第一原発_1月30日代表撮影_のコピー

【原発】【東電】大詰めを迎えた 「中通りに生きる会」原発賠償裁判

初の和解決着を目指した理由


 中通りの住民で組織する「中通りに生きる会」(平井ふみ子代表)のメンバー52人が、原発事故で精神的損害を受けたとして、東京電力に計約9800万円の損害賠償を求めた訴訟が大詰めを迎えている。原発事故を受け、いくつもの集団訴訟が起こされたが、「中通りに生きる会」の裁判では、初となる「和解」決着を目指している。代表の平井さんにこの間の経過や和解決着を目指すことになった経緯を聞いた。 


 同訴訟は2016(平成28)年4月に提起されたものだが、そこに至る準備は2014年から進められていたという。「中通りに生きる会」代表の平井ふみ子さん(福島市在住)は次のように話す。

 「原発事故直後、浜通り(原発周辺)の人が続々と中通りに避難してきました。われわれ中通り、福島市の住民はどうだったかと言うと、当初は知識も情報もなく、(避難指示区域外でも)ただただ不安だけが広がっていました。私の周囲でも(自主避難などによって)家族がバラバラになったり、好奇心旺盛な小さな子ども・孫に『アレをしちゃダメ』、『これをしちゃダメ』と制限しなければならないなど、切なくなるようなことが多々ありました。私自身も首都圏に住む娘のところに一時的に避難しました。それだって、当時は交通網も完全復旧していませんでしたから、バスを乗り継ぎ、やっとの思いでたどり着いたのです。しばらくして福島市に戻ってきましたが、家の竹塀(竹垣)をプラスチックに変えるなど、少しでも不安を取り除こうとしました。そうして、住民は皆、不安と戦っていたわけですが、じゃあ、行政はどうかというと、『あまり騒いでくれるな』という雰囲気でした。東電の相談センターに行っても、浜通り(避難指示区域)の人でないと、適当にあしらわれるような状況でした。皆、不安や怒りを持っているけど、それを受け止めてくれるところがなかったんですね。そんな中で、黙っていていいのか、声を上げる必要があるのではないか、と思ったんです」

 そんな思いを募らせる中、平井さんは原発被災者支援を行っていた東京の弁護士と知り合い、集団訴訟を起こすことを決意した。2014年に「中通りに生きる会」を立ち上げ、その代表に就くと同時に、集団訴訟の参加者を募った。その結果、同訴訟の原告となったのは福島市、郡山市、田村市など、避難指示区域外の中通りに住んでいた20代から70代の計52人だった。

 実際の裁判に当たっては、原告に加わる各々が陳述書を書くところからスタートした。通常、陳述書は代理人の弁護士が書くもの。この場合は、弁護士が平井さんらの話を聞き、それを基に書くのが普通だ。ただ、同裁判ではそうせず、原告に加わる各々が陳述書を書いた。そのような手法を取った理由を、代理人の野村吉太郎弁護士は裁判の意見陳述の中で次のように明かしている。

   ×  ×  ×  ×

 2014年3月から始まったこの裁判準備作業は、原告代表者の平井さんの意見陳述でもあったとおり、陳述書を原告となる人たちに書いてもらうことから始まりました。

 なぜ陳述書を訴訟提起前に書いてもらったのか。通常の裁判では、陳述書は訴訟提起後、主張と証拠がほぼ出揃った段階で、弁護士が依頼者から話を聞き、弁護士が書くものです。

 この訴訟でそうしなかった理由は、2つあります。

 まず、この裁判では、精神的損害賠償請求を基本とし、財産的損害賠償を求めないことを原則としました。そこで、精神的損害を掘り下げる必要があったのですが、従来の損害賠償における損害論、特に精神的損害賠償については深くきめ細かな分析が全くなされておらず、単に「慰謝料」として、まとめて一括りにされており、判決等においてもその中味はブラックボックス化しておりました。

