【福島県】【台風19号】終わらない台風被害
10月に福島県を襲った台風19号。その爪痕は想像以上に深く、1986(昭和61)年の「8・5水害」を上回る。台風が過ぎ去って1カ月以上経っても、行政は被害の全容を把握できていない。そんな状況に、被災者や企業は「対応が遅い」と苛立ちを募らせる。生活再建・事業再開の見通しが立たない背景には何があるのか、現場から聞こえてくる声を拾った。
浸水家屋の独自救済に消極的な県
国の顔色ばかりうかがう内堀知事
台風19号で甚大な被害に遭った福島県。このうち住宅被害は、県災害対策課が発表している即報(11月19日現在)によると全壊763棟、半壊4005棟、一部損壊2708棟、床上浸水9615棟、床下浸水1853棟となっている。
これら住宅の再建に当たり、国は被災者生活再建支援法に基づく支援金を支給している。支給額は被害状況によって異なるが(別表の通り)、最低でも100万円、最大で300万円が支給される。
しかし、浸水の「深さ」によっては期待していた金額に届かなかったり、場合によっては支給されない可能性もある。「震災がつなぐ全国ネットワーク」(NPO法人レスキューストックヤード内)が作成した「水害にあったときに」という手引きによると、河川の氾濫等で住宅が浸水した場合、浸水した個所の最も浅い部分が床上180㌢以上だと「全壊」、床上100㌢以上180㌢未満だと「大規模半壊」、床上100㌢未満だと「半壊」、床上30㌢未満だと「床上浸水」、床下浸水だと「一部損壊」という扱いになる。
つまり別表に照らし合わせると、床上100㌢に満たない半壊、床上浸水、一部損壊では支援金が支給されないのである。
こうなると極端な話、床上100㌢の浸水だったおかげで最大250万円が支給される人と、床上99㌢だったせいで1円も支給されない被災者が出る恐れがある。大規模半壊だった被災者の中には、もう少し深ければ全壊扱いとなり、支援金が増額された人もいたかもしれない。
浸水は、深ければ深いほど被害が深刻になるが、半面、床上30㌢だろうが100㌢だろうが180㌢だろうが、住宅に長期間住めなくなる点では同じだ。床をはがして土砂を取り除いたり、内壁の中にある断熱材を交換するなどの手間暇も浸水の深さとは何ら関係ない。
にもかかわらず「同じ浸水被害に遭った被災者」が、支援金を支給される人とされない人に区別されるのは理不尽としか言いようがない。
この間、被災者に聞いた話を総合すると、修繕費は概ね「1000万円前後」という見立てだった。保険の加入状況によって自己負担がどのくらいになるかは世帯ごとに変わってくるが、支援金が支給されるのとされないのとでは雲泥の差だ。
こうした支援金の〝格差〟は、大規模災害が頻発する近年、全国各地で問題視されてきた。全国知事会では今年7月、「被災者生活再建支援制度の拡充と安定を図るための提言」として、国に対し支給対象を半壊まで拡大することを要望している。しかし、財政負担の増大を懸念する国は支給対象拡大に消極的だ。
頼もしいのは、国の決断を待っていては被災者を救済できないと、県ごとに独自の支援策を打ち出す動きが見られることだ。
例えば、長野県は半壊に50万円、床上浸水に10万円の見舞金を市町村と折半で支給。岩手県は半壊に20万円、床上浸水に5万円、茨城県は半壊に25万円を支給する方針。いずれの県も、法律の不備でカバーされない被災者に少しでも寄り添おうとする姿勢が見て取れる。
官僚出身知事の限界
一方、非常に情けないのは福島県だ。内堀雅雄知事は11月5日の定例会見で、記者から「岩手県や長野県が独自の支援策を検討する中、福島県はどうするのか」という質問に、こんなやりとりを行っている。
× × × ×
知事 被災者生活再建支援制度については、これまでも全国知事会等を通して支給対象の拡大を国に要望しており、北海道東北地方知事会議においても緊急要望することを決定しています。こうした中、住宅の一部損壊については災害救助法施行令に基づく国基準の改正により、住宅の応急修理制度の支援対象が一部損壊まで拡大され、台風19号による被害にも同様に適用することが示されました。引き続き被災者の生活再建に向け、制度の速やかな運用を図るとともに、被災者からいただいた要望への対応を国に求めていきます。
