見出し画像

福島地裁は子の安全を願う親の気持ちと向き合ったのか(ジャーナリスト 牧内昇平)

(2021年4月号より)

「子ども脱被ばく裁判」判決

 子どもたちのことを大切にしてほしい。行政には子どもを放射線被ばくから守る責任がある――。福島の親子たちが原告になり、そう訴えた「子ども脱被ばく裁判」。福島地裁で6年半にわたって続いた裁判は、3月1日に判決が言い渡された。原告たちの主張を完全に退ける結果だった。「このままでは終われない」。原告団は控訴し、仙台高裁でも闘い続ける方針だ。


判決当日

 わずか数分の法廷だった。

 3月1日午後1時半、福島地裁二〇三号法廷。遠藤東路裁判長が着席し、判決の言い渡しが始まった。

 「主文。(中略)原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」

 原告席に座っていた人びとの顔が一気に曇る。だが、傍聴していた筆者はペンを走らせながら、「ここからも重要だ」と考えていた。注目度の高い裁判の場合、判決言い渡しは「主文」だけでなく、その判断に至った「理由」も説明することがしばしばだ。そして、この「子ども脱被ばく裁判」では「主文」と同じくらい「理由」が大切なのだ。

 原発事故後、福島の土地が放射性物質で汚された。「子どもたちを被ばくから守りたい」というのは、自然な親心だろう。その気持ちを司法がどのように受け止めるか。それをはっきり確かめることができるのは、判決の「主文」以上に「理由」である――。

 そう思って判決理由を語る裁判長の肉声を聞こうとした筆者は、思い切り「肩すかし」を食らった。

 裁判長は主文を読み上げると立ち上がり、判決の理由を少しも述べずに「閉廷」したのだ。判決言い渡しはわずか2、3分で終わってしまった。法廷内からは「もう終わりなのか」と戸惑いの声が上がった。

 裁判長は「大したことがない裁判だ」と軽んじているのか。それとも、原告たちの前で読み上げる自信のない判決なのか。筆者はそんなことを考えながら法廷を出た。

 原告団長の今野寿美雄氏が前を歩いている。ふだんは陽気で快活な今野氏が、下を向いてとぼとぼと歩いている。

 裁判所の敷地を出たところで、原告団は二つの旗をかかげた。外で待っていた仲間たちに結果を伝える。

 〈不当判決〉
 〈子どもの未来を閉ざす〉

 今野氏がマイクを握り、裁判所の建物に向かって叫んだ。

 「非常に、残念な結果です。裁判官、何を見ていたんだ! 子どもを守らない未来なんか、ありゃしないんだよ。ふざけんな!」

P)原告団旗出し

〈不当判決〉の旗を掲げる原告団

P)今野寿美雄原告団長

判決への憤りを語る今野寿美雄・原告団長

原告たちの声

 まずは原告たちの声を紹介したい。

 福島市内に住む40代、佐藤美香さんは、2人の息子を育てるシングルマザーだ。「ギランバレー症候群」という全身にしびれや痛みが走る難病を患ってもいる。それでも実母の支援を受けながら、働いて生計を立ててきた。原発事故後、佐藤さん自身は体のしびれの症状がいっそう深刻になり、杖をつかなければ歩けないようになった。息子たちは背中のあたりに帯状疱疹が出て、鼻血にも苦しんだ。

 放射線量は高い数値を示しているにもかかわらず、福島市内には避難指示が出なかった。県外への自主避難も試みたが、引っ越そうとしていた地域の住民たちから白い目で見られ、あきらめた。経済的な事情もあり、その後は健康への影響を心配しながらも、福島で暮らし続けている。

 自分や家族の健康悪化が、どこまで「被ばく」と関係があるかは分からない。だが、無関係とは思えない。

P)判決後(佐藤美香さん)