 この訴訟で原告らが求める精神的損害賠償については、訴状、準備書面で明らかにしてきましたが、その中でも原告準備書面(20)において述べたとおり、原告らの請求は、いわゆる一括請求方式ないし包括請求方式による一律的なものではありません。

 個別損害項目積み上げ方式に立脚しながらも、精神的損害の中味を追究し、分析・分類することにより、精神的損害が一括りにされないよう、そして納得できるような賠償額に近づけるためには、そのための材料・証拠が必要です。その材料、そして証拠が陳述書なのです。

 したがって、訴訟提起の前に陳述書を書いてもらい、陳述書の内容から、それぞれの精神的損害を分析・分類したのです。訴状において、34項目の精神的損害を主張することができたのは、まさに陳述書のおかげでした。

 別な観点から振り返ってみると、訴訟提起前にまず陳述書を書いてもらったということは、原告らの精神的損害を「発掘」する作業でもあったのだと、私は思っています。

 その「発掘」作業は、決して楽な作業ではありませんでした。原告ひとりひとりと向き合い、この原発事故とは何だったのか、私の心の損害とは何かということを突き詰めるという作業は、ある意味、弁護士である私と原告らとの魂のぶつかり合いでもありました。

 私の弁護士生活は30年を超えましたが、裁判においては、弁護士の力ではなく、やはり依頼者の力がものをいうと、私は今更ながらに確認しています。弁護士の仕事は、その依頼者の力を最大限に引き出すことだと、私は思っています。

 この訴訟において、私がまず陳述書を書いてもらったのは、原告らの「力」を引き出すため、そしてその「力」を頼りに私が裁判で争う武器を手に入れるためでもあったのだ、そう私は思っています。

 このようにしてみれば、陳述書を弁護士である私が書かなかった理由が、お分かりいただけると思います。原発事故という未曾有のできごとについて、被災者である原告ら自身が陳述書を書かなければ、本当の苦しみ、悲しみ、つらさ、悔しさなど本当の精神的損害を表すことができないのです。そうしなければ、本当の意味での依頼者の力を引き出すことができない、そう私は考えたのです。

   ×  ×  ×  ×

 こうして、原告に加わった人の陳述書作成作業がスタートしたわけだが、「初めてのことで手間取った」と平井さん。そんな事情もあり、裁判を起こすことを決意したのが2014年3月ごろ、実際に福島地裁に提訴したのが2016年4月と、準備期間に2年ほどを要した。

