イスラム教の論理 1
飯山陽氏の「イスラム教の論理」2018.2新潮新書 の内容をまとめました。3万字を越えため、若干配列を変えた上で分割します。
1回目は、日本人が考える宗教とはずいぶん異なるイスラム教(回教、フィフィ教とも呼ばれる)の特性と、それを露わにしているコーランの章句です。
イスラム教は宗教なのか?
日本人の宗教観は心と平和にあり
宗教は個人の心の内面に関与し、世界の平和に貢献する。
イスラム教は信者の行動を規定
・イスラム教は政教一致型の宗教
・イスラム教は心ではなく、信者の行動を規定し、イスラム教による世界征服を目的とする。
・イスラム教における「心の安定」は、神を信じ神に完全に服従することによって得られる心の安定であり、イスラム教における「世界平和」はイスラム教が世界を征服することによってもたらされる平和である。
コーラン第47章4節「あなた方が不信仰者と出会ったときはその首を打ち切れ」
「神がいる」前提から出発する宗教
・アッラー(イスラム教の神)は全知全能の唯一神。(イスラムこそが最も純粋で完全な一神教)
・多神教は大罪中の大罪。
・入信時の宣誓と日常で唱える言葉は、「アッラー、アクバル(アッラーのほかに神なし。ムハンマドは神の使途)」
・神の被造物である人間は、神が下したイスラム法に従う。
・イスラムとは服従を意味するアラビア語。神に服従することこそが正しい道で、それによってしか来世での救済はあり得ない。
・入信すれば、どんなに暗く疚(やま)しい過去、現在も清算され、栄光に満ちた未来と、神との約束にもとづく来世が約束される。(「過去、現在」「この世界」から逃避する最強の手段)
・神との約束を信徒が果たしたかどうかの「神による判断」はあの世に反映される(天国行きを決めるのは神)。
・全知全能の神は、神の法が世界を統治する日が必ずくるように、世界を創造した。
・イスラム教の最終目標すなわち確定された未来は、全世界が神(アッラー)の法統治下におかれること(イスラム教が世界宗教になる)。
コーランは神の言葉・神の約束
・コーラン(クルアーン。コラーン)はアラビア語で書かれたイスラム教の聖典で、最高で最後の聖典。
・神はムハンマドを最後の預言者として選び、人類に伝えるべきことはコーランの啓示によってすべて伝えつくした。
・コーランは「神の言葉」で、一言一句すべてが不変の事実。
・倫理的判断(善悪)も法的判断(正否)も、その源は神(コーラン)にある(人間の理性によらない)。
・「コーラン」の「正しい教義」は、現在インターネットによって改めて布教されている。
イスラム教に聖職者はいない
・信徒を一律に管理する宗教権力がなく、イスラム教徒は神アッラーに直接つながっている。
・カトリック教会のような、権威機関(信者→聖職者:ヒエラルキーあり)はない。
・教会といった宗教的権威機構に所属し、一般信徒よりも高い身分を認められた人々(聖職者)はいない。
・ほかの信徒より厳しい戒律を課し、その人々をより聖なる存在とみなす教義がない。
・カリフは聖職者ではなく、その役目は、神の命令により預言者ムハンマドの代理人として、イスラム法を施行し、イスラム共同体を指導すること。
・カリフがいて初めて、神の命令通りにイスラム法を施行することができ、ジハードによってその範囲を拡大させることができる。
コーランの章句
コーランは最高で最後の聖典、「神の言葉」で、一言一句すべてが不変の事実である。コーランを神の言葉として信じず、地上におけるイスラム教の勝利を信じない人はイスラム教徒失格。
全知全能の唯一神
・第3章19節「本当に神の御目よりすれば真の宗教はイスラム教のみ」
・第4章48節「神は他のいかなるものとでも、一緒に並べられたら絶対にお赦しにならない(大罪)。そこまでいかない罪なら、気が向けばお許しくださる。」➡多神教は大罪
