子どものことで悩んだ時、少しでも自分が楽になる方法
幼稚園に迎えに行くと、息子はいつも通り私のところに駆け寄って
「おかーさんスキ!」と何度も何度も言いながら、まるで何年も会っていなかったように喜びを全身で表します。
理由があっても、パンチはダメ
そして、周りの異様な雰囲気に気づきました。同じクラスの子供たちはおとなしく並んで座り、マスクで表情が見えないけれど、あきらかに笑っていない目で息子をじっと見ていました。
○○くん、みんなにメーワクかけたよ。パンチしたの。
ゆがむ顔、謝るわたし。逃げる息子。先生が気づく。
どうやら、女の子に「腕を引っ張る」「パンチをする」など乱暴なことをしたようです。
さあ、今から先生が息子を端っこに連れて行き、お説教・・・という場面に、呑気に現れた母なのでした。
最近何度もそんな場面に出くわすのですが、こういう時、母としてどんな顔をすれば良いのか悩みます。もちろん笑いません。相手の子に謝ります。息子にも「痛いことはいけないよ」と言います。
私の耳元で「あの子が先にやった。あの子が悪いこと言ったの。」という息子に、「どちらが先ではなく、まず痛いことはよくないよ」と言い聞かせます。
でも息子の目を見て、「そりゃ、仕方ないわ!そんなこと言われたらパンチしちゃうよねえ!」とテレパシーで伝えます。(伝わりませんが)
そして車に戻ってから、「嫌だったね、あの子がそんなこと言わなければ仕返ししなかったね。おかーさんは分かってるよ。でもやっぱりパンチはダメ。」
謝りに来たおばさん
私が小さな頃、近所の友達と喧嘩をした日。たまたま夕方にその子のお母さんと道路でバッタリ。いつもなら挨拶だけなのに、ムシャクシャしていた私は、言いました。「〇〇ちゃんがひどいことした。」その子の最愛のお母さんに。その時のおばさんの顔をなぜ忘れられないのだろう。どうしてこんな些細な場面を覚えていたんだろう。記憶ってすごいな。きっと今日の私のため。
おばさんはその日、その子と一緒にわざわざ我が家へやってきて、謝りました。私と私の母に向かって。殴られたわけでも、傷をつけられたわけでも、物を壊されたわけでもなかったのに。その時の私の気持ちは……罪悪感。それしかありません。謝らなくてはいけなかったのは私の方です。
この気持ちがおそらく今の私たち親子に繋がっているのかな。
親としてのケジメを見せる
息子は力の加減が分かりません。感情も力も強すぎて、大好きな子についつい力づくでハグしてしまいます。
周りが見えない上に動きの激しい息子は、偶然手や足がお友達にぶつかり、泣かせてしまいます。
そして感情のコントロールが出来ないので、ついついはしゃいでビックリするようなイタズラを突然しでかします。
そんな言い訳を考えながら、今日もお迎えに行くと、またしても!泣いている子に群がる子供たちと先生、指をさされている対角線上の息子の図。先生が一生懸命話していました。
わざとじゃないのは、分かったよ。でも痛いことしちゃったから、謝らなくちゃね。謝ってごらん。
こういう場合、わざとじゃなくても悪いことは悪い。謝るべき、と思います。息子が意固地になって謝らなくても、私はその子に謝ります。何度か促しても黙り込む場合、力づくで息子に謝らせることも出来ますが、そうしない私ははっきり言って甘い。先生もきっとそう思ってる。
正直に書いてしまうと、息子が悪いことはもちろん認めるけれど、親としては心の中で100%息子の味方。
40年前、子どものしたことをわざわざ謝りに来たおばさん。あの時、その子に本当に申し訳なかった、あとで怒られただろうな、と思いました。
でもたとえ怒られたとしても、おばさんは絶対に100%その子の味方。親子ってそういうもの。それを今知ることができ、あの時の罪悪感を勝手に和らげている私です。
のんびり静かな娘が小さかった頃は反対の立場でした。
いいよ、いいよ、わざとじゃないもんね。
どちらの立場にしろ、大きなケガにならなかったから日常の一コマで終わる話。わざとでもわざとじゃなくても、一線を超えてしまったときは、誠意を見せるべき。日々の暮らしが本当にキワキワなところなんだって思うと、ドキドキします。
謝らなくちゃいけない出来事は、これからも何度も訪れるだろうけど、その誠意を受け取ってもらえるかどうかは、やはり日頃の信頼関係が大切なんだろうな。
内容の大小に関わらず、おばさんはわざわざうちに謝りに来た。そういう姿を子どもに見せることで、子供たちは学んでいくのだと思います。私は40年後にその学びに気づきましたが。(遅い!)
絶賛成長中の息子。心から悪かったな、と思い「ごめんね」という言葉が出てくるまで、どのくらいかかるかな?運命共同体の私は、これから起こるであろう出来事が小さいことを祈るばかり。
「謝りなさい!」とか「あなたが悪い」とか、たとえ言ってしまっても、誰よりも味方なんだよ。ということだけは忘れずに伝え続けよう。
子どものことで悩んだ時に自分が楽になる方法
先日アップした記事は反響が大きくてビックリしました。
当たり前かもしれないけど、それだけ皆さん子供たちの気持ちの裏表に日々関心を寄せている、つまり真剣なことが分かりました。
こうして悩みを書くことで、共感してくれる人、アドバイスしてくれる人、こんな考え方があるよと意見を言ってくれる人、たくさんの人々が声をあげてくれます。人って本当にお互いが助け合うようにできているんだな。
自己啓発という意味で、前に進む最も速い方法は、先人の知恵を借りること。見たり聞いたり本を読んだり。でもその知識は借りられるけど、「行動を起こす」という経験は借りられない。
子育てなんて、みんなはじめて。今となっては比較的楽な幼児期だったと感じる娘と比べてしまうと、息子は私にとって難しい。考えさせられることが山ほどあって、どんなに子育て論を聞いたり読んだりしても、「私と息子」という関係はこの世にたった一つの関係。
参考にしたり、試しにやってみたり、先人の知恵と、同じ時代に子育てを経験する友人知人の励ましによって、「私と息子」は生かされているな、と感じる今日この頃です。
「現代の子育て世代(幼児期)」という名の大きな大きな船に乗っているイメージ。そう思っている私はかなり安定している方なんだ、と気づかされます。
一人ぼっちだとか、本当に孤立した小さな小さな船に乗っている気分だとか、そんな親子がいたら、なんとか大きな船のイメージを持って欲しい。解決までは出来なくても、声をあげればきっと気持ちを楽にしてくれる人が、周りに星の数ほどいるから。
というわけで、いつもFacebookやメール・LINEなどでコメントくださる皆さま、ありがとうございます!お礼が言いたかった、という結論の記事でした。
何かあったとき、頼れる人がいること、私たち親子について知っていてくれる人が多ければ多いほど、助言もたくさんしてもらえる。ということは、こうして自分の子育て感や体験を文章にすることはいつか役に立つ、いつか大きな壁にぶつかったとき、自分が楽になる方法の一つなのかも、と気づきました。
その折には、どうぞよろしくお願いします。
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