 ただその分、それぞれの損害を明確にすることができた。当然、それに伴う損害賠償額も個々で異なり、1人当たり110万円から900万円と幅がある。

多岐にわたる損害内容

 具体的な損害は以下の通り。

 1、初期被曝したことによる精神的損害

 2、放射線被曝を避けるための避難をするかどうかの決断を迫られたことによる精神的損害

 3、被告から適時に正確な情報が発信されず、適切な放射線被曝防止措置をとることができなかったことによる精神的損害

 4、放射線被曝を避けるための一時的避難に伴う精神的損害

 5、放射線被曝から身を守るため自主的避難をしたものの、自主的避難に伴う葛藤や精神・身体の不調、生活の苦労、家族の争いなどにより生じた精神的損害

 6、自主的避難により生じた家族の分断・別離による精神的損害

 7、放射線被曝を余儀なくされると分かっていても、中通りにとどまり仕事や生活をせざるを得なかったことによる精神的損害

 8、放射線被曝から原告ら本人や原告らの家族の身を守るための対策を講じたことで、心身ともに疲弊したことによる精神的損害

 9、仕事の中で、放射線被曝から守るべき人を守りきれなかったという後悔や職責を果たしきれなかったという無念さからくる精神的損害

 10、子どもの親、または孫の祖父母として、子どもや孫の将来の放射線被曝による健康被害や結婚・出産の問題、差別を心配することによる精神的損害

 11、特に、母性としての防御本能による被曝回避とその苦悩による精神的損害

 12、原発事故後、病気になったり原因不明の体調不良に悩まされて、放射線被曝が原因なのではないかと不安を抱くことによる精神的損害

 13、放射線被曝により将来健康被害が生じるかもしれないと不安を抱くことによる精神的損害

 14、被曝防止に伴う行動制限から家族が体調を崩し、家族の介護を強いられるようになったことによる精神的損害

 15、放射性物質の拡散により、中通りの清らかで豊かな自然を堪能する豊かな生活(食生活を除く)を奪われたことによる精神的損害

 16、放射性物質の拡散により、中通りの清らかで豊かな自然を堪能する豊かな食生活を奪われたことによる精神的損害

 17、放射性物質の拡散により、中通りの清らかで豊かな自然があったからこそできた趣味(家庭菜園・花壇を除く)を楽しめなくなったことによる精神的損害

 18、家庭菜園・花壇を楽しめなくなったことによる精神的損害

 19、放射線被曝から身を守るための対策をどうするかについて考え方の食い違いにより家族間に生じた精神的損害

 20、原発事故を起因とする家族の離婚・婚約破棄に伴う精神的損害

 21、放射線被曝に対する考え方の違いから生じた(家族以外の)周囲の人々とのすれ違いによる精神的損害

 22、被曝防止等のために、やりがいを持っていた仕事を失ったことによる精神的損害

 23、原告ら本人や周囲の人の避難等によって地域とのつながりが失われたことによる精神的損害

 24、原発事故を起因として親族・友人とのつながりが失われたことによる精神的損害

 25、放射性物質の分布や被曝量、避難指示の有無、損害賠償金格差などの差別を感じることにより生じた精神的損害

 26、「あいまいな喪失」(解決することも、決着を見ることも不可能な喪失体験)により生じた精神的損害

 27、家族と同様のペットが亡くなったり、病気になったりしたことが放射線被曝の影響によるものではないかと不安を抱えることによる精神的損害

 28、居住している建物が放射能汚染され、その建物の中で寝食を含む生活をしなければならないことによる精神的損害

 29、居住している建物や敷地の速やかな除染がなされず、高線量の放射線被曝を強いられたことによる精神的損害

 30、何ら非がないにもかかわらず、居住している建物や敷地の除染作業を自ら行うことを強いられたことによる精神的損害

 31、自宅の庭や敷地にそのまま置かれた、または、埋められた除染廃棄物を日常生活の中で見なければならないことによって生じる精神的損害

 32、除染後の自宅の庭や家庭菜園に対する喪失感による精神的損害

 33、現在も続く放射能汚染のため、離れて暮らす家族に里帰りを勧められないことによる精神的損害

 34、原発事故による放射能汚染のために福島で生きる誇りが傷つけられたことによる精神的損害

 こうして見ても分かるように、損害の内容は多岐にわたる。これも、原告に加わった52人それぞれが自分で陳述書を書いたからこそ、どのような苦痛を味わったかを明らかにすることができたのである。

 これは裁判ではなくADRの話だが、東電は同じような境遇の住民が申し立てた集団ADRを極端に嫌う傾向があった。ADRでは、同じような境遇の住民に共通する最低限の賠償が提示されても、「損害の範囲は個々で異なる」として一律賠償のADR和解案には応じない事例が相次いでいるのだ。

 裁判とADRは違うが、そうした点からも原告52人それぞれの損害を細かく洗い出したのは意味があったように感じられる。

弁護士から和解の提案

 訴状や意見陳述書などを見ると、ここで列挙した損害項目の具体例として、「独身女性の結婚・出産への不安」、「家庭菜園、山菜採り、きのこ狩りが趣味だったが、それができなくなった苦痛」、「子どもを県外に避難させることにしたが、その過程で夫や夫の親などとの意見の相違に伴う対立や、それを発端とした家族関係の悪化・離婚」、「他県で『福島県から来た』と言うと、忌避されるなど、福島県民であること、福島県で生きる誇りが傷つけられた」等々が浮かび上がる。