・第5章3節「今日われ(神)はあなた方のためにあなた方の宗教を完成し、またあなた方に対するわれの恩恵を全うし、あなた方のための宗教としてイスラム教を認承した」
・第57章22節「地上において起こる災厄も、またあなた方の身の上に下るものも、ひとつとしてわれ(神)がそれを授ける前に碑板の中に記されていないものはない」➡神は人間を創造する前から、すべてを知っていて、すべてを碑板に書き留めており、現世で起こることはそこに書かれてあること、神がすでに決めたことしか起こらない。
預言者ムハンマド
・第4章59節「あなた方、信仰する者よ、神に従いなさい。また、使徒に従いなさい」
・第33章21節「本当に神の使徒は、神と終末の日を熱望する者、神を多く唱念する者にとって、立派な模範であった」➡ ムハンマドは、模倣すべき最高の手本。過ちを犯さない無謬の存在。
現世のむなしさ
・第2章86節「来世を犠牲にして現世の生活を購った者、結局かれらの刑罰は一切軽減されず、また(最後の審判の日に)誰の助けも得られない」
・第3章185節「現世の生活はいつわりの快楽にすぎない」
・第9章38節「一体あなた方は来世よりも現世の生活に満足するのか? 現世の生活の楽しみなど来世に比べればわずかなものに過ぎない」
・第40章39節「現世の生活は束の間の快楽に過ぎず、来世こそが永遠の住まい」
・第96章6-8節「いや、人間とは実に不遜なものである。自分で何もたりないところはないと考えている。本当にあなたの主に(すべては)帰されているのに」➡信仰を持たない人間の傲慢さを戒める。
来世
・第2章39節「信仰を拒否し、われ(神)の神兆を嘘呼ばわりする者は、業火の住人であって、永遠にその中にとどまる」➡イスラム教徒以外は、(家族を大切にし、一生懸命働き、できるだけいい暮らしをするよう努めても)全員地獄行き。
・第3章14節「様々な欲望の追求は、人間の目には美しく見える。女たち、子どもたち、莫大な金銀財宝、(血統の正しい)焼印を押した馬、家畜や田畑。これらは現世の生活の楽しみにすぎない。だが、最高の安息所は神の御側にこそある」
・第3章30節「最後の審判は、すべての人が、それぞれ(現世で)自分のした一切の善事と悪事とをあらいざらい目の前にならべて見せつけられる日」
・第4章57節「信仰して善行に励むものには、われ(神)は川が下を流れる天国に入らせ永遠にその中に住まわせよう」
唱念
・2章152節「われ(神)を唱念しなさい。そうすればわれもあなた方を考慮するであろう。われに感謝し、恩を忘れてはならない」
・第13章28節「(神を唱念することにより)心の安らぎを得る」
礼拝
・2章153節「信仰する者よ、忍耐と礼拝に助けを求めよ。まことに神は耐え偲ぶ者たちと共にいらっしゃる」
・第29章45節「あなた(預言者ムハンマド)に掲示された啓典を読誦し、礼拝の務めを守れ。本当に礼拝は、(人を)醜行と悪事から遠ざける。なお最も大事なことは、神を唱念することである。神はあなた方の行うことを知っておられる」
世界制覇
・第2章214節「神の勝利は近い」
・第2章216節「あなた方には戦いが定められた。だがあなた方は戦いを嫌う。」8章39節「騒乱がなくなるまで戦え。そして、宗教すべてが神のものとなるまで(戦え)」➡ イスラム教が全世界に広まるまで、異教徒と闘うことを神は命じている。
・第3章140節「あなた方がもし打撃を被っても、相手もまた同等の打撃を受けている。われ(神)は人間の間にこのような日々(勝利と敗北)を交互に授ける。神はこれによって(本当の)信者を知る」➡神はイスラム教徒が劣勢に立たされる日もあることを御存知であり、劣勢にひるまない者こそ真のイスラム教徒である。
・第8章39節「騒乱がなくなるまで戦え。そして宗教のすべてが神のものとなるまで(戦え)」➡世界征服は神に命じられた目標であり、イスラム教徒の勝利は神によって約束されている。
