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日本の男尊女卑についての考察㉙(古事記⑤出雲神話③大国主②共に国を造る。)

いつも読んでいただき 
すごく嬉しいです。
今回もよろしくお願いします。

前回はオオクニヌシの
身の回りのお話でした。
その実は、外交のお話に
通じる内容でしたね。

今回は国造り
いわゆる内政のお話と
言えるかもしれません。
それでは、始めてまいります。

ここは、何処かの浜辺
オオクニヌシは国造りを行う
上で一人では、とてもではないが
成し得られるものではない。
と浜辺で途方に暮れていました。

すると海の彼方から
天乃羅摩船アメノカガミノフネに乗っている。
(ガガイモで造られた船)
とても小さき神が
浜辺に到着しました。

その小さき神は蛾の衣をまと
腕組みをしながらオオクニヌシを
じっと見ています。

オオクニヌシはその小さき神に
「何処からこられた神なりや?」
と尋ねましたが、その小さき神は
じっとオオクニヌシを見たまま
一言も言葉を発しません。

このままではらち
開かないからと
オオクニヌシは案山子カカシ
久延毘古クエビコ
仔細を説明しました。

するとクエビコは
「その神様は、カミムスビ様の
指の間から産まれ落ちられた
少彦名スクナビコナ様に違いあるまい。」
と答えました。

オオクニヌシは浜辺に戻り
小さき神に
此方こなた様はスクナビコナなりや?」
と尋ねました。
すると、小さき神はとても大きい声で
「やあ!我こそはカミムスビが子
スクナビコナなり!!」
と叫びました。

すると天から
「オオクニヌシよ。
これよりは、我が指の間から
産まれいでたる子
スクナビコナと共に
国造りに勤しむがよい。」
とカミムスビが
オオクニヌシに語りかけました。

二人は、とても仲がよく
時には争い、時には協力し
国造りに励みました。
出雲国風土記には
この頃の様子がさらに
詳しく記されています。

スクナビコナの協力のおかげで
医療(湯治)、呪術、穀物、知識
酒の製法、石の活用術などが
整備されたと記されています。

そんなある日、
スクナビコナがオオクニヌシに
「オオクニヌシよ。我は、
今からここを出立しなければ
ならなくなった。」
と伝えました。

オオクニヌシは驚いて
「それは困る。まだ国造りも半ば
これより先、我一人ではとても
遂げられるとは思えぬ。
どうか、ここに留まって今までの
ように共に国造りを
してくれまいか?」
とスクナビコナに懇願しました。

しかし、スクナビコナは
首を縦には振らず言葉を
伝えました。
「我は、是が非にも行かねば
ならぬのだ。オオクニヌシよ。
我は、この海の彼方にある常世国トコヨノクニに、
向かわねばならなくなったのだ。
其方そなたなら大丈夫である。
我は、この国を去るが、其方ならば、
この国を立派に造りあげることが
必ず出来ると我は固く信じて
おるからな。」

そう言うと、スクナビコナは
また天乃羅摩船アメノカガミノフネ
飛び乗って、瞬く間に
海の彼方にある常世国トコヨノクニ
旅立っていきました。

スクナビコナを失った
オオクニヌシはとても悲しみ
浜辺で膝から崩れ落ちて泣きました。

すると、海の上が突然光だし
オオクニヌシを照らしました。
それに気づいて顔をあげると
オオクニヌシを見下ろす
新しい神が現れていました。

「オオクニヌシよ。
我は其方そなた幸魂サキミタマ奇魂クシミタマにして
(オオクニヌシの分身)
国造りの担い手
我は、大物主オオモノヌシなるぞ。」
と状況をうまく飲み込めない
オオクニヌシは、そう言われて
あっけに取られて見ていました。

さらにオオモノヌシは
言葉を続けます。
「我を大和国(奈良)の御諸山ミモロヤマ
(現在の奈良:桜井市三輪山)の頂に
奉りそうらえば、必ずや
国造りは成し遂げられようぞ。」

オオクニヌシはその言葉を聞いて
早速、大和国:御諸山の頂に
オオモノヌシを奉りました。
(桜井市三輪:大神神社の起源)

オオモノヌシの合力のおかげで
さらに、産業、交通、薬、酒の製法、
(神様はとてもお酒好き)
方角の概念、などが整備され
念願の国造りは完成しました。

国造りのお話でした。
ようやく、オオクニヌシにも
ほっと一息ついてのんびりと
過ごせる日々を送ることが
出来そうです。

ここまでのお話の考察を
始めて参ります。

まず、出雲国の発展という
概念から考えると
その影響力はとても広大で
侵略して領土を拡大し
また、恭順を促して
更なる影響力を発揮させるといった
外交や軍事に関しての統治
は前回の政略結婚の多さに
現れると言えますが
(考察㉘参照)

