根無草。
「根無草。」
わたしの中に流れるこの血がルーツ
私の住まいはこの身体
この身体の中に、これまでの旅路が巡り、
この身体の中に、ただわたしが在る。
終の住処を探すため、一生懸命に旅をして、
そして、わたしのここに、いま辿り着く。
私のなかにルーツが流れる
還る場所はこの体。
いってらっしゃい
そして、ただいま。
おかえりなさい。
わたしのルーツ。
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いろんな、場所に行くのが好き。
知らない土地のクラブとかに行くのも大好き。その瞬間だれかと出会うわたしは何者でもないから。
なんのしがらみもなく、なーんにも気にせず自分の好きに踊れる。(あ、自分の今住んでる場所でも結局好きに踊るけど。でも意識のなかにその場にいる友達とか知り合いのことがよぎるんだよねー)
と、同時ににわたしのルーツはどこなのか、
私の属し帰る場所はどこであったかどこかでずっとどこかで気にしている私もいた。
自分自身がだれなのか。
どこから生まれどこに還帰るのか。
そんなことを、思い巡らして、わたしは何者なのかと探す旅に出ていたような意識もあって。
この間久々に遊んで、久々な人たちに会って、踊って、帰っても全然着地できず😂、
わたしって根無草だよなーって思考が出てきて、
自分がどこの何者なのかわからなくなってきて、ぐるぐる考えた。
だれかに、私の名前を呼んでもらって確認したい気分。笑
でも自分を自分で確かめてるうちに、わたしが誰かに対して素敵だなって思う瞬間って、
その人がどこの生まれで、どこに住んでるとかどこの会社に属しているとか、その人の所謂「ステータスやプロフィール」ではなくて、
その人の人間性や、話し方、話すコトバ、しぐさ、その人と過ごした時間、そんなところに出会った時だなあって感じた。
ステータスやプロフィールは安心するし、安全であるかの確認事項や推測するためのひとつの道具なのかもしれない。それももちろん大切だけれど、私の「人と出会った」という実感とは別だと思った。(余談だけどNVCの会話はその人間性や人となりに出会える気がしていて、その感覚がたまらなくすき)
そしてわたしは何者なんぞや?とか、
「どこに」わたしのルーツがあるんだ?
って外に外に自分の答えやルーツを求めていたけれども、わたしの中にルーツは流れているんだって思った。
私の仕草、ことば、こころ、全てがきっと、わたしのルーツとしてわたしの中に流れてて、
そしてそう考えると体のなかをめぐり流れている血管が、木の根っこ(ルーツ)のようなイメージがでてきたので、等身大の身体の中に木の根っこが巡っている絵を描いてみたくなって、今どう表現しようかイメージ固め中。
この話を昨日電話がかかってきた友達二人に熱く語ってしまい、なんだか申し訳なく思っていますw
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