♯9今さら聞けない「七五三」
七五三はおめでたいだけの行事ではない
●兄・前誠 埼玉県にある上原寺(じょうげんじ)の副住職兄弟ふたりで、お坊さんならではのディープな話題をお届けしていきます。私が兄の仁部前誠(ぜんじょう)です。
○弟・前叶 弟の前叶(ぜんきょう)です。この時期になると着物を着たお子さんと、お父さん、お母さんが神社やお寺でお参りされていて。看板とかにでっかく「七五三受付中」とか書いてあるじゃない。で、七五三ってそもそもどうゆう由来があるんだろうって思っている人、結構いると思う。
●兄・前誠 七五三は大事だよね。
○弟・前叶 みなさんが思っているよりも大事だね。
●兄・前誠 七五三って「おめでたいね~」「よかったね~」みたいな華やかな雰囲気あるよね。今の七五三ってお祝いっていうのがベースにある。
○弟・前叶 なんていうか、「七五三=お祝い」っていう一段階で完結している。本来は厄を払って、その年まで生きてこられた感謝みたいなのがあったうえで「よかったね」っていうお祝いだから、二段階だったのよ。
●兄・前誠 たしかに、平均寿命が80歳っていう、この平和で便利な日本という国において、子どもが3歳まで生きて「本当に良かった」って改めて思いを馳せるのはなかなか難しいのかも。
○弟・前叶 そうだね。「厄払い」の回で少し触れたけど、七五三はもともと大きな意味では厄払いだから。子どもの厄払い。一般的に15、24、33、42、51、60っていう、1の位と10の位を足して6になる数っていうのが、厄年とされています。
では、無事に大人になる前に亡くなってしまうことが多かった時代、子どものうちに厄みたいな、目に見えない、背負ってしまっているものを払ってあげなきゃいけないって考えたわけですよね。
だけど、いつ払うのってなった時に、初めの厄が15歳なわけで。
●兄・前誠 15歳って当時だと元服と言って今でいう成人みたいな年齢だね。
○弟・前叶 そう。だから15歳になる前の段階で、3歳5歳7歳、「3+5+7」で仮に15という数字をつくって、1の位と10の位をたして6をつくった。
つまり厄年が来るまでの年齢を分割して、仮に3歳5歳7歳で払っておこうよっていう“仮の厄払い”なんだよね。で、「厄払いができる年まで生きてこられた。ありがとうございます」、じゃあお祝いしましょうみたいなことだったんだ。
●兄・前誠 現代だと、感覚的に「生きてこられた」って感謝を持つことが減っちゃってるんだね。
お坊さんが七五三で”祷る”わけ
○弟・前叶 同じけがや病気をしても、子どものほうが亡くなる確率ってぐっと高い。当たり前だけどね。人間はほかの動物と違って、手をかけてもらわなくちゃ生きられないからさ。馬みたいに生まれた5秒後ぐらいに走るわけじゃないから。
●兄・前誠 怖いわ。おぎゃーっつって走ってたら。
○弟・前叶 やっぱり3歳、5歳、7歳を迎えられましたっていうことはすごく大事なこと。私たちは七五三を「祝祷(しゅくとう)」って言います。ただ祝うなら「祝」でいいのにね。
祝祷って、祷(いの)ってるのは、ここまで生きてこられたということと、次の厄を超えられるようにっていう、祷りも込めてある。子どもが健やかに育つように。
●兄・前誠 先人の、親の想いがうかがえますね。やっぱ親って偉大だよな~。
○弟・前叶 戦時中なんかだと逆のパターンもあって、生まれたばかりの子を残して出兵しに行く親が、子の15歳の姿を見られないかもしれないから、厄払い全部のお札10本20本頼んだりして、全部の年分、一度にやったりすることもあったみたい。
●兄・前誠 何とかこの子を大人になるまで生かしてあげたいみたいな想いがあったんだね。
○弟・前叶 子どもに関することだと「発育祈願」とか「発育増進」って簡単に言うけど。それって前提として「生きている」のが当たり前で、その上で良くなりますようにっていうことだから。
●兄・前誠 そう、今はね。
○弟・前叶 どっちかっていうと、命自体をどう守るかっていう考え方がベースになっていたんだけどね。いまはスタートラインが上がっているから。いいことではあるんだけど、だからといって初期の設定を忘れちゃうのは、やっぱりちょっと違うんじゃないかなっていう想いもある…
●兄・前誠 時代は変われど親御さんがお子さんの成長を願うっていう気持ちには大差はないんだろうけど。そうした気持ち、一つひとつに応えられるお寺でありたいなと改めて感じます。
○弟・前叶 だからといってみなさんはそんな堅苦しく考えなくて大丈夫です。私たちはこの子が無事にここにきてくれてよかったな、親御さんも心配だっただろうな、だからお祝いしましょうねって温かい気持ちで待っております。
●前誠 明日は明るい日と書きます。皆さまの明日が明るい日となりますように。
○前叶 合掌。