・第39章6節「神はあなた方を母の胎内に創られ、3つの暗黒の中において創造につぐ創造をなされた」➡妊娠・出産は真意の顕現➡世界を征服のために子供をたくさん産め
自殺は禁止
・第4章29節「あなた方は、あなた方自身を殺してはならない」➡過激派の異教徒との戦いでの自爆は自殺ではなく、殉教。自爆攻撃をISは「殉教攻撃」、過激派に批判的立場は自爆攻撃、自殺攻撃とよぶ。
ジハードで死ぬ幸せ
・第2章154節「神の道において殺された者のことを死人などと言ってはならない。かれらは生きている。ただあなたがたにはわからないだけのこと」
・第3章169節「神の道において殺された者を決して死んだ者と思ってはならない。いや、かれらは立派に主のおそばで生きている、なんでも十分にいただいて」➡ジハードで死ぬと、魂は天国に直行し、そこで永遠に生きている(ほかの死者はこの世の墓の中で、最後の審判をうける終末の日を待ち続ける)
・第3章195節「移住した者、故郷から追放された者、我が道(神の道)のために迫害され、また奮戦して殺害された者には、われ(神)はきっと彼らのすべての罪を消し去り、川が下を流れる天国に入らせよう」
・第9章120節「かれらイスラム教徒が神の道のために渇き、疲れ、飢えに会う度に、また、不信者を怒らせる行に出向く度に、敵に何らかの打撃を与える度に、善行として記録される。神は正しい行い者への報奨を無益にされない」
・第61章10-11節「あなた方信仰する者よ、我(神)は痛苦の懲罰から救われる取引をあなた方に示そう。それはあなたが神とその使徒を信じ、あなた方の財産と生命をもって神の道においてジハードすることである」➡これまでの悪行を重ね地獄へ行かなければならない状況でも、ジハードという最大善を行えば天国に行くことができる。
ジハードの戦い方
・第9章5節「聖月が過ぎたならば、多神教徒を見つけ次第殺し、またはこれを捕虜にし、拘禁し、また凡ての計略を準備してこれを待ち伏せせよ」➡ジハードは、いつでも、どこでも、騙すなど、どんな形でも行う戦い。
・第9章41節「あなた方は奮起して、軽くても重くても出征しなさい。そしてあなた方の財産と生命を捧げて、神の道のためにジハードをしなさい」
・第9章71節「男の信者と女の信者は互いに仲間であり、ともに善を勧め悪を禁じる」➡夫婦そろってジハードに身を捧げ殉教することは神の命令を実行する究極の形
・第9章123節「信仰する者たちよ、あなた方の身近にいる不信仰者たちに戦いを挑め」➡ジハードの対象は、非イスラム教徒、不信仰者であれば一般市民でもよい。
・第41章31節「神は現世の生活においても来世においても、あなた方の友である。そこではあなた方の魂は望むものを得、そこではあなた方の求める物が得られる」➡夫婦が赤ちゃんを残して殉教しても、残された家族のことは神が面倒をみてくださるので、躊躇なくジハードをしなさい。
・第59章2節「神はかれらの予期しなかった方面から襲い、かれらの心に怖気を投げ込み、それでイスラム教徒たちと一緒になって、自らの手でかれらの住まいを破壊した。あなたがた見る眼を持つ者よ、訓戒とするがいい」➡神はイスラム教徒とともに戦い、敵の住まいを破壊する。
善悪の判断
・第2章216節「あなた方は自分たちにとって良いことを嫌うかもしれない。また、自分たちにとって悪いことを好むかもしれない。あなた方は知らないが、神は知っておられる」➡人は善悪の判断ができない。善悪を決定するのは神であり、それを人に知らしめるのが啓示。
・第3章7節「神こそはこの啓典をあなたに下される方。その中のある節は明解で、それらは啓典の根幹であり、他の節はあいまいである。そこで心の邪なものは、あいまいな部分にとらわれ騒乱を巻き起こそうとしたり、自分勝手な解釈を試みたりしようとする。だがその解釈は神のみが御存知。➡「イスラム教は平和の宗教」論は、あいまいな部分に勝手な解釈を加える心の邪なものである。