判決を受けて心境を述べる佐藤美香さん

 佐藤さんは話す。

 「行政は原発事故後、『ただちに健康への影響はない』と言いました。福島で甲状腺がんの子どもがたくさん見つかっていることにも『被ばくとの関連は認められない』と言っています。『大丈夫。安全』という情報ばかり。でも、現実にうちの子どもたちは体調不良になっています。子どもの寝顔を見ながら、悔しくて、情けなくて……。でも、子どもは宝です。守らなくちゃいけない。国や福島県にも『子どもを守れ』と言いたい。そのために私は原告団に加わりました」

 同じく福島市内に住む40代女性Aさんは、原発事故が起きた時、3人目の子どもの出産間近だった。地震で自宅が断水し、上の子ども2人は大人たちと、飲み水を求める給水の列に並んだ。3月15日は風呂を借りるため、伊達市の実家に向かった。

 おなかの中にいた赤ちゃんは、17日夕方に無事出産した。政府や福島県は「健康に影響はない」と言い続けていた。Aさんや家族もそれを信じ、被ばくの不安をそれほど感じていなかった。

 しかし、ゴールデンウイークの頃から雰囲気が変わってきた。年間20㍉シ ーベルトという学校再開の基準について、内閣官房参与の小佐古敏荘氏(当時)が「これを認めたら学者として終わり」と話し、職を辞した。被ばくの危険があるのではないか。Aさんは真剣に考えるようになった。

 「いま思えば、ちょうど実家に帰るために外出していた頃、原発から中通りへ、大量の放射性物質が流れてきましたよね。私はそれを知らず、子どもたちを外に出してしまったんです。いまでも後悔しています」

 Aさんは関東地方へ自主避難したが、仕事のために福島に残った夫からの要望や、経済的な事情もあり福島に戻ってきた。しかし、帰ってきてからも心配がないわけではない。当時のことを思い出すと、憤りの気持ちが募る。
 「SPEEDIの情報は市町村に伝えられず、安定ヨウ素剤は配られませんでした。誰もが混乱していましたから、当時の行政の人を強く責める気はありません。でも、そのせいで私たち市民は翻弄されました。いまになって一つひとつの判断を振り返れば、間違っていたものもあると思います。それに関しては『正しかった』と言い通すのではなく、『申し訳なかった』と謝ってほしいです」

 原告団に加わった親子たちは、行政の対応に怒っている。その怒りを社会に伝えることが、この「子ども脱被ばく裁判」の最大の目的の一つだと筆者は考える。

 東電や国に対し、「原発事故を起こした責任」を問う裁判は多い。だが、事故後の行政の対応を問題にしている裁判はそれほど多くない。中でも「『子ども』を被ばくさせない権利」を前面にかかげるのは、筆者が知る限りこの裁判のみだ。「私たちの社会は、子どもを守ることに全力を尽くすのか」。そのことを問おうとした画期的な裁判だと言える。

裁判・判決概要

 では、裁判のおおまかな形を見ていこう。提訴は2014年8月だった。一審判決が下された3月1日時点での原告は、合計160人の親子たち。被告は、国、福島県のほか、原告たちが住むいわき市、福島市、郡山市、田村市、川俣町の5市町が含まれている。

 原告が裁判で求めていることは大きく分けて二つある。筆者なりにかみ砕いて書くと以下のようになる。

 ①いま現在、放射線被ばくの心配をしなくていい安全な場所で学校教育を行ってほしい。(行政訴訟)

 ②3・11当時、子どもたちを無用に被ばくさせた行政の責任を問う。具体的には、原告たちが受けた精神的苦痛への賠償として、1人につき10万円を求める。(国家賠償請求訴訟)

 金額としては1人につき10万円しか求めていない点を見ても、この裁判が金銭に主眼を置いていないことが分かるだろう。本記事のはじめに、判決の「主文」よりも「理由」が大切だと書いたのはこのためだ。

