
自分でも笑っちゃうくらい、辛い時。
それにしても忙しい。そして気持ちが落ち込んでしまう。自分でも笑ってしまうくらい、辛い。外国暮らしでの手続き関係はまるでロールプレイングでの次々に出てくる敵のようだ。1つ1つを倒しながら「次の敵は。。」と身構えてしまい、余計に辛くなる。
ゲームから離脱もあるのかもしれない。でもこのゲームから離脱しても今度は別のゲームに参加しなきゃいけない。しかも、このゲーム。前回も出来たしきっと出来る。そう思うとなんかさ、別にさ、このまま参加でいいかなとも思う。それに結果としてはいいスコアが出てるしね。
私は非常に落ち込みやすい。これは自分が自己肯定感が著しく低いからだと思う。ずっと「あなたは完璧に出来ていない」と叱咤されてきた。そう、別に私のせいじゃなかったとしても。
そういうものだと思っていた。私はみんなより劣っていると。だから人の数倍努力せないかんと。ちなみにこういう意見を少しでも言うと
「あなたは「そんなことないよ」って相手に言わせようとしているんじゃない?」
と指摘されたこともある。そう言われてしまうと。こりゃ黙っているしかないなと思う。
最近わかったことがある。
インターネットの社会が多層化してること。外側での発言と内側の発言は明らかに違う。当然だ。自分だってそうしてるからだ。
その多層化に遭遇した時どうすべきなのか。それは同時に自分がどうしてほしいかなのかな。私自身は
「私はあなたの側にいるから(いるだけかもしれんが、いるから)」
を伝えて、あとはその人と自分が心穏やかになるように猫の画像を共有したり、その人の書きたいことをじっくり聴く。そして「ゆっくり休める時間が訪れますようにって祈ってる」と伝える。
自分がそうしてほしいから。
本当に辛いって感じる時、自分だけ辛いって思ってしまいがち。いや、みんなそれぞれに辛い。そしてその辛さを「わかるよ」とか「あなたのここをこうしたら?」とか安易に言われたくない。あんたに何がわかるのさって思うよね。私だったらそう思う。そして「いやあ私もこんな辛いことがあって」って話し始めて自分の話ばかり続けるのも違う。(話のキャッチボールはアリだと思う。その塩梅が本当に難しい)。
「辛いのは自分だけじゃない」と知ったからといって、自分の辛さや悲しみを我慢する必要はない。
「あなたも辛い、私も辛い。だから、まずは、少しでも休めますように。」
ここから始められるようにしたいものです。
いいな、あの人は楽しそうで。いいな、あの人は悩みがなさそうで。と思っているあの人が、実は想像できない程のつらい事を抱えているかもしれない、ということを想像できるのは、心でわんわん泣きながらも会社や学校へ行っていつも通りにふるまえた事がある人なんだと思う。
— みお (@miomiopyonkichi) October 7, 2019