SeiSeidayo

大学生です。 誰かのトラウマになりたいです。

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Why ICU…?「ICU」のらくたんって?

なぜみんな大学に行っているのだろうか? ふと頭に浮かんだ問いであった。 大学でよく耳にする言葉は私にとって疑問ばかりだ。 その中でもよく耳にするのは「らくたん」という言葉だ。意味は察する通り楽な単位の略語である。 私も入学当初は先輩たちから聞いた「らくたん」に目を輝かせ、楽な授業ばかりを履修してした。 興味は少しあった評価基準の厳しそうな授業は避け、所謂「らくたん」授業をたくさん履修してしまった。 履修してみた結果、とにかく楽だった。授業中は何も考えずパソコンを開いて好き

    • フィリピン留学記㉔台風から逃れた日帰りバギオ(Baguio)

      当初は友人4人で旅に行く予定だった。 度重なるトラブルにより、なぜかバギオ行きのバスに乗車していたのは2人だけだった。さらに日本の気象庁から「スーパー台風マンニイ」が接近中とのメールが着信。 かわいい名前とは裏腹に「マンニイ」は破壊衝動を抑えきれずバギオめがけて一直線に向かってきていた。 今回はなんやかんやで日帰りになってしまった旅の紹介をしようと思う。 位置と気温 バギオはフィリピン北部ルソン島に位置し、山の上に建設されている都市である。フィリピンは基本的に一年中熱いの

      • フィリピン留学記㉓マニラで救急搬送された話

        朦朧とする意識のなか、冷房の効きすぎた車内の簡易ベッド上に横たわり、過ぎてゆく街灯と後方の車のヘッドライトを眺めていた。 胃を鷲掴みにされるような痛みと頭痛、吐き気に蝕まれ、呼吸がうまくいかないまま、舗装されていない道路で揺れながら駆け抜けてく。 今回は急遽マニラで入院することになったので、病院の様子をお届けしたいと思う。 事の始まり 自分でも未だに明確な理由を把握できてないが、午前3時頃に急激な腹痛に見まわれて、学校のクリニックまで運ばれた。薬を処方してもらったがそこ

        • フィリピン留学記㉒セブをダイジェストで

          おそらく肌寒い季節がやってきた11月の日本とは裏腹に、直射日光が降り注ぐセブ。今回は3泊4日のセブ旅をダイジェストで紹介していく。気軽に読んでくれると嬉しい。 評価はすべて星5が最高である Taboan Market  ガチのローカルマーケット。観光客は自分たちだけだった。この朝市で有名なのは魚の干物とチョリゾー(ソーセージ?)工場である。 ぶらぶらしてから、朝は市場のレストランでシニガンを飲んだ。そのあと通りすがりの歯が残り2本ぐらいしか残っていないおじちゃんの勧めで、ツ

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          フィリピン留学記㉑ホセ・リサールから学ぶ生き様

          「ホセ・リサール」 日本人には馴染みのない名前だと思うが、フィリピンでは誰もが知るナショナル・ヒーローである。 リサールの足跡はここアテネオ大学にも色濃く残っている。彼の学生時代の日記では、アテネオでの楽しかった時間や、授業の愚痴などが記されており、我々は今でも授業中に文献としてそれを取り扱っている。 そして、リサールが人生を通して残したメッセージは、フィリピン人だけではなく、留学中の私にも大きな影響を及ぼすようになった。 今日はそんな「ヒーロー」について私が思ったことを記

          フィリピン留学記㉑ホセ・リサールから学ぶ生き様

          フィリピン留学記⑳Mt.Pinatubo(ピナトゥボ山)で旅の意義を考える

          1991年6月21日噴火したピナトゥボ山はフィリピンのルソン島西側に位置する火山である。噴火直後にフィリピンは経済的にも社会的にも甚大な被害を受けた、特にピナトゥボ周辺に居住していた先住民のアエタ族はその生活様式を手放すことを余儀なくされた。だが、噴火した後にできたカルデラ(火山の活動によってできた大きな凹地)はいまや毎日観光客でにぎわっている。 今回のお話は電波もWifiも届かない山で目にした「景色」と「人たち」についての旅の記録である。 旅の始まり 今回の旅は深夜出発