罪
・第4章48節「神は他のいかなるものとでも、一緒に並べられたら絶対にお赦しにならない。そこまでいかない罪なら、気が向けばお許しくださる。しかし、神に並ぶものを認めることだけは、赦すべからざる大罪」➡アッラーは唯一絶対の神で、他の神と並べてはならない。しかし、それ以外であれば、赦されることもある。
・第5章32節「人を殺した者、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである。」
義務と懲罰
・第9章41節「あなたがたの財産と生命を捧げて、神のみちのためにジハードをしなさい。もしあなた方が理解するならば、それがあなた方のために最良である。」➡ジハードは、義務の中でも神のもとで最高の価値を認められた行為。
・第4章77節「いざかれら(イスラム教徒)に戦闘が命じられると、見よ。かれらの中の一派は、まるで神を恐れるように人間を恐れ始める。いやもっとひどく恐れる。そして言う『主よ。あなたは何故わたしたちに戦闘を命じられますか。何故しばらくの間、わたしたちを猶予なさいませんか』」➡礼拝や喜捨の義務は果たしても戦闘の義務となると急に尻込みする信者がでることなど、神は当然お見通し 「いってやるがいい。『現世の享楽は些細なものである。来世こそは、(神を)恐れる者にとっては最もありがたいもの』」
・第2章85節「あなた方は啓典の一部分を信じて、一部分を拒否するのか。およそあなた方の中でこのようなことをする者の報いは、現世における屈辱でなくてなんであろう。また審判の日には、最も重い懲罰に処せられよう。」➡ジハードの義務だけを都合よく無視することは許されない。
・第2章174節「神が啓示された啓典の一部を隠しそれで僅かな利益を購う者は、…痛ましい懲罰をうける」➡コーランには戦いを義務付ける多くの掲示がある。
・第4章95節「神はそれぞれによい報奨を約束なされるが、財産と生命を捧げるジハード戦士には居残っている者よりも偉大な報奨を授けられる」
・第9章39節「あなた方が奮起して出征しないならば、神は痛ましい懲罰をもって懲らしめ、他の民をあなた方と替えられる」➡ジハードに立ち上がらないならば、全イスラム教徒は、神から見捨てられる。
イスラム教の敵
・第47章4節「あなた方が不信仰者と出会ったときはその首を打ち切れ」➡日本人も殺すべき敵
・第5章51節「あなたがた信仰する者よ、ユダヤ人やキリスト教徒を『仲間としてはならない。』かれらは互いに友である。あなたがたの中の、かれらを仲間とする者はかれらの同類である。➡ユダヤ教徒、キリスト教徒を友としてはならない。
結婚
・第2章223節「妻はあなた方の耕地である。だから、意のままに耕地に赴け」➡妻は性交を拒むことはできない(生理中と産後は性交禁止)
・第4章3節「あなた方がよいと思う2人、3人または4人の女を娶れ」「だが、公平にしてやれそうにもないならば、只一人だけ娶るか、またはあなた方の右手が所有する者(女奴隷)で我慢しておきなさい。このことは不公正を避けるため、最も公正である」➡複数の妻には、物質的、肉体的、感情的すべてについて平等にしなければならない。
・第4章25節「あなた方の中で信者の自由な女を娶る資力のない者は右手の所有する信仰ある女を娶れ」➡自由人女性と結婚できないイスラム教徒男性は、女奴隷と結婚せよ。
・第17章32節「姦通に近づいてはならない。それは醜行である。憎むべき道である」 (姦通とは、未婚者同士、不倫、娼婦との関係)
・第23章1-6節「信者たちは確かに勝利をつかみ、礼拝に敬虔で、虚しいことを避け、施しに励み、自分の陰部を守るもの。ただし配偶者と自らの右手の所有するものは別である。かれらに関しては咎められることがない」➡イスラム教徒の男性が合法的に性交することができる相手は、妻と「右手の所有するもの(主に戦争によって敵方から獲得した女たち)」