内政面での統治として
強力な助っ人が登場すると言うのが
今回の話の軸になっていました。

少彦名スクナビコナ
現れた要因として、
おそらくは、海の向こうからの
文化の流入を示唆していると
捉えることが自然でしょう。

おそらくは、当時の
中華文化や百済・高句麗などから
渡ってきた文化が浸透していく
比喩として海からの助っ人が
現れたという表現になったのだと
思われます。

しかし、志半ばで
スクナビコナは常世の国に
行ってしまう。と言う描写は

その文化の橋渡しをしていた
外来からの使者が途絶えたこと
あるいは、信頼していた責任者が
なんらかの原因で没したことを
表していると推察できます。

おそらくは、古事記の編纂当時の
リアルタイムくらいの勢いで
遣唐使節や遣隋使節が
なんらかのトラブルで
遂行できなかった。と言う
時事ネタのような描写で
あったのではないでしょうか?

ちなみに、常世国トコヨノクニとは、
極楽や天国と言ったようなものに
該当すると言われています。

そして、沖縄独自の世界観にも
ニライカナイと呼ばれる夢の島が
存在します。 おそらくは同じものを
指しているのではないかと言う説も
有力ですね。

さらに、付け加えると
スクナビコナという神は
お伽話の一寸法師のモデルに
なったと言われています。

続いて、オオモノヌシの出現
オオモノヌシはオオクニヌシの
幸魂サキミタマ奇魂クシミタマ
であると書かれていました。

日本神話において
全ての神々にはもれなく
複数の魂を宿していると言う
概念があり、
時として、それぞれの魂を別々に
信仰し、奉る例が現在にも
多く存在します。
(例:○○様の○○魂のように)

代表的なもので大きく4種類
幸魂サキミタマ和魂ニギミタマ荒魂アラミタマ奇魂クシミタマ
(幸御魂・和御魂・
荒御魂・奇御魂とも表す。)
これらそれぞれの魂には
それぞれの意味が込められており
幸魂は、喜びに満ちた状態を表し
和魂は、温和に満ちた状態を表す。
と言った良い特徴を持つ魂と
荒魂は、怒りに満ちた状態を表し
奇魂は、悲しみに満ちた状態を表す。
と言ったように好ましくない
特徴を持つ魂として
考えられています。

つまり、古事記編纂されている当時
においても、神といえども
感情はとても豊かで、良い面もあれば
悪い面も併せ持つ存在だと言う認識が
すでに完成していたと言うことが
判ります。

つまり、オオモノヌシは
オオクニヌシの
良い部分と好ましくない部分
が実体化した分身
であると記されているわけです。

その良い部分と好ましくない部分
の魂を一人の神として
御諸山ミモロヤマの山頂に奉ることで、
国造は完成すると言うことですね。

さらに、大物主オオモノヌシと言う部分に
着目すると
陰陽の陰や鬼、裏と言う意味も
込められていると言う説があり
つまりオオモノヌシは
オオクニヌシを陽と捉え
対してオオモノヌシを
陰と捉えられる。
と言う解釈もできます。

現在も、奈良県桜井市三輪にある
大神神社オオミワジンジャ
日本最古の神社の一つとして数えられ
神殿が元より存在せず、
御諸山(三輪山)
そのものが御神体として崇められ
拝殿の後ろに御諸山が
鎮座しています。

ちなみにオオモノヌシの
本性は白い蛇として描かれている
エピソードが有名ですね。
オオクニヌシがおわす出雲大社の
神使も海蛇ですから 
妙な共通項ではありませんか?

こちらのオオモノヌシの出現は
おそらく、外来文化を吸収して
独自の文化にうまく馴染ませていく
様子を表しているのではないかと
推察できます。

スクナビコナが異国文化を
日本に流入させた立役者で
オオモノヌシがうまく日本文化と
馴染ませ発展させていったと言う形が
最もしっくりくる
描写ではないでしょうか?

このようにして
豊葦原中津国トヨアシハラノナカツクニは完成し
オオクニヌシは腰を落ち着けて
国を統治していき、我が子らに
代を譲り、隠居でもしようか
と言う日々まで
穏やかに過ごしていきますが

そのお話は次回
出雲神話④天津神現る!
にさせていただきます。
ここまで読んでいただけまして
とても嬉しく思います。

次回もまたよろしくお願いします。


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