同じ記事かどうかは気にしない。
73日目。
僕は過去にどんな記事を書いていたかは気にしない。
記事を見返して、そのときの僕がどんな僕だったのか、知る手段にはしても、「被っているかどうか」ということは気にしないようにしている。
一つは時間の無駄。
もうこれで73日目。まだまだこれからも続く。続ける。それなのに、「被っていたらどうしよう」なんて無駄なんだ。心配するのが無駄。被っていないか記事を探すのも無駄。
もう一つは、記事のテーマが同じでも、中身は違う。
正しく言えば、「その記事を書いたときの僕」と「今記事を書いている僕」は違う僕。
同じ僕であることはあり得ない。
1日経っても、もう昨日の僕と今日の僕は違う。もう変わっているんだ。
それが、「無常」ということ。
過去とは違う僕が同じテーマで書いたとしても、同じに書くことはあり得ない。
最後に一つ。
例え全く同じ記事を書いたなら、それは僕が全く同じことを感じることがあったということ。ここは、僕の心の記憶。ただそれを書き綴るだけ。
書こうとする僕がそう感じていたのなら、それでいいんだ。
過去にこれを書いたことがある・感じたことがある、だから書いちゃいけない。
そんなことはない。
また感じたのなら、また書いていい。
それを受け容れてあげることもまた、僕の心なんだから。
過去にもあったからといって、それを否定してはいけない。それもまた僕の今の心。それを、しっかりと受け入れる。
だから、僕は記事の被りは気にしない。同じ記事が過去にあったとしても、気にしないんだ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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