記者 いまの話だと、国が制度を拡充したからそれを速やかに適用させるということだが、それでは足りないからと岩手県や長野県が独自の支援策を検討する中、福島県は国の制度で十分と考えているのか。
知事 県としては被害の実態把握を進めながら、全国知事会等を通して被災者生活再建支援法の支給対象の拡大を要望していきます。
記者 独自の制度は考えていないということか。
知事 いま申し上げた通りです。
× × × ×
内堀知事のコメントを聞いてつくづく思うのは、今回に限らず、国の権限を超越した県独自の施策は徹底して行おうとしない消極さだ。
例を挙げると、福島第一・第二原発の廃炉は強く求めても、他県の原発には一切言及しない。原発事故の被害に遭った自治体のトップだからこそ提言できることは山ほどあるはずなのに、国策で進められる原発に余計な口を挟もうとはしない。原発事故の自主避難者への支援も、山形県や新潟県の知事が継続を打診する中、知らんぷりを決め込んだ。帰還政策を推し進める国にとって、自主避難者は〝目の上のタンコブ〟なので、内堀知事もその存在を認める気はないのだろう。
「官僚出身知事の限界が見えた気がします」
と語るのは某ジャーナリストだ。
「総務省出身で、知事選に立候補する際には官邸と〝調整〟を行った内堀氏が、国の行うこと以上の取り組みをするはずがない。言い換えれば、これほど国に従順で、刃向かうことをしない知事はいないと思います。同じ官僚(経済産業省)出身の泉田裕彦新潟県知事(現衆院議員)が、本来なら福島県が行うべき原発事故の徹底検証に強い姿勢で臨んだのとは大違いです」(同)
あらためて県災害対策課に、台風19号の被災者に対し県独自の支援策を講じる用意があるか尋ねると、
「いまのところ検討していない」
とのことだった。困っている被災者が目の前にいるのに、国の機嫌を損ねたくないと、独自に数十万円を支給することさえ決断できないのだから、情けないトップである。
企業誘致の弱点が露呈した郡山市
中央工業団地で被害300億円超
台風被害が大きかった郡山市の中でも特に被害が深刻だったのが、郡山中央工業団地だ。JR郡山駅まで約3・8㌔と近く、国道49号などの幹線道路や東北自動車道、磐越自動車道へのアクセスも良好のため、約250社が立地している。
一方、阿武隈川とその支流である谷田川に挟まれ、市内でも標高が低いため、水害や道路冠水が発生しやすいという弱点がある。1986(昭和61)年に発生した8・5水害では1㍍強浸水し、約100社、320億円の被害が発生した。
今回の台風19号においても谷田川が決壊したのに加え、阿武隈川でも越水により氾濫し、周辺は1〜2㍍冠水。事務所や工場が泥で覆われ、高額な産業機械やコンピューター、工具、商品の在庫なども浸水した。
事前に金属製の防水ゲートを設置したパナソニック郡山工場のように、企業独自で水害対策を講じていたところもあったが、8・5水害を上回る水位上昇に対応できなかった。
団地内の企業で構成される郡山中央工業団地会によると、同18日現在、加盟事業所133事業所のうち、82事業所の被害額が合計308億3080万円に達したという。
同団地会の小川則雄会長(郡山自動車学校社長)は、「大手工場の産業機械はコンピューターなどが組み込まれ、数カ月から半年かけて特注で製造されるため、まだ正式な被害額が確定していないが、被害総額は数百億円規模になるのではないか」と述べる。これらは直接被害のみで、工場の生産量縮小や民間分譲地の浸水被害による逸失利益なども含めればさらに被害額は増えるだろう。
こうした中、市民や経済人の間では「そもそも同団地は企業誘致に適していなかったのではないか」、「市は適切に対策を講じていたのか」という疑念が生じている。
それらの声を反映しているのが『文藝春秋』12月号「洪水被災地ルポ 郡山の『人災』と福島の『奇跡』」という記事。同団地内の企業の被災状況と、最小限の浸水被害に食い止めた福島市を対照的に取り上げ、同団地の水害被害は「郡山市の稚拙な都市計画が招いた人災だ」と批判している。
ウェブサイト「文春オンライン」に掲載された関連記事「誘致された工場が軒並み浸水……郡山市『中央工業団地の大被害を招いた〝無策の33年間〟』」
