♯1 お守りは“ポータブル結界”!?―「結界」とは何か
意外と知られていない「結界」の目印
●兄・前誠 埼玉県にある上原寺(じょうげんじ)の副住職兄弟ふたりで、お坊さんならではのディープな話題をお届けしていきます。私が兄の仁部前誠(ぜんじょう)です。
○弟・前叶 弟の前叶(ぜんきょう)です。よろしくお願いします。
●前誠 今回のテーマは「結界ってなに?」。結界の一般的なイメージは、例えば漫画なら、お札(ふだ)が貼られているところがあって、妖怪がそこに忍び込もうとすると目に見えない力でバシーンとはじかれてしまう。そういうのが、多くの方に共通のイメージだと思います。
○前叶 たまたまそのお札が剥(は)がれちゃって、1000年封じ込められた妖怪が出てきちゃう映画とか(笑)。
●前誠 ハハハ。某漫画とかね(笑)。
○前叶 そうそう。ひょんなことから、何かの拍子にね(笑)。
●前誠 そんなイメージのある「結界」について、ゆるくお話ししていきたいと思います。
○前叶 我々は“荒行”(水行や読経などの修行が寒い時期に百日間行われる)で有名な日蓮宗の僧侶ですが、荒行は「結界修行」とも言われていて。それは「外界をすべて遮断して、結界の中で修行していく」という意味を持ちます。その点、日蓮宗と結界とは、切っても切り離せない存在です。
●前誠 結界を張っていることが視覚的にわかるものとしては、縄が張ってあることや、「幣束(へいそく)」という白い紙など。
○前叶 しめ縄だったり、神社でよく見る白い紙のひらひらだったり。
●前誠 そう、雷のマークみたいな、ひらひら〜っていう(笑)。結界を張ってあることがわかる目印として、そういうものがある。
○前叶 修行について補足すると、山にこもる修行を「山籠(さんろう)修行」、堂宇にこもる修行を「参籠(さんろう)修行」と言います。
●前誠 どちらも同じ音だけど、日蓮宗の荒行は、後者の参籠修行。
○前叶 うん。山にも結界は張るけれど、山籠は、山という人里離れた場所で“常に変化する自然”と同化していきながら、超自然的な存在である神仏を感じて交わっていく。
一方の参籠は、外界を遮断した“変動しない環境下”に密度の高い結界を張って修行することで、自己の精神の中にじっくりと、またしっかりと、神仏の守護を見出していく。
山籠と参籠には、そんな違いがあります。
●前誠 2つを比べてどちらが大切ということではなく、どちらも大切で、仏道を極めるための道のりの違いなんだよね。
○前叶 そうそう。ちなみに、大荒行堂での修行を経たお坊さんは、特別な専門職として「修法師(しゅほっし)」と言われます。修法師がいるお寺では、独自の結界を張っているから、日蓮宗というと、結界をイメージする人も多いのかもしれません。
お寺や神社だけじゃない! 身近なところにも「結界」はある
●前誠 先ほどの話はお寺の結界のことだけど、前叶がこの前話していて面白かったのは、皆さんの身近なところでの結界。例えば、玄関や表札も結界だよ、という話。
○前叶 家っていうのは、自分のプライベートな空間と世の中、世間との境目であって、例えば家の門や玄関がそう。あと表札は、「ここから先は自分のスペースですよ」ということを表すものだから、これも一つの結界なんだよね。
●前誠 何かと何かの境目の総称、みたいなことか。
○前叶 そう。「意図的に境目をつくるもの」というのが正しいかもしれない。家だけでなく、衣類も一つの境目、境界であって。例えば法衣を着ることで、俗世との隔たりができ、心理的にもシャキッとするということがある。普通の衣服の場合も、そういう設定をすることで、意図的な境目としての役割を持たせることはできます。
●前誠 お寺の結界について話を戻すと、家の結界よりもうちょっと発展的な意味合いがある。
○前叶 そうだね。家の結界とは決定的に違うものがあって、お寺や神社に張ってある結界は、内側が「聖域」とか「神域」って呼ばれるんだよね。
●前誠 なるほど、神社の場合は神域。
○前叶 日蓮宗のお寺だと神様も多く祀られているから、お寺でも「神域」と言ったりするんだけどね。ただ、「表札があるから、家の玄関を跨(また)いだから、自分の家の中が聖域です」という人は、なかなかいない(笑)。
●前誠 そうだね(笑)。
○前叶 お寺の場合、大きな門をくぐったり本堂に入ったりすると、そこが聖域・神域で。神様仏様が管理する領域。そこと人間界を分けるためのものが、結界なんだよね。
●前誠 「しっかりと隔ててますよ」「ここから先は聖域で、清浄(しょうじょう)な空間だよ」ということだね。神様仏様が存在する清浄な空間と人間の境目を、しめ縄や幣束で明確に区切っている。
○前叶 ただ、結界を張るということに関しては、「鶏が先か、卵が先か」みたいな話がある。つまり2つの考え方があるのだけど、ひとつは、清浄な綺麗な空間、清められた聖域・神域だから、それを守るために結界を張るというパターン。もうひとつはその逆で、結界を張ったから、そこが綺麗になっていく、清浄になっていくというパターン。
●前誠 もともとあるものを守るのか、その場を清浄にしたいから結界を張るのかっていう。
○前叶 後者の場合、皆さんに身近なところで言うと、「地鎮祭」やご自宅にある「神棚」「お仏壇」などがあって。そういうものは「意図的にそれをすることによって、聖域・神域にしていく」ということに該当すると思うんだよね。
お守りとは“ポータブル結界”!?