 提訴から結審までの6年間、原告団・弁護団は、被ばくの健康リスクや行政の対応がまずかった点について、さまざまな角度から問題提起した。

 しかし、福島地裁判決はこうした原告側の主張をことごとく退けた。表1に「主な争点」と「原告側の主張」、「地裁の判断」をまとめたので見てほしい。

画像6

画像7

 判決を読んで筆者がまず考えたのは、「地裁は、子どもの命や健康を最優先に考えているのだろうか」ということだ。

 表1の①「学校における子どもの安全」を見てほしい。原告側は、いまの学校環境衛生基準が放射性物質についてカバーしていないことを指摘。ほかの有害物質と同じような計算方法で放射性物質に基準をつくるならば、許容できる被ばく線量は「年2・9㍃シ ーベルト」だと主張した。これは現実的には達成が難しい数字かもしれないが、子どもの健康を最優先に考えた場合の「あるべき姿」を投げかけたものだと、筆者は考えている。

 ところが地裁は、この原告側主張に対して「正しい」とも「正しくない」とも書いていない。言ってみればそれを聞き流して、放射線防護の基準を「年1~20㍉シ ーベルト」とする行政の対応を容認している。その主な根拠は、行政の基準がICRP(国際放射線防護委員会)の2007年勧告に則っていることだ。

 ここで、原告の主張に耳を傾けたい。ICRP2007年勧告は、少なくとも日本の法律の中に取り入れられていない。原子炉等規制法など日本の法律で、一般の人に許容されている被ばく線量は「年1㍉シ ーベルト」である。

 ICRP2007年勧告には次の文言が「勧告の目的」として入っている。

 〈被ばくに関連する可能性のある人の望ましい活動を過度に制限することなく、(中略)適切なレベルでの防護に貢献すること〉

 つまり、経済活動を過度に制限しない前提でつくられた基準、ということだ。この2007年勧告を金科玉条のごとく扱う地裁の判断は、果たして正しいのだろうか。

 原告側の井戸謙一弁護団長は、地裁判決に対して文書でこう指摘している。

 〈これら(ICRPなど)の組織が、原子力の積極的な利用を目的とする組織であり、被ばく防護基準も原子力の利用を妨げない限りで設けているにすぎないことは全く顧慮されておらず、したがって、それが人権尊重を基本原理とする日本国憲法下の価値体系に適合するのかという問題意識はかけらもありません〉

 原告側の主張も検討に値すると思うが、いかがだろうか。

 表1の②「セシウム含有不溶性微粒子」については、地裁はもう少し「予防原則」の考え方をとれなかっただろうか。

 「予防原則」とは、科学的に未解明な部分が残っていても、健康や環境に重大な影響を及ぼす可能性があることはしないでおく、という原則だ。水に溶けないセシウムのリスクが『完全に』解明されるのは、それによってたくさんの被害者が実際に出た時のことではないか。それまで待っていられない。予防原則の考え方を適用すべきではないだろうか。

「山下発言」への評価

 いわゆる「山下発言」への評価については、全く納得がいかない。

 おさらいになるが、山下俊一氏は2011年当時長崎大学の教授で、被ばく医療の専門家だ。チェルノブイリ原発事故の時に現地へ行った経験もある。福島の事故直後、県から頼まれて「放射線健康リスク管理アドバイザー」に就き、各地で講演を行った。その内容が物議を醸したことが、広く知れ渡っている。

山下俊一氏

山下俊一氏

 一連の「山下発言」について、地裁の評価をまとめたのが表2だ。

画像8

 地裁は個々の「山下発言」について、「問題があるとの指摘を受けてもやむを得ない」、「不適切であるとの批判もあり得る」などと書いている。しかし、ところどころでそう指摘しつつも、結論としては山下氏をかばうのだ。「積極的に誤解を与えようとする意図まではうかがわれない」と書いたり、「イメージ的に分かりやすく説明するためのいわば例えとして説明しているとの側面があることは否定しがたい」と書いたり。原告側の柳原敏夫弁護士は「まるで山下氏本人が書いたような判決だ」と怒りを隠さない。