では、かつて市が同団地に企業誘致する際、「過去50年間に特記すべき天災地変は皆無」とうたったパンフレットを作成し、8・5水害発生後に当時の青木久市長が進出企業から厳しく指摘を受けたことを紹介。にもかかわらず、その後も企業任せの防災で、恒久対策を講じたり事前に危険を広報したように見えない郡山市を厳しく批判した。
市にも同情すべきところはある。同市の阿武隈川を流れる地域の中でも、同団地周辺のみ地権者交渉が難航して堤防整備が進んでおらず、最近になってようやく一部の用地買収が始まったところだった。谷田川も県管理であり、市は水害対策を国や県に要望することしかできなかった。
また、市は洪水を見越して内水被害用の排水ポンプなども設置していた。だが、阿武隈川の水位が高く氾濫の可能性があるときは運転を停止する決まりとなっており、台風19号のときは実質的に機能しなかった。
「詐欺行為のようなもの」
とは言え、市が先頭に立って、進出企業に危険性を呼びかけ、補助事業などにより対策を講じさせたり、地元選出国会議員などを通して河川整備を強く要望しておけば、被害も最小限で抑えられたのではないか。
「もともと水害が発生しやすい工業団地なのに、大した対策も講じず、企業誘致をしてきたこと自体が詐欺行為のようなもの」(河川工事に詳しい関係者)といった声もあり、文春オンラインの「無策の33年間」という言葉は的を射ている気がする。
市は11月12日、同団地の企業などが市内の高台の工業団地(郡山西部第一、同第二工業団地)に移転する場合、土地の取得費の30%を補助し、固定資産税など5年間減免する制度を創設することを発表した。同市からの移転を防ぐ狙いがある。
中小企業庁は補助率が高いグループ補助金の公募の準備を進めており、県でも独自の融資制度などを設けている。支援の枠組みが固まりつつあり、同団地内でも現時点で企業の休業・廃業はないという。だが、実際には被害状況が確定して、現在地を売却できないうちは身動きが取れないというところも多いようだ。水害リスクや今後の対策費用を考えて、本社判断で休業・廃業する工場が続出する可能性も高い。
地球温暖化などの影響により雨量は増加傾向にあり、台風も大型化していると言われる。同団地会では雨水菅を拡大して処理能力を上げるほか、谷田川の河床を掘削して深くしたり遊水池を設けて氾濫が起きにくくなる環境作りを行政などに申し入れている。
同団地内には市の分譲地はもうないとのことだが、このまま何も対策を講じなければ、災害に弱いイメージが定着し、同市内への企業誘致にも影響を与えかねない。品川萬里市長はいま、大きな課題に直面していると言えよう。
「バス90台水没」に泣いた福島交通
求められる防災対策の徹底見直し
郡山市では台風直後の10月13日から15日にかけて路線バスが全面運休となった。福島交通郡山支社が近くを流れる逢瀬川の氾濫により浸水し、管理していたバス165台のうち92台が使えなくなったためだ。
同支社は国道4号と東部幹線を結ぶ県道57号郡山大越線沿いにあり、星総合病院、保土谷化学工業郡山工場と隣接している。同支社周辺はすり鉢地形で、県道とJR東北本線が交差するところが掘り下げられているので降雨時に水が溜まりやすい。
実は2011(平成23)年9月の台風の際にも80㌢まで水位が上がり、1階の事務所が水没。パソコンや電話機、書類、受電設備などが使えなくなり、バスの一部も浸水したため、2日間にわたり市内の路線バスのほぼ全便が運休となっていた。それを受けて同支社では事務所を2階に移し、受電設備も1㍍かさ上げするなどの対策を講じていた。
台風が来る直前の10月7日には、保土谷化学工業郡山工場や郡山市とバス車両の退避場所提供に関する協定を締結。水害時は同工場敷地内や市役所本庁舎駐車場 開成山公園、郡山カルチャーパークなどにバスを避難できる態勢を取っていた。
台風前日の10月11日から運行予定のないバスなど二十数台を同工場敷地内に移動させた。前回水害時は数時間かけて水位が上がった経験から、台風が迫る同12日は路線バス運行終了後から避難を始めた。だが、23時ごろから30分程度で浸水深が1㍍を超え、十数台しか移動できなかった。
やむなく同支社敷地内でも標高が高く前回水害時に水が来なかったエリアにバスを集めた。だが、最終的に2㍍前後の浸水深となり、それらのバスはすべて浸水してしまった。
