京都旅談②「『伊根町』観光する人と生活する人」
伊根町をご存知だろうか?京都最北端に位置するこの街は「舟屋の街」として数々のメディアに台頭している。例えばNHK朝ドラ「ええにょぼ」では伊根町が舞台となっており、その知名度が窺える。
今回仲間たちと伊根を観光する事になった。日差しが差し込む冷房の効いた車に3時間ほど揺られ、京都の一番北側まで訪れた。
ついた瞬間に出た感想は
「海が近すぎる!」
海と街の距離が異様に近いのだ。海は道沿いからすぐ触れられる距離にあり、砂浜が一切存在していない。水面は穏やかであり、もし津波が来てしまったら街は一瞬で飲み込まれるだろうと心配するほどだった。少し歩くとスーッと抜ける磯の匂いがする潮風を浴びながらカモメたちの鳴き声が聞こえてくる。
家は瓦の屋根と木造の住宅が多く、窓は全て海に面していて、舟用のガレージがある家庭が多かった。おそらくいつでも漁へでれるようにするためだろう。
友人と我々はこの異世界空間に感動を覚え、共に海辺の駐車場で海を眺めたり写真を撮っていた。
その時だった
ブーンと魚舟に乗った目測30-40代の小麦色に焼けた肌をしたお兄さんが我々に向かって
「観光ですねえ!」
と言い放ち颯爽と海へ出ていった。
私はその瞬間心に激しい違和感を抱いたのを覚えている。
観光客に向かってわざわざ「観光ですねえ」と皮肉めいて指摘する意味とはなんだろうか。ここは観光地であって、観光することの何が悪いのか。
この疑問を紐解くために観光客に人気な伊根カフェに行くのを断念し地元に住む人たちにインタビュー調査する事にした。
プチフィールドワークである。
観光地と生活地の混同
私「伊根って観光客がすごく多いじゃないですか?これっていつ頃から始まった事なんですか?」
売店店主「結構最近ですよ。コロナ前はドラマの影響とかでちょくちょくきてたけど、コロナ禍は海外じゃなくて国内の観光客が沢山増えましたね。どこから情報を仕入れるのやら。コロナが治ってからは世界中からどんどんくるようになって、本当何がいいんですかね。」
おばあちゃん「中井酒造さんがテレビいっぱい出てるしねー、みんななんで来はるんやろね、海なんてどこにでもあるじゃない。」
観光客や地元民に聞いてみた結果やはり、SNSやメディアによる拡散、それからツアーの旅行客が訪れることが多いことが分かった。街中で聞こえる言語は中国語や英語、韓国語まであった。
私「こういった生活の変化についてどう思いますか」
おばあちゃん「私たちが普通に生きてたら、急に人たちが押し寄せてきて、いつのまにかこうなってたね」
酒屋店主「観光客って図々しくどこへでも入ってて写真撮るやろ、路地裏とか下着を干す場所だったりして、困ってるんよ。本当ここの何がそんなにいいのやら。」
地元の人にとって自分たちが生きた街の魅力に気づくことは難しいことなのかもしれない。海と共に生きることは日常であり、当たり前であった。そんな当たり前の生活をしていた人たちの元に、突然多くの観光客たちが押し寄せ、不思議そうに見物し、周りの写真を撮る。自分の家を撮られ、生活の一部を撮られる。
観光客にとってそこは自分の生活とかけ離れた魅力的な「観光地」であり、間違えなく求めていた美しき日本がそこでは見つかるだろう。写真をさまざまな角度や場所から撮り、雑多な表情とポーズを決め、一番「映え」た写真をSNSに投稿する。あわよくば「いいね」が沢山もらえ、フォロワーから羨望や称賛の声が上がるに違いない。さらにその投稿がまた多くの人を呼び込み「映え」が拡散されてく。
だが、そこに住む人たちにとって環境の変化は強いられるものであり、多くの場合それは自分たちが望んだからでは無いだろう。自分たちの当たり前としていた生活空間が突然見せものになってしまい、見慣れた街並みやお店が急に多言語になり、カラフルに移り変わってゆく。
我々は写真を撮る時何を思って撮るのだろうか。
綺麗だから?面白いから?映えるから?
何も知らずに誰かの生活空間に入り込み獲得した赤く光るハートは果たしてどれほど価値があるものなのか。
少し歩き疲れたので、海に面し座ってみる。やはりこの町は美しい。足元には小さいサワガニがコンクリートに腰掛けていたので、相席する事にした。
家と海と舟の町伊根。ここに暮らす人々はこの先どう生きるのかぜひこの目で確かめて考えてみて欲しい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?