●前誠 我々としては、結界−−つまり清浄なところを、皆さんにより良くシェアしていただきたい。
○前叶 そうだね。それが我々の役目でもあるしね。
●前誠 結界のおおもとがお寺だとしたら、物理的にはお寺と離れるけれども、皆さんの住む場もより良くなってほしい、清浄になってほしい。その媒体となるアイテムが…
○前叶 我々がお寺で一生懸命書いたり、作ったりする「お札(ふだ)」とか「お守り」。
●前誠 清浄な場の中で生まれた。
○前叶 そうそう。前提として、その「清浄な場所で生まれている」ということが大切なんです。お札とかお守りは、業者さんが量産したものを売るのとは違って、お寺という結界の中で我々が一つずつ丹精を込めて、魂を込めて作る。
そういう経緯を経てお札やお守りが皆さんの手元に届くというのは、「結界という清い空間をテイクアウト」してもらっているような状況。ちょっと言い方が現代風になっちゃうけど。
●前誠 なるほど(笑)。ドライブスルー、Uber Eats(ウーバーイーツ)!?
○前叶 Uber Eatsは届ける人がいるからちょっと違う? テイクアウト、ドライブスルー…お持ち帰りできる“ポータブル結界”というと伝わりやすいかな(笑)。
お札やお守りというのは、お寺という清浄な空間、聖域・神域の中で、我々僧侶が身を清めた後に作るからこそ、皆さんにご自宅にお持ち帰りいただくものとなる。日々バッグに入れておいたり、首にかけたり、いろいろな形で使われるけれども。
お札やお守りは、結界の中の聖域・神域を手軽に自宅に持ち運んでいただくもの、というイメージのものなんです。
●前誠 そのアイテムによって、結界内の清浄な空間を再現する。
○前叶 そうそう。わかりやすくいうと、例えばホームシアターがあれば、映画館にはならなくても“映画館風”になる。同じように、お守りはお寺の空間を再現する、みたいな感じ。
地鎮祭とか神棚は、それを意図的に再現しなきゃいけないけれど、お札やお守りというのはもっと身近なもの、皆さんが“ポータブル結界”を持つためのアイテムなんだよね。
●前誠 カタカナが多いな!(笑)。
現代人が「清浄」を保つために大事なこととは?
○前叶 ひとつ問題提起というか、実は何年も前から思っていたんだけど、お守りって肌身離さず持つ人も結構多いでしょう? お財布に入れている人も多いよね。だけど、我々現代人が一番肌身離さず持っているものって、やっぱり…スマホじゃない?
●前誠 そうだよね。「身近なところの結界」の話にも通ずるけど、下界との窓口というか、人との窓口、境目、玄関。スマホはそんな役割を担っている。
○前叶 これ怖いんだけど、いまの世の中、ネットの誹謗中傷から、自分で命をあやめなきゃいけない方が出たりしていて。我々僧侶としてもそれは看過できない問題ではあるし、身近な問題。スマホはその入り口にもなっている。
例えばこの記事をスマホで見て、「新しい情報を得て楽しいな」と思ってくれる方もいらっしゃるだろうけど、一方で、スマホは人を攻撃する武器にもなるし、自分を幸せにする道具にもなる。
●前誠 スマホを一つの境目、結界として、スマホを通したものは清浄であってほしいよね。
○前叶 そうそう。我々のやっている「お寺ジオ」では、時々お経を流したりもするけど、それを聞いているのと同じスマホで、他人を誹謗中傷するのか? っていう。
●前誠 スマホを擬人化してみると、こんな風にもイメージできるかな。犯罪的なサイトばかり見てたらどんどん悪い人になって、お経をたくさん聞いていたら良い人になるかもしれない。
○前叶 そのスマホを自分はどう使っているか。それを振り返ると同時に、制御する力というのを、スマホを通して持ってほしいなって思います。
●前誠 皆さまの明日が、明るい日となりますように。
○前叶 合掌。