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石川啄木終焉の地
文京区の小石川というところに、石川啄木終焉の地があるのですが、たまたま近くに用事があって足繁く通っていた時期があり、行ってみたことがあります。
が、現場は驚くほど普通。普通過ぎて一度通り過ぎたくらい。今では小さな会社が建っていて、天才啄木がここで生涯を閉じたことはこじんまりとしたプレートが示すのみ。岩手県出身者としましては、石碑ぐらい建てとけや!と怒りにも似た気持ちを覚えました。ひっそりしすぎて淋しい。と思って改めて調べてみましたら、平成27年には歌碑と顕彰室というのができたみたいです。私が行ったのはその少し前のお話です。
子供の頃、石川啄木が好きでした。岩手には私の実家があるんですが、6 歳頃までをそこで過ごし、その後は八戸→仙台と父の転勤で引っ越しをしたんです。しかし心はいつも故郷、岩手にあり。何故だかわからないけれど、岩手に帰りたくて帰りたくてたまらなかったんです。(前世の影響?だって6歳なんてまだ保育園児ですし、6年間で何か思い出ができたとかそういうわけではないんです…)
小学校に上がると、学校で配られた国語や社会科の資料集などで岩手に関するページを探しては、そこだけ貪るように読んでいました。岩手山や、岩手公園のお城の石垣の写真を眺めてはウットリ…
そして、その中で発見した石川啄木。
「やはらかに柳あおめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」
「ふるさとの訛りなつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく」
解説を読み、超わかる〜〜〜〜って身悶えてました。まだ小学校低学年だったのですが(やっぱり前世の影響?多分岩手で生きていたのでしょう…)
今では新幹線で帰ればいいじゃんって軽く思えますが、子供にとっては八戸と盛岡、仙台と盛岡なんて、永遠のような距離なんですね。望郷の念、募る募る。八戸の小学校から見える山を眺めては、あー、岩手山じゃないし…などと勝手にガッカリしていた記憶があります。相当おかしいですね。
それに当時はこんなにも強烈に岩手を愛していたのに、大人になった今も結局故郷から離れて暮らしている、というのも因果なものです。中3の時に晴れて岩手に帰ることができ、高校卒業までの青春時代を過ごすことが出来て、一応気が済んだのかもしれません。いや、本当は今だって岩手に帰りたいのですが、ふるさとは遠きにありて思うもの、なんでしょうかね。
↑当時、近くの小石川図書館で、没後100年展をしていました。ということは2012年(平成24年)なんですね、行ったの。それにしても啄木、イケメンだな。
↑終焉の地がある通り。今は舗装されているけど、啄木もこの道を歩いたのかな。
現在小学生の息子にも、岩手をルーツに持つ者の精神を叩き込むべく、啄木の短歌を音読させていますʕ•̀ω•́ʔ✧