「虎に翼」、のどかさんはどんな集会に行ってなぜ補導されたのか、そしてこの設定の意味を推測してみた
珍しく朝ドラ「虎に翼」にハマってる私です。
この度登場人物の「星のどかさんが芸術家の集会に参加して補導」という設定が出てきたので美術好きとして勝手に背景を推測してみました。ちなみに時の設定は昭和31年です。
さて、補導の案件ですが、このような仮説を立ててみました。
さて、この設定を1つ1つ紐解いていきましょう。まず、なぜ補導されるような芸術家の集会にのどかさんがいたのか。それは登場の際にのどかさんが芸術という文字が表紙にある雑誌を手に持っていたことから推測できます。
「国際芸術」と書いてあるように見えますが、ちなみに国際芸術という雑誌は実在しません(NHKですからね)。では一番近いのは「美術手帖」ではないかと思われます。
美術手帖は1948年に美術出版社から創刊された月刊美術雑誌でした。
のどかさんはこちらの雑誌を手に取っている、という設定になっていると設定して良いと思います。なぜならあまりに似てるから。
おそらくだけど美術手帖さんは当時発刊された雑誌の資料とか提供してるのでは?だってそっくりですよ。絶対参考にしたでしょ。
当時の雑誌はプライバシーとか何それ美味しいの状態だったはずなので芸術活動の詳細、個人の連絡先とか記載されていたはず。のどかさんはおそらくそこから芸術家仲間とコンタクトを取ったと思われます。
では当時、どんな話題をしたか。補導という設定からの逆算になりますがおそらく「前衛活動に刺激を受けた」と思われます。
では、当時どんな前衛活動があったか。昭和31年をみてみると前衛美術「具体美術協会」が一番目立っていたのではないかと。
では「具体美術協会」とは?
手短に申しますと「従来の方法でない方法で作り出す(いや、作っていないかもしれない)芸術を突発的に実行する」集団でした。
昭和31年に絞ると「白髪一雄」がわかりやすいかもしれません。
白髪一雄は天井から吊るしたロープにつかまり、床のキャンバスに足を使って描いた大胆な作品で知られています。
白髪一雄「網の中のパフォーマンス」は昭和31年。当時の若者には刺激的だったのでは。今ならまだ受け入れる土壌もあるかもしれんけど、当時、抽象画を体を使って描くというのは相当衝撃だったと思います。
のどかさんは東京でしかも未成年。流石に尼崎まで行くことが無理だったでしょう。なので雑誌「国際美術」でコンタクトを取り合った芸術家の卵がもっと過激に体を使って絵を書いたりたりする場に警察が介入した、というのは容易に想像できます。
たかが芸術で警察?というのは想像しにくいかもしれません。ちなみに当時の学生たちが芸術を語る会は美術評論家の平井亮一さんのインタビューがわかりやすいです。
警察介入は学生運動の疑いをかけられる、というのが多かったようですね。(美佐江さんとか今後関わってきそうな気がする。。)
同時に昭和31年というのはこの時代はジャクソン・ポロックが「黒と白」のシリーズを発表を始めた時期でもあります。
のどかさんはドラマ中で「国際美術」という雑誌を読んでるのでおそらく海外の美術の情報も知る機会があったと推測できます。
ポロックがよく知られている「アクションペインティング」になるのはもう少し先のようです。(ちなみに1961年発行の美術手帖には作家研究としてポロックが取り上げられています)
このような芸術表現は父親の再婚で心乱れる思春期の女の子には格好の発散の対象になったと思うんですよね。破壊表現を疑似体験することで自分の中の破壊願望を発散させるというか。
同時に警察の介入は不良というか学生運動関係による介入、と推測した方が良さそうです。そうなると、東大に合格した美佐江さんの存在が気になりますね。
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追記:このような記事を見つけました。
「虎に翼」制作統括・尾崎裕和インタビュー「終盤の注目人物は、これまでとは変わってしまう、変わらざるを得ない桂場」
桂馬さんのモデルは石田和外氏とのこと。石田和外氏は、日本の元最高裁判所長官であり、学生運動の時代に司法界の重要人物であります。学生運動が盛んだった1960年代末から1970年代初めにかけて、石田は法の秩序維持を重視し、学生の過激な行動に対して厳しい姿勢を示しました。
ほらやっぱりここに学生運動が関わってくるのですよ。そうなると、のどかさんが(芸術)集会で補導された、は「学生運動弾圧の歴史の始まり」と繋がっていく、ってことになっていく、ってことになりません?
そうなるとやはり美佐江さんが。。まさか、美佐江さん、学生運動(安保闘争なので時代ずれますけどね)樺美智子がモデルとか後付けで出てきたら、うわあああああああ