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60で死ぬ、と決めた人の50歳で伏線回収が始まった(かもしれない)話 其の②

私、「東京とゆう土地に全く興味がなかった」と前に書きましたが、それにはちょっとした訳がある。ほんとにちょっとだけ
今は三重県に住んでいるが、実は神奈川県川崎市で生まれ10歳くらいまでは神奈川県民だった。
幼少期に何度も家族で東京に遊びに行った記憶は微かに残っているが、その時の東京のイメージがあまりいいものじゃなかったからかもしれない。

てか当時、父の仕事の転勤で東海地方へ引っ越してまず驚いたのは「(鉄道)駅」
関東では「国鉄」が主要鉄道でしたが、東海地方は1980年当時から「近鉄」が圧倒的に優勢で、既に多くの駅で機械仕掛けの自動改札がフツーに導入されており、新幹線を降り近鉄駅舎に足を踏み入れた当時10歳の私にはとんでもない未来を見せつけられたような強烈なカルチャーショックを受けた。
「東京なんて街も古いし汚い」みたいなイメージしかなかったから、一気に新しいものが沢山登場し始めた80年代の名古屋なんて超~近未来都市にしか見えなかった。
でも心のどこかに「自分は関東人」みたいな変なプライドだけは保ったまま、40年も過ごしているうちに知らず知らず三重県人に染まっていった。

そんな私が改めて踏みしめた東京の地は、ご時勢(新コロ禍)もあって更にブルーだった。

2021/08/08 東京オリンピック閉会式の日
鶯谷の宿の部屋に入るな否やアルコール消毒スプレーで部屋の隅々まで除菌。
北向きの窓のカーテンを開けると、線路を挟んで墓地しか見えない。


後に知ることになる寛永寺の徳川家墓地

ブルーな気持ちはすっかり濃紺まで落ち込む。
コロナ禍、とは言えこんな部屋にこもってる方がむしろ不健康に感じ、とりあえず外に出ることにした。


2021年ですけどね

17時半頃。ひとまず息の詰まる宿から出てきて考えた。
「とりあえず晩飯探し散歩でもしよか」
スマホのGooglemapを見ると浅草が近かった。
土地勘もないし東京に興味はなかった私だが、浅草ぐらいは知ってるよ。聞いたことあるし「浅草寺」は「センソウジ」と読むことぐらいは知ってた。
ま、とりあえずそっちに行ってみるか、ぐらいの軽い気持ちで言問通りを浅草方面へ歩き始めた。
ぁ、、と横を見ると古い学校らしきものを発見。ちょっと気になって写真撮ってみたり。

後に知る旧坂本小学校校舎。(今はもう解体済)


記憶は不確かだが、入谷交差点の歩道橋から昭和通りを眺めてるとこ(?)


花やしきだね~
日曜日の18時頃で人はこれだけ


仲見世もこんな有様。オリンピックの影響か外国人が多かったな…

とりあえず、なるべく物に触れないように、人とも距離を取るように細心の注意を払いつつ、緊張感高い散歩は続く。

ちょうどこの頃、土地勘も予備知識もないくせに突拍子もないことを思いついてしまう。
「そうだ、オリンピックの閉会式を会場の外から見てみよう」
オリンピック閉会式がどこで行われていてここからどれくらい距離があるのかも知らず、且つ勘だけを頼りに歩こうとゆうとんでもないことを思いついてしまった。
てか、いいんです。そもそもオリンピックに1ミリも興味なかったし、絶対に会場に辿り着こうだなんて思ってませんでしたし。


「多分あっちの方ちゃうかな~」とニイミのおじさんに言われた気がした合羽橋

「会場を目指す」と緩く決めたものの、粗方の方角だけは目指しつつ面白そうな雰囲気漂う通りや路地を発見してはそちらの方へ寄り道して行く。
ニイミの看板に出くわしたり、神社を見つけてはとりあえず参って「呼んでくれてありがとう」と唱えて賽銭を投げ、そうして歩いてるうちにコマゴマしたものの発見や出会いが楽しくなってくる。


19時ちょい過ぎくらい
後に上野駅・上野公園に心酔することになるとは…この時まだ気付いていない。

日も暮れて、上野駅前の歩道橋にある喫煙所で一服キメながら「そろそろ閉会式始まるころだし、ドン!とかパン!とか花火みたいなの聞こえないかな~」と暢気に考える。そう、東京はもっと狭いと思い込んでいたのだ。土地勘なさすぎるにも程がある。

再び歩き始め、不忍池の畔をかすめて湯島天満宮を見つけ、ここでも「呼んでくれてありがとう」と唱え賽銭を投げた。
湯島から本郷三丁目、1丁目、と歩きしばらくすると巨大建築が見えた
「ぉお!これが競技場か!」と思ったら違った。

国立競技場ちゃうやん、これ東京ドームやん

もうずいぶん歩いたよ
ここいらで日頃の運動不足もあってさすがに脚に限界を感じてきた。
警視庁小石川庁舎の前まできたところで、諦めて宿へ引き返すことにした。

※後から地図見て知ったんだけど、そのままの方角へ4~5km行ってたら国立競技場まで辿り着けたかもしれなかった。何の根拠もなく勘で歩いてただけだけどかなりいい方角を目指して歩いてた自分すげぇ(偶然だし、まだ4~5kmあるし)

宿に戻る、と決めたものの、世はコロナ禍。まだまだ電車に乗るのは怖い。
仕方なく歩く。
とりあえずスマホのGooglemapで鶯谷の宿までのルート案内を聞きながら、でも面白そうな路地を見つけては案内無視して寄り道するとゆう変な遊びに夢中になった。

あまりの疲労に「こんにゃくえんま」ってなんやねん!って自暴自棄になりかけてた頃
気付いたらすぐ右手に東京大学工学部があって、歩いてるだけでIQが20ポイント上がった(気がした

この時は全く意識せずに歩いていたが、これがいわゆる言問通り?

このままひたすら道なりに歩き、寛永寺陸橋を超えいよいよ鶯谷・根岸へ。

時刻は22時近くになっていた。
地元からのクルマ移動疲れと無駄に散歩した疲れで、身体は完全に限界に達しすっかりゾンビのような歩き方になっていた。
ファミマ根岸1丁目店で今更の晩飯と焼酎を買い、結局宿の部屋で食べた。

熱い湯船に浸かって脚の疲れをもみほぐし、明日からの現場作業のために早めに床に就いた。
2021/08/08 終了

初日はこんなもんっしょ

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