車両自体はもちろん、運賃箱などの車載機も被害にあった。建物も天井1階まで浸水し、運転士控え室や食堂の備品が使えなくなったほか、受電施設も被害を受けた。軽油スタンドや軽油タンク、洗車機も浸水し、軽油タンク内に泥水が流入した。被害額はまだ確定していないとのことだが、相当な金額になると思われる。
早期復旧は困難と思われたが、同社の他拠点から車両を集めて運行を再開し、さらに他のバス会社から中古バスを購入したり、譲渡された車両を活用。水没した車両の修理も進め、11月25日現在、JR郡山駅を発車する便の約90%を運行再開している。高速バスも郡山支社管内はすべて運休していたが、福島郡山線を除きすべて復旧した。
水害被害に遭った車両は保険が適用になるが、県内のバス会社幹部によると車両の時価が基準となるため、必ずしも車両購入費全額が給付されるとは限らないようだ。路線バスの車両価格はピンキリだが一般的には2000〜3000万円と言われる。市町村にまたがり運行するバス路線の老朽車両を更新する際に活用できる国と県の補助金などもあるが、水害は対象外とみられることから、かなりの自己負担が発生するのは間違いない。
ちなみに一部で「今回は古いバスばかり水没したようだ。水害を機に保険で買い替える狙いがあったのではないか」というウワサも流れたが、同社は「水没したバスの中には新車や貸切バスもあった。そうしたウワサは誤りです」と反論した。
甘すぎた事前準備
台風の影響で最も大きな被害を受けた企業の1つと言えるが、市民や経済人の中には「事前に市と協定まで結んでいたのに再び水害に遭うとは考えが甘かったのではないか」と冷ややかに見る向きもある。
実際、同市内に拠点を置く貸切バス会社などは早い段階で川から離れた場所にバスを移動していた。
そういう意味では、同社は災害の見通しが甘かったと言えるし、災害時の企業の対策をまとめたBCP(事業継続計画)の練り直しが必要になろう。
同社担当者によると、現在の郡山支社は昭和40年代に設置されたそうだが、なぜわざわざ水害が起こりやすい場所に設置したのか、記録が残っていないという。水害が起こるたびに多くのバスが水没し、大規模運休が発生するようでは経営的にも大打撃だし、市民生活にも多大な影響を及ぼす。現地のかさ上げ・立体化工事などの方法も考えられるが、支社・操車場の移転を検討する方が現実的ではないか。
本誌6月号で、同社の営業損益が毎年数億円規模で赤字になっているにもかかわらず、公共交通機関に対する手厚い補助金が交付されているため、当期純利益では逆に数億円の黒字を達成していることを報じた。
親会社であるみちのりホールディングスの戦略のもと、着々と利益を上げ続けてきたわけだが、災害により思いがけず損失を出した格好だ。人口減で客数が減少している中、今後どのように態勢を立て直していくのか、その動向が注目される。
いわき市集団ノロ感染で発覚した不手際
「市長の姿が見えない」と憤る市民
台風19号の避難所となったいわき市の中央台公民館で、避難者20人がノロウイルスに感染した。10月25~29日にかけて嘔吐、発熱、下痢などの症状を訴える人が続出したため便の検査を行ったところ、陽性反応が出た。いわき市保健所が10月29日に発表した。
本誌にも「中央台公民館に避難している」と話す男性から、こんな電話が寄せられていた。
「原因は10月25日夜の炊き出しで出されたおにぎり、そば、コロッケだと思う。その日の夜中、2、3人が嘔吐して救急車で運ばれた。その後、医師が来て診察したが『疲れや食べ過ぎのせいだろう』と言うのです。納得できないので自分で病院に行き、中央台公民館に避難していることを告げずに診てもらったら、案の定胃腸炎と診断された」
男性が問題視するのは、事態を軽視した医師もさることながら、次々と症状を訴える人が出ていたのに、行政が隔離するなどの対策を講じなかったことだ。
「素人目にも集団感染は明らかなのに、具合の悪そうな人を全員と同じ場所にとどめていた。別室に移すなどの対策を行うべきではなかったのか」(同)
散々な清水市長の評価
中央台公民館の職員によると、集団感染が発症した時点では92人の避難者が身を寄せていたという。
「若い方は日中、仕事に行ったり(被災した)自宅の片付けをしたりしているので、ちょうどいまの時間帯(午前10時ごろ)にいるのは高齢者が中心です」(職員)
