「キャンプ」と聞いて思い出すこと
今日は「#キャンプの話をしよう」というお題を見つけたので、キャンプの話をしよう。
最近は家族でよく行くので、すっかり思い出すことも減ってきたのですが、私が「キャンプ」と聞くと、ときどき頭の中にはある歌のメロディが流れてきます。
財津和夫さんが歌う「切手のないおくりもの」。
今から38年前、昭和のまっただ中。小学3年生の夏。兄二人と3人で神奈川の自宅から北海道の日高地方へ。おそらく1週間くらいのキャンプへ行きました。
一番上の兄が5年生。二番目の兄が4年生。私が3年生。そうです。3人としごです。恐ろしい・・・(お泊りでもさせないと、仕事の忙しかった母はやっていけなかったに違いない。)。その北海道キャンプは、参加OKの学年が5年生以上だったのですが、私と二番目の兄はおそらく無理やり入れてもらいました。はい、両親は無理やりお願いしたのだと思います。今の時代ならダメなものはダメ、と断られていただろうに。
今となっては、私が「行きたい」と言ったのか、行きたくもないのに「行かされた」のかは全く思い出せません。でも、兄たちが嫌がっていたのは覚えています。
私たち家族は「こたつの部屋」と呼んでいたリビングの隣の6畳の和室。そこに大きな大きなリュックを3つ並べ、家族全員で持ち物のチェックをしました。その時の気持ちは・・・確かにワクワクしていました。そうだ。思い出した。私が「行きたい」と言ったんだ。
飛行機に乗るのはそれが初めてでした。両親はまだ乗ったことがなく、「おまえたちが最初に乗るんだぞ。すごいことだぞ。ホッカイドウはデッカイどう!」と父が大きな手で頭をグリグリした記憶。
遠い北海道で、親から離れて過ごす数日間。ホームシックになったのは、飛行機を降りてから、兄たちを探しても見つけられずに涙をこらえていた数分の間だけ。見ず知らずの係りの人についてバスに乗ると、遠くの席に見慣れた顔を見つけ、「お兄ちゃん!」と叫んだら、「バーカ」と言われ、一気に身が引き締まった(現実に戻らされた)話は今でもよく誰かに話します。そのくらい、私は兄たちとあまり仲良しではありませんでした。
それからは、あてにならない(気遣ってもらえない)兄たちはとっくにあきらめ、他人のお姉ちゃんたちに思い切って話しかけることを学び(私にとってはそれこそが大冒険でした)、濃い数日を過ごしました。
大きな大きな(その時はそう見えた)何列にも連なる二段ベッド。テントのにおい。グループでの課外活動、集合・解散のルールや役割分担。キャンプファイヤ。声の限りに叫んだ「きもだめし」。夜中のトイレの虫たち。はじめてのことばかり。今思えば、キャンプの基本中の基本を全て経験できたんだな。
そして大きなお姉ちゃんやお兄ちゃん(多分中学生)数人とテントを抜け出し裏山まで行って怒られたこともはじめての体験でした。
草むらの中からのぞいていたのです。みんなが広場で「切手のないおくりもの」を楽しそうに歌っているのを。
ちょっとした高台の草むらで、あたりはもう真っ暗。みんなのいる広場だけに明かりがありました。自分たちは違う世界に取り残されてしまったのです。大人のリーダーたちがどれだけ心配しただろう。今では大人の気持ちもわかる。どんなに心配をかけたか、考えもしなかった。
出るに出られなくなってしまった、子どもの気持ちもクッキリ心に残っています。きっとあの時は大きなお姉ちゃんに見えた中学生も怖かったに違いない。歌の練習をサボって冒険に出かけたのは良いけど、やっぱり戻りたくなって草むらから様子を伺っていたあの時の空気。時々その時の光景を夢に見ます。
その光景と流れてくる音楽だけを、この数十年もの間、思い出しては忘れ、また思い出しては忘れていました。今日こうしてはじめて文章にしてみたら、気づきました。
一緒に歌いたかった。
そうだったんだ。楽しかったはずのキャンプがどうして「苦い」思い出なんだろう、とずっと不思議に思っていました。この「切手のないおくりもの」がどうしてこんなにも切なく聞こえるのか。今やっと理解しました。あの時のワクワクと、ドキドキと、怖さと、後悔と、たくさんの入り混じった気持ちを今はっきりと思い出しました。
その後にも、夏には子どもだけで宿泊イベントに参加しましたが、楽勝でした。暑い中朝礼をしていると、数人がバタンバタンと倒れるような厳しい時も、なんだか北海道の経験に比べると冒険度が低いように思えたのです。(傲慢です)
そんな夏の思い出の中で、今でもはっきり頭に映る光景は、両親がお迎えに来てくれた瞬間。みんな笑顔だったな。今ではバラバラになってしまった家族だけど、あの時は確かにみんな一緒だった。みんな一緒に笑顔でした。もう二度と戻らない。
北海道のどこまでも続く道や広大な景色、夕焼けを今でも憧れるのは、この時の経験があったからかな。それから数年後には、親よりも先に海外に行きました。父はその時も言いました。「おまえが最初に外国へ行くんだぞ。すごいことだぞ。いろんなもの見てこい。きっと何もかも大きいぞ!」
今となっては、送り出した両親の「助かるわ~」という気持ちや「頑張っておいで」という励ましながらも心配な気持ちを理解することが出来ます。それでもこんな経験をさせてくれた両親は一生超えることはできない。
さて、そんな経験を子どもたちにも・・・と思っても、もう出来る気がしない。キャンプに行けば、夏は扇風機。冬はストーブと電気毛布持参です。枕も忘れずに。
良いのです。時代は変わる。自分と同じ経験を子どもに押し付けることはやめよう。今の時代に生きる、子どもたちには子どもたちなりの怖さや楽しさや大冒険がきっとある。それをいつか私のように何十年もあとに思い出す時、私は笑顔でいるだろうか?
「だから、靴のままテントに入らないでって言ってるでしょ!」とか怒ってばかりの顔かもしれない・・・。気をつけよう。