明確に数値化できるので、より実感しやすいのではないでしょうか。
考えようによっては、「一度どん底まで落ちてしまえば、その後の幸福は約束されたも同然!」とも言えそうです。ただ、どん底と思っていた場所にまた落とし穴があったり、そこからさらに自分で穴を掘ってみたり……なんてこともなくはないですが、まあ、そんなことは考えないに限ります(笑)。
もうひとつの効用は、「お金を稼ぐ」ことによって自己肯定感が高まる可能性がある、ということです。
私にとって「お金を稼ぐこと」の直近の目的は、ひとまず「借金を返すこと」ですが、その延長線上には、生活自体が楽になったり、自由度が増したり、さらに何かが間違って資産家にでもなれば、尊敬されたりする可能性まであるのです。しいて言えば、そこが資本主義社会のいいところなのです(笑)。
私は拝金主義を嫌悪しますし、資本主義自体にも多くの問題があります。「金が全て」という考え方が説得力を持ってしまうような社会は、はっきり言ってどうかしています。けれども今回の経験を経て、「そのような価値観によって救われる命もある」ということに思い至りました。
私は「中年の危機」に陥ったことで、主観的には「全てを失った」ような感覚になり、深い絶望感を味わいました。そんな中で、それこそ天から降りてきた蜘蛛の糸にしがみつくかのように、「とりあえず金を稼ぐ」ことだけに意識を向けたのでした。それぐらいしか「コントロールできそうなこと」がなかったのです。
自分本来の価値観でいえば、それは本質を見失った空虚な生き方です。けれども、「全てを失った」この時点においては、たとえそれが空虚であろうと、煩悩や欲望に突き動かされているだけであろうと、「今日を生きるエネルギー」になりさえすれば、それでいいのです。まずは生き延びなければならないのです。
そんな状態を体験してからというもの、テレビやネットなどに登場する「成り金」的な人や、「金が全てだ」的な人に対する見方が変わってきました。それまでは単に嫌悪感を覚えるだけだったのですが、今では、「この人も辛い思いをしているのかもしれない」「生きるために精一杯頑張ってるのかもしれない」と思うようになりました。
その人たちは、文字通り「そこにしか活路を見いだせなかった」のかもしれないのです。もちろん全ての人がそうだとは思いませんし、「ひとつの可能性としてあり得るかも」ぐらいのことですが。
これは、私にとって大きな発見であり、思考の転換でした。「中年の危機」の効用と言ってもいいかも知れません。私の友人に、「学びの先にあるのは優しさ」という名言を吐いたやつがいますが、なるほどこういうことか、と思ったりもしました。
いずれにせよ、この資本主義社会で生きていくにあたって、お金はまず必要不可欠です。というか、非常に便利です。にもかかわらず、私はそこから目を背けていましたし、軽視していたところがありました。その意味でも、まずは「お金の問題にフォーカスする」ということは、私にとって非常に有意義なことだったのです。
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