          フィリピン留学記⑳Mt.Pinatubo(ピナトゥボ山)で旅の意義を考える

          フィリピン留学記⑲ Tingloy(ティンロイ)での滞在は心を癒す

          また過酷旅を期待した方もいると思うが、残念ながら私の惨憺たる経験を読むことは今回だけお預けになるだろう。 Tingloyはバタンガス市に位置する離島の一つで、住人が2万人ほどだ。マニラからはバス(2時間)+ジープ(45分)+フェリー(40分)でたどり着くができる。 初めて上陸した島なのだが、その様子は明らかに違っていた。 この島はマニラと違って車が一台もない。メインの移動方法はトライシクルとバイクであり、都会で聞きなれたクラクションの音が耳に届くことはなかった。 さらに、

          フィリピン留学記⑲ Tingloy(ティンロイ)での滞在は心を癒す

          フィリピン留学記⑱マニラのおすすめ博物館3選

          私は博物館が好きだ。正直ディズニーの上位交換だと思っているほどに。 理由は3つほどに抑えておこう。 まず、学生に優しい。ほとんどの博物館は入場が無料か学割が効いており、貧困大学生の余暇の過ごし方をを経済的に支援してくれる。 次に、まるで異世界に迷い込んだかのような没入感を味わえる。こだわり抜かれた展示方法と、独特な世界観は参加者たちを容易く別世界に引き込んでしまうだろう。 最後に、展示の中には大喜利のお題だとしか思えないものもある。なので、ぜひお笑い好きな仲のいい人たちと行く

          フィリピン留学記⑱マニラのおすすめ博物館3選

          フィリピン留学記⑰ 彼の名前を聞けばよかった

          アテネオがサッカーの試合で無事勝利を収めた夜のこと。腹をすかせた我々は学校近くの屋台でささやかな祝勝会を上げることにした。 最近夜遅くに外出する機会が少なかったため、彼と遭遇するとは思いもしなかった。 細すぎる四肢と日焼けした肌、大きな眼はまるで小さな黒い惑星の様だった。 「ご飯ください」とジェスチャーする彼はまだ小学校一年生。 もし、いままでの私なら「お金がない」、「食料はない」とそっぽを向き、まるで彼がその場に存在していないかのように食事をとるが、今日に限ってうしろめ

          フィリピン留学記⑰ 彼の名前を聞けばよかった

          フィリピン留学記⑯マニラで杜崎君に憧れたら

          「海が聞こえる」というジブリ映画をご存じだろうか。知らない方は是非見てみてください、めちゃめちゃ面白いです。 この映画で登場する主人公の「杜崎拓」という主人公は私が最もかっこいい男としてノミネートしている。 ファッション、喋り方や諸々好きなので、髪形も一緒にしたいと思うようになった。 だが、あいにく私は現在マニラに留学中なため、杜崎ヘアーにしてくれる美容室を知らない。 そんなある日、行きつけのスーパーに通うと、隣に赤、青、白のストライプが順番に永遠と上へ昇ってく、あの美容室

          フィリピン留学記⑯マニラで杜崎君に憧れたら

          フィリピン留学記⑮誕生日は別荘でパーティー

          フィリピンの友人から21歳の誕生会のお誘いがあった。友人宅に行って軽くパーティーする感じなのかと思いきや、Googleフォームが送られてきた。 名前や年齢、夜は宿泊するのかなどの質問を回答し送信。 よく見るとパーティーの時間はまさかの午後2時から朝の11時という長丁場だった。 当日は招待された他の友人たちと駅に集まり、車をブッキングしパーティー会場に向かうことに。我々を乗せた車はどんどん山道を登り、町並みはみるみる田園風景に変化していった。 ガタガタの山道に入り体を揺らしなが