館内を見渡すと、全員マスクを着用していた。また、女性清掃員が消毒液のようなものを手にしてイスやテーブル、手すりなどを拭き掃除していた。
職員によると、とりわけ衛生面に関しては避難所の開設当初から気を配っていたという。
「一番配慮したのはトイレの衛生面で、清掃に当たっているのは病院等のトイレ清掃を専門に請け負う業者です。ただ、業者によるトイレ清掃はまだ始まったばかりで、そのタイミングで集団感染が起こったのは非常に残念だった」(同)
避難者が「同市の対策が不十分だ
ったから集団感染を引き起こしたのではないか」と不満を漏らしていることを伝えると、職員は次のように釈明した。
「市としては、医師の診断を仰がないうちは勝手な対策を行うことはできません。ただ、そうは言っても結果として20人もの集団感染が起きたことは反省しなければならないと思っています」
〝無事〟だった避難者に直接話を聞くと「詳しい説明もなく、いきなりマスクをしろ、手を消毒しろと言われて何なんだと思った」「入浴時に湯船で嘔吐した人もいて酷い状況だった。気分の優れない人はシャワーで済ますように事前に注意があったのに、マナーがなっていない」という証言にまじって「住宅被害は東日本大震災のときより大きいのに、清水(敏男)市長の姿が全然見えないのはどういうことか」「避難者が大勢出ているのに旅行(視察)に行っているというウワサもある」と清水市長への厳しい批判も耳にした。
被災地域が広範で、かつ避難者が多くなればなるほど行政の対応は遅れ、批判の矛先は行政、議員、そして首長へと向かう。まさか清水市長が「何もやっていない」とは思わないが、日々何をしているのか住民からは見えにくいこともあり、避難者の評価は散々だ。
簡単でない本宮「被災事業者」の再開
事業主を悩ますいくつもの心配事
本宮市は台風19号で大規模な浸水被害が発生した。市の発表によると、11月8日現在、住家・非住家を合わせ約1400棟で床上・床下浸水被害が確認されているほか、人的被害も発生している。中でも、人家が密集し、阿武隈川を背にしている駅前通りの市街地(本宮地区)の被害が大きい。
同地区の住民によると、「そこ(駅前の商店が並ぶ通り)を自衛隊のボートで救出される人もいた。そのくらい、まち(商店街)全体が水没した」という。
台風通過からしばらくした後、同地区を訪ねてみると、浸水したり、土砂が上がった住宅や店舗などの清掃に追われており、ボランティアやテレビカメラの取材班なども目についた。
同地区は、1986年の「8・5水害」など、過去にも水害に悩まされてきた地域だが、「今回はそれを上回る被害」(前出の住民)という。
そんな中、商工業者らは「事業再開できるか」、「今後の見通しが立たない」との思いを抱いている。
本宮市商工会によると、会員企業660事業所のうち、約180事業所が何らかの被害を受けたという。当然、商工会に加盟していない商工業者もおり、それを含めると被災した事業者はさらに増える。
商工会員に限っても、「正直、被害の全容はまだ見えない」(同商工会の経営指導員)という。
かくいう商工会自体も被災した。商工会館が浸水被害を受けたのだ。「データベースなどが入ったパソコンが使い物にならなくなり、困っている」(同)という。現在は、JR本宮駅前の地域交流センター「モコステーション」内に事務所を移転している。
商店主が明かす苦悩
駅前通りの商店街で話を聞くと、ある商店主は次のように話した。
「クルマや一部商品、設備関係が使い物にならなくなりました。それだけでも、被害額は1000万円程度に上ります」
もっとも、その商店はすでに再開しており、「近隣の親しい商店主らと話をすると、やはり皆さん、今後どうするか迷っている」という。
「私もそうですが、会社勤めだったら、そろそろ退職を考えるような年齢に差し掛かり、新たに借金をしてまで事業継続するのが現実的なのか、といった話になるわけです。ましてや、いまは社会的に後継者不足が問題になっていますが、それはこの地域でも例外ではありません。加えて、被災した住民の中には『もうここには住まない。別なところに新居を求める』とか『自宅再建を諦め、(遠方の)息子のところに行く』という人もいます。人が減り、商売環境が厳しくなる中、再開を躊躇するのは当然だと思います。何より、また同様の水害が起きるのではないかといった恐怖心もあります」
