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清掃業に転職して賛否両論だった話。

清掃業。
これほど世の中に必要とされるお仕事はなかなかないんじゃないんでしょうか?

それと同時に、ある種の憐れみを受ける仕事でもあります。

今回はまだ清掃業者に内定をもらったばかりの時の私がそれを実感するお話です。


大いなる賞賛と賛美

私が退職してニートをしていることをひそかに憂いていた人たちが居た。
それは大学時代に合った数々の友人!

友人たちは、私のことを過大評価していた。
曰く「各学校に一人はいてほしい」曰く「政治家にもお前みたいなやつが居ればいい」。

実際のところそんなに立派ではない私だが、継続的なボランティアと誰彼構わず話しかける節操のなさがいい方向に働いているとこういう評価が下るのだろう。

そんな私が誰にも会わず部屋にいる事が友人たちの心配事だったらしく、それがうっとおしかった。

誰にも必要とされていないと自己嫌悪に至っていた私。
そうなったのは社会の状況でも何でもなく、私が原因。
ぐうたらな私に対して、心配するなんて……。

ただ、そんな友達たちの影なる祈りのおかげでここまでこれたことは自覚していた。
そのまま関係をフェードアウトするのもどうかと思っていたので就職の報告。

すると、その情報が広まったのか次々とおめでとうの賞賛と賛美の言葉が送られてきた。


思わず、どういう反応をしていいか分からず困ってしまった。
社交辞令的にありがとうと伝えた。

それからも友達の「清掃業はいい仕事」「AIに取られない!」「立派な仕事だ!」などのお言葉が届く。

余計に困惑したが、私の人生は既に次の段階に入っている!
通知音が鳴り響くスマホを床に置いて、次に報告する人の帰りを待っていた。


親の心、子知らず

友人たちからの賛美に困惑していたところ、母親が帰宅。
母は私の状態をひどく心配しており、年も年なのに申し訳ないと思っていた。

なので一番先に対面で伝えようとサプライズを行った。

テレビを見てる母に対して後ろから「面接決まったよ!」と報告をした。
母はうれしそうな笑顔を見せた後「どこの会社?!」と聞いてきた。

私が「近くの清掃会社」と伝えると、表情が一変。
「そこに決めたわけじゃないんだよね?」と聞いてきた。
私は「空白期間が半年になる三十手前のやつが入れる場所なんてないよ」と市場の真実を語った。

すると烈火のごとく怒りだし、要領を得ない。
挙句の果てには、まだ入社してもない会社の社屋をけなし始めた。

更に母は畳みかける。
大学は何のために入れたの、どうしてお母さんを安心させてくれないの。
何も悪いことをしていない息子に対して、なぜか感情に訴えかけてくる。

それが私の燃え上っている状態に油を注いだ。
私も烈火のごとく怒った。

しかしそこはいい年した親子、らちが明かないと思った私たちは口を利くのを辞めた。


これが我が家の新年の出来事だ。

面接日まで時間があったこともあり、好きなゲームであるテラリアと読書と料理の贅沢な日々を送っていた。

その時間は楽しく、まさにこれこそが人生。
そう思っていた。

ただ、母の額から飛び出た二本の角はおさまりが付かない。
仕事から帰ってきては小姑みたいに私の職業にケチをつける。
恐ろしいことに、まだ入ってもない会社の悪口と業界に対しての差別的発言を繰り返したのだ。


しかし、母は昔からこういう人物だということは知っている。
母には一定の基準があるのだ、それは人権を所持するに値する基準だ。

私はちゃんとした人権の教育を受けてきたので、人権に基準はないのだが母親はそうじゃない。

ある地域の出身、ある県の出身、ある職業、ある学校。
とにかく人として扱うのに一定の基準が彼女の中にある。

私はそれからこぼれがちだったが、苑で学んだ事が大きな財産となっているので気にしたことはない。
が、一緒に暮らすとなると、やかましくて仕方がない。


本来であれば、ここで暮らして楽しく仕事をしようと思っていたが、お金がたまり次第出ていくことにした。



評価と判断を下す人たち~次回予告

こうして天と地ほどの差がある就職に対する反応を味わった私。

文字で見ると母がひどい人で友人たちが良い人のように思える。
ただ、私の受け取り方は違った。

私はどちらの反応に対しても「評価」を与えられ「判断」を下されたと感じた。
もちろんあけすけにそれを公表することはないが、決していい気分ではなかった。

ただ、母の反応と評価よりは友人たちの言葉の方がうれしい。
それは間違いないのだが、両方からの言葉に一抹の寂しさと隔絶を感じたのも事実。

私が介護に就職すると決めたときは違った。
単なる「疑問」だった。
だから真剣に答えたし、それに対してちゃんと答えてきた。

ただ、今回は違った。
同じ目線での疑問ではなく、ある立場からの評価と判断。
母に対してはしょうがないと思っているが、友人たちからもその言葉を受けるとは思っていなかった。

正直落胆した。
いじめられながらも学校に通い続けたときも、大学のサークルではぶられた時も、施設で新人いじめにあったときも泣かなかった私がこの時ばかりは泣いた。
就職が決まって感情的に高ぶっていたかもしれない。


どうして清掃業に入っただけでこんな仕打ちを受けなければならないのだ。
私は答えのない疑問に大学ぶりにぶつかってしまった。


悩んでいる胃間にも時間が進む。
そうしてついに面接の日がやってきた!!!!

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