・第24章2節「(未婚の)姦通した女と男はそれぞれ百回鞭打て」
・第24章32節「あなた方の中の独身の者、またあなた方の奴隷の男と女で廉正な者は、結婚させなさい」
・第56章22-23節「(天国には)秘蔵の真珠のような、大きい輝くまなざしの美しい乙女」がいる。
・第56章35-37節「神は、彼女らをイスラム教男性の配偶者として特別に創り、(永遠に汚れない)処女、同じ年ごろのかわいい乙女にした」
女性の生き方
・第24章31節「信者の女たちにいってやるがいい。彼女らの視線を低くし、貞淑を守れ。外に表れるものの外は、かの女らの美(や飾り)を目立たせてはならない。それからヴェールをその胸の上に垂れなさい。自分の夫または父の外に、彼女の美(や飾り)を表してはならない」➡女性の慎み深さに関連する服装には、社会的圧力、法制化された服装規定などによって、様々なヴァリエーションがある。しかし、一定数のイスラム教徒男性は、外出している女はそもそもみな蔑むべき存在とみなしている。
・第33章33節「あなた方の家に静かにしてとどまり、(イスラム教)以前の無名時代のように、派手ないでたちをしてはならない」➡女は基本的に家にいなければならず、やむをえず外出する際にも香水をつけたり、化粧をしたり、着飾ったりしてはならない。こういったことは、夫だけのためでなければならない。
・第33章53節「あなた方がかの女らに何ごとでも尋ねるときは、必ず帳の後からにしなさい。その方があなた方の心、またかの女らの心にとって一番汚れがない」➡男性の性欲が刺激され姦通につながってはならないので、近親者でない他人同士の男女は、眼を合わせて会話してはならない。
イスラム法と制定法
・5章44節「神が下されたものに従って統治しない者は不信仰者である」➡コーランは神の言葉。コーランではなく、人定法によって統治する施政者は背教者。イスラム法は人定法より上位。イスラム教が唯一正しい宗教であり。他の宗教は誤った宗教、劣った宗教。民主主義、世俗主義、国民国家体制も認めない。
・第7章3節「人々よ、主からあなたがたに下されたものに従い、かれ以外の保護者に従ってはならない」➡下されたものは「コーラン」、それを法として体系化したものが「イスラム法」
・12章40節「裁定は神にのみ属し、あなた方はかれ以外の何ものにもつかえてはならないと、神は命じている」➡イスラム教徒はいつどこにいても、どのような状態にあろうとも、イスラム法の定めのみに従い、イスラム法にのみ制定を求めるよう神に命じられている。そして、「これこそ正しい教えである。だが、人々の多くは知らない」と続く。➡ISは「だが人々の多くは知らない」を常套句として、イスラム教徒はイスラム法にのみ従わねばならないということを知らしめるのがプロパガンダの一つ。
・第3章149~151節「信仰する者よ、あなた方がもし不信仰者に従うならば、かれらはあなた方の踵を返させ、失敗者に後戻りさせるであろう。いや、神こそは、あなた方を愛撫し、また最も優れた援助を与える方であられる。やがてわれ(神)は、不信仰者の胸の中に、恐怖を投げ込もう。それはかれらが、なんの権威もさずけられていないものを、神と同位に崇めたためである。かれらの住み家は業火である。不義を行う者の住まいこそ哀れである」(IS、アルカイダなどが頻繁に引用し、イスラム教徒に対し、既存の国家や政府、制定法に従ってはならないと警告)➡「何の権威もさずけられていないもの」に過ぎない国家や制定法に従うことは、イスラム法に反する。イスラム教徒の中には制定法に従って暮らしている者もいるが、(過激派が目標とする)「イスラム法による統治」はイスラム教の理念であり、イスラム教徒であれば否定できない、当然賛同すべき理念。