 実際の裁判では、原告に加わったほとんどの人が数回にわたって意見陳述を行ったという。そこで、前述した損害の具体的な内容や個別事情を訴えた。

 ただ、裁判の中での東電の主張は、「『政府は20㍉シーベルト以下は問題ないといっているのに、あなた方が勝手に不安を抱いているだけ』というようなもので、われわれの被害実態と向き合おうとしなかった。そこに対する怒りは皆持っていると思う」(平井さん)という。

 こうして、準備段階を含めると5年以上をかけて損害を訴えてきたわけだが、同裁判は7月17日に結審した。通常であればあとは判決を待つだけだが、同裁判では和解勧告の方向で話が進められているという。

 平井さんは次のように話す。

 「最終弁論の少し前、裁判が大詰めを迎えようという中で、野村先生から『ほかの原発賠償裁判の事例から考えると、判決後、東電は控訴すると思われます。皆さん、控訴審でも戦えますか? 裁判所に和解案を出してもらい、和解するという方法もありますがどうしますか』と提案されたのです」

 これまで、原発賠償裁判は全国各地で提起され、2017年3月の前橋地裁判決を皮切りに、今春までに10の裁判で判決が出されている。その内容は、金額の多寡はあるものの、いずれも東電の責任を認め、賠償を命じるものだった。ただ、関連報道等を見る限り、そのすべてが控訴審へと移っており、判決が確定したものはない。

 そこからすると、「中通りに生きる会」の裁判でも、控訴審に移る可能性が極めて高い。そんな中、代理人の弁護士から「和解という方法もある」との提案を受けたわけ。

和解決着の捉え方

 「裁判の準備段階を含めると、すでに5年以上が経ち、正直、体力的にも精神的にも限界に近づいていました。そんな中で、今度は控訴審で仙台市まで通わなければならなくなれば心身ともに持たないでしょう。おそらく、野村先生も私たちの疲弊を感じ取っていたのだと思います。だから、『和解』を提案してくれたのだと思います。正直、われわれとしてはありがたい提案でしたし、野村先生がおっしゃるには、『和解は決して後ろ向きなものではなく、ポジティブに捉えることができる』と。ですから、和解という方向で話を進めていくことにしたのです」(平井さん)

 もし、一定程度の賠償を認める判決が出され、それが確定したとしても、それは裁判所から東電に対する「命令」でしかない。つまりは、それで決着したとしても、「東電の非を認めたのは裁判所で、東電自身はどう思っているか分からない」、「東電は裁判所の命令に従っただけ」ということになりかねない。

 一方で、和解は東電が自身の非を認めたうえで、「賠償額について少し譲歩してください」というものと捉えることができる。そう考えるならば、確かに和解は決して後ろ向きなものではなく、「裁判で戦い、東電に非を認めさせた」「多少なりとも無念を晴らした」と胸を張って言えるのではないか。

 ともかく、こうして「中通りに生きる会」では和解を目指すことになった。7月17日に開かれた最終弁論では、原告代表の平井さんが「私たちには、やれるだけのことはやったという自負があります。ですから、『和解』の道を選んだのです。このことを裁判所、東電に理解していただきたい。裁判所には、私たちの思いを十分に汲んでいただき、恩情ある和解案を提示していただきたい」と意見陳述した。代理人の野村弁護士も和解を求める意見陳述を行い、弁論を終えた。

 今年中にも和解案が示される見通しとのことで、東電は非公開協議の中で「裁判所から和解案が出されれば真摯に検討する」と明かしたという。現在は、和解案が出されるのを待っている段階だ。

 最後に平井さんはこう話した。

 「当然、皆、裁判なんて初めての経験で、裁判のハードルの高さを感じました。ただ、誰かに頼るのではなく、自ら声を上げたことは胸を張っていいと思っていますし、意義があったと思います。そういう意味では、裁判を起こしてよかった。裁判所には私たちの思いを汲んだ和解案を示してもらいたいし、その和解案に対して東電には真摯に向き合い、誠実に対応してほしい」

 和解が成立すれば、全国初の事例になるというが、どのような和解案が示され、どんな決着をみるのか。


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