下心なき施しが運命を引き寄せる話
はてさて、たまには普段自分が思っていること、感じていることを書いてみたいと思います。
自分は夢は普通に叶えられるし、夢に描いている想像以上のこともどんどん起こせると思っています。はたからみて悪いように思えてもそれは自ら望んでいることがほとんどです。例えば給料なく馬車馬のごとく広島で2年間奴隷のように働いた過去は、他の人から見ればよくない経験のように思えるかもしれません。がしかし、あの時も常に自分の気持ちと向き合っていました。今、ここを続けるべきかどうか。やめずにいるべきかどうか。そう自身に尋ねた時、続けるという選択肢が出続けたのです。ほかの人はやめるべきだということも言っていましたが、その選択肢を自分にあらためて聞くと「もうすこし続けてみよう」という答えが出てきたのです。結局広島時代では休みなく働き続けたせいで精神的にだいぶやられ、死ぬよりはやめたほうがいいだろうと思いそのときにはじめてやめようと思いました。こう聞くとやはりもっと手前でやめていたほうがよかったのでは?と思われるかもしれませんが、流れやタイミングもあるかなと思っていて、あのタイミングでなければ沖縄の話もなかったでしょうし、今日ほど色々と応援してくださる方もいなかったでしょう。したがって僕は自分の心で生きるということを最重要視しています。
さて、タイトルにもある「下心無き施しが運命を引き寄せる話」ですが、周りに何かをする場合、ビジネスの場合であっても、損得を抜きにして何かをしてあげたい相手に対して自分ができることを行ったほうがうまくいくことが多いと思っています。しかも面白いのが施しを行った相手から見返りがくるのではなく、全く関係のない第三者から見返りがくることがほとんどであるということ。なんどもこういうことがありすぎて僕はこれを単にオカルトのひとつでなく世界の仕組みなんだと本気で信じています。さらに発展させてこういうことができるかなと思います。
「徳を積むことで、やりたいことを行う際の流れが良くなる。」
どういうことか?
ぼくは毎日、どんなことにわくわくするかを自分の心に問うていたり、抱えている問題についてもこうなったら最高だな、というイメージを沸かせています。そして日常で施しという徳を積むことで、そのイメージが特に努力もせず、最短距離で表れてくるのです。これは非常に面白いことだなと思っています。最近意識的にこの法則を使っていますが、仕事のお問い合わせが増えましたし、謎の臨時収入もありますし、逆にこのことに関わるのはもういいんじゃないか?といったものは問題なくキレイな形で縁が切れていきました。
「わくわくすることをイメージした上で、徳を積むこと。」
これが人生の必勝法の一つである気がしてなりません。
これを読んでくださるみなさんの中にも近いことはありますか?
もしあれば、共有出来たらうれしいなと思います。
それでは、明日も素敵な一日が訪れますように。