『言論空間』
今、カタールで『アジアカップ』という、サッカーの大会が開催されている。4年に1度開催される、アジアナンバー1の代表チームを決める大会だ。今日現在、我らが日本代表はベスト8まで勝ち上がっている。
今、日本代表サッカーの地上波での放送が激減している。今大会で日本代表は4試合を行っているが、地上波で放送されたのは敗戦したイラク戦だけだ。円安の煽りをうけた放映権の高騰に、テレビ局が二の足を踏むという現状が続いているという。日本代表の試合が無料では見れない。
「日本代表が順調に勝ち上がりさえすれば放送します。」というスタンスのテレビ局のラインまでは、サムライブルー(この愛称は止めたい)は勝ち上がって来た。これからの試合は地上波で放送される予定だ。
現、サッカー日本代表は過去最高の実力のチームだ。それでも負ける。それが、サッカーだ。それはそのとうりなのだ。しかし、日本のサッカーの言論空間が変わってきた。そのサッカーの言論空間を変えたのは『YouTube』だ。負けには負けの理由があり、勝ちには勝ちの理由がある。こんなあたりまえの事が地上波のサッカーの言論空間には(ほとんど)なかった。
『YouTube』というメディア(SNS)の登場により、日本サッカーの』言論空間のレベルは飛躍的に上がっている。言論空間のレベルがあがれば、その言論対象のジャンル(事象)のレベルも同時に上がる。そんな仮説が成り立とうとしている。
おそらく、サッカー大国の言論空間は、当然地上波のテレビにもあり、新聞にもあり、街角にあり、パブにもあるのだろう。『YouTube』誕生までの日本サッカーの言論空間は、それに比べてお粗末だったと言わざるを得ない。
その凝り固まって萎縮していた言論空間を『YouTube』が風穴を空けた。
その、顕著でわかりやすい例がサッカー日本代表だと思う。ライムスター宇多丸氏が映画の言論空間にラジオ番組で風穴を空けて、日本映画のレベルを(すこし)引き上げたように、いま、ひとりのYouTuberの登場により日本サッカーの言論空間が沸騰しようとしている。
その筆頭が『レオザフットボール』のYouTubeチャンネルだ。この、ほとんど素人(だと思う)の一サッカーファン(元お笑い芸人)の登場により、日本のサッカーの言論空間は変様した。全日本プロレスのジャイアント馬場氏の言葉を拝借すれば、「明るく楽しく激しい」言論空間が誕生している。その舌鋒は激しく「ストロングスタイル」かも知れない。物議を巻き起こす発言は、新日本プロレス的でもある。しかし、アントニオ猪木氏の破天荒さはなく、スキャンダラスというわけでもない。
私は、このレオザフットボールという人物を、頭脳明晰の格闘家、前田日明氏に近い人物かも知れないと思っている。そのサッカー分析には理があるからだ。
過去動画の激しすぎる(または無知の)言動に足下をすくわれなければ、大いに日本サッカーの言論空間にこれからも貢献してくれるはずだ。第二第三のレオザフットボールの登場も必要だ。言論空間のレベルがあがれば、サッカーのレベルもあがる。
公表、非公表を含めて、多くのサッカー関係者が氏のチャンネルを見ているのは確実で、現代表の選手も視聴していると公言している。
古舘伊知郎氏も視聴しているのには大変驚いた。あの歳でそこまでのアンテナを張り巡らしている者がほかにいるだろうか。
すこし余談を。レオザフットボール氏に限った話ではないのですが、私は『無能』という言葉が嫌いです。『有能』の対義語は確かに『無能』で、間違いはありません。私は、安易な言葉狩りには反対の立場ですが、現代では、どうも『無能」という言葉を『差別的』に使っているような風潮があります。国会中継でも『無能』発言がありました。できれば、なにかべつの言葉に置き換えて話してもらえたらと思っています。『無能』という言葉を聞くと私はしらけてしまいます。
さらなる余談になりますが、レオザフットボール氏はプロレス好きという事もあり、水道橋博士と手が合うのではないかと思っている。是非、対談してほしい。以前の水道橋博士であれば、そのアンテナでキャッチ出来ているはずなのだが。