          フィリピン留学記⑮誕生日は別荘でパーティー

          フィリピン留学記⑭ちゃんと授業があることは普通じゃない

          「明日も授業か。」 大学生なら誰でも一度は口ずさんだことがあるセリフだろう。勉強や授業に出席することが学生の本分だが、それが嫌になるのはどうしてなのだろうか。 もし学業を退屈に感じたら、一度マニラの大学に来てみるといい。 私は今週、前代未聞の5連休を経験したのだ。 今アテネオ・デ・マニラで履修している授業を紹介しよう。 1)ホセ・リサールとフィリピン国家誕生の歴史 内容はタイトルの通りだ。授業の良き点は先生の司会力が高いことだ。オープンディスカッションで授業を回し、事前リー

          フィリピン留学記⑭ちゃんと授業があることは普通じゃない

          フィリピン留学記⑬Batangas(バタンガス)の旅はあかんやつ

          毎度おなじみの過酷旅行シリーズだが、経験するたびに次は絶対もう行かないと固く心に誓っていた。 だが、なぜか前回のDingalan旅での誓いは効力が切れたらしく、私はまた深夜2時に集合場所のマックの前に立っていた。 旅の始まり 正直自分の中で過酷な旅が徐々に心地いいものになってしまっている。 イスラムで言う「ラマダン」、スポーツで言う「マラソン」、銭湯で言う「サウナ」 マニラで言う「過酷旅」 は本質的に同列なのかもしれない。 今回向かった先はBatangas(バタンガス)

          フィリピン留学記⑬Batangas(バタンガス)の旅はあかんやつ

          スマホよりも大事なもの

          授業中、映画鑑賞中、食事中。彼らの手には昔は存在しなかったはずの四角い無機質な光る物体が優しく握りしめられている。 どれぐらい優しくかというと、まるで我が子を両手で包むような感覚である。 いや、今となっては我が子より大切になっているのかもしれない。 自分の身から少し離れただけで慌てふためき、30秒に一回は必ず確認が必要なのだ。 自分についてのすべての情報をそこに託してしまい、家族でも共有しない話は平気でするのだ。 眼の前にいる誰かに注意を向ける暇もなく。 みなその物体に釘付け

          スマホよりも大事なもの

          フィリピン留学記⑫150人の前で司会を務めた話

          現在留学しているマニラの大学はとにかくいろいろ規模が大きい。例えば、部活やサークルのことをここではORG(オーガナイゼーション)と称し、実際に企業のように運営している。 私が加入したフィットネス(筋肉)サークルはフィリピンのローカルな健康ブランドと連絡を取り実際販売してみたり、フィットネス文化をSNSで発信したり、ロゴやアパレルなどすべて自分たちで手掛けている。 今回お声がかかったのは国際交流を促進するサークル「ASEC」の新入生歓迎イベントの司会である。 留学当初は地元の

          フィリピン留学記⑫150人の前で司会を務めた話

          フィリピン留学記⑪ 大学バスケはスケールが違う

          最初に異変を感じたのはマニラのクバオ駅に着いた時だった。 青い服と赤い服を着てる人が多い。明らかにである。 両色が入り混じった駅周辺はきっと韓国の国旗の中心部のようになっていただろう。 正直たかだか大学バスケだと舐めていた。 会場に入った瞬間自分の予想を裏切る光景が目の前に広がった。 鳴りやまぬ歓声、心を揺らすドラム、舞う応援団。 試合開始前だというのに赤と青がコートを中心に分かれ、みな己の背負った学校の名を叫んでいた。   コート頭上のモニターに描かれた「Ateneo V

          フィリピン留学記⑪ 大学バスケはスケールが違う