 筆者の考えでは、「山下発言」は個々の発言が不適切だったかよりも、彼の言葉によって福島の人が実際に傷ついたかどうかを考えるべきだ。

 たとえば表2に挙げた発言以外にも、山下氏はこんなことを言っている。2011年3月21日、福島市内での講演である。

 「これから福島という名前は世界中に知れ渡ります。福島、福島、福島、何でも福島。これは凄いですよ。もう、広島・長崎は負けた。福島の名前の方が世界に冠たる響きを持ちます。ピンチはチャンス。最大のチャンスです。何もしないのに福島、有名になっちゃったぞ。これを使わん手はない。何に使う。復興です」

 科学的に正しいか正しくないかという次元を超えて、あまりにもひどい発言ではないか。この発言に尊厳を傷つけられた福島の人はいないだろうか。
 山下氏と言えば、この裁判の証人として呼ばれたとき、こんなやりとりをしている。

 ――証人は、福島県下、(中略)講演会の中で復興についてもお話しされていますね。

 「はい」

 ――復興についてお話しされた趣旨について教えていただけますか。

 「私たちがチェルノブイリに入ったのは事故後5年でした。同時に何が起こったかというと、ソ連が崩壊しました。私がここに来た時に最初に思ったのは、日本の中における原発事故に対し、どう対応するか。もちろん健康のリスクも重要ですけど、当然二次的な影響を及ぼす日本という国のあり方、あるいは今後の復興というのを強く思いました。そのため、常に復興を視野にして発言をしたという風に思います」

 ――県民の皆さんに対して何か伝えたいことはあったんでしょうか。

 「一番伝えたかったことは、覆水盆に返らず、転禍為福、災いをいかにして福に変えるかということで」

 まるで出来損ないの「政治家」のようなことを言う「医療の専門家」である。法廷でのこれらの証言は、原告たちの気持ちを踏みつけにするものではなかったか。

控訴

 要するに福島地裁判決は、被ばくを心配する原告たちの気持ちに正面から向き合わなかった。筆者はそう考えている。裁判の勝ち負けというよりも、少なくとも「判決理由」については、もう少し丁寧な書き方があったように思う。

 一方、敗訴に終わったからと言って、一審に収穫がなかったわけではない。代表的な成果の一つが、山下氏を証言台に立たせたことだ。

 「山下発言」を含め、当時の福島県の対応はおかしかったのではないか。「そのことを忘れていないぞ」という社会へのアピールには、なったことだろう。

 もう一度、原告たちの声を聞きたい。3月1日の判決後、福島市内で開かれた集会での言葉だ。

 「15歳になりました息子と、原告として参加しております。裁判所に来るまでは、『世の中こんなに不実不正なことが起こっても、正しいことが通ることもある』ということを、息子に伝えられるのかなと思っていたんですけども……。いま彼に伝えたいことは、先ほどちょうど、手元の紙に書いておりました。『正直すぎるとバカを見る世の中ということは決してあってはならない。お父さんはこれからもそうやって生きていく』。こういうことを伝えたいと思っております」

 「『仕方ない、という言葉では済まされない。真っ当な判決ではないんじゃないか』というのが息子の感想でした。私も本当に、悔しいとか悲しいとか怒りとかよりも、ポッカリ穴が開いちゃったような感じというのが、正直な気持ちです。ただ、自分たちの思いが正しいというのは、これからも続けて言葉に出していきたいと思います」

 3月15日、原告団・弁護団は裁判所に控訴状を提出した。100人を優に超える原告たちが残り、仙台高裁での控訴審に臨むという。

 控訴状を出しに行く直前、原告団長の今野氏は報道陣にこう語った。

 「世間は10年を『節目』と言いますが、この裁判はここからがスタートです」

 控訴審の行方に注目したい。


まきうち・しょうへい。39歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。

画像1


個人サイト「ウネリウネラ」


通販やってます↓


よろしければサポートお願いします!!