造形と身体:推測と超越(粘土1) / 制作日誌1
久し振りに粘土を取り出して造形をした。単純な制作なら十年ぶり、それ以外のものも含めると半年ぶりくらいだろうか。
粘土を扱うと、自分の身体と粘土がかけ離れていることに愕然とする。普段スマートフォンを覗く時のように、ディスプレイに表示されるキーボードをフリックする時のように、意志と身体が一致してタイプを生み出すことを許さない。粘土は、常に私の外部である。今は手のひらに収まるような大きさだが、これがもしも、自分の身長よりも大きな塊だったらどうだろうか。
粘土を捏ね、造形する。造形するために形を推測する。けれど、推測の域を出ることができない。推測されたように粘土は形を変え、塊に貼り付き、私の考えた形を表していく。ヘラの先で小さな窪みを作る時、人差し指の先で塊の先を押し込む時、二つの塊をそっと近づける時、私は白い塊を見つめる。否、本当に見ていたのだろうか。私が見ていたのは、ただこの白い塊と共にある、掌の動きだけではなかったか。
もしかすると、初めから推測などなかったのかもしれない。想像しうる工程があったが、私は最後に出来上がるものを想定していただろうか。私は初めから、何が出来上がるかを知っていただろうか。
初学者の限界は、想像しうる工程があまりにも少ないことだ。そして、この塊がもたらす限界も上限も、十分に知り得ないことだ。
それを超えた先に、私は私でないものと出会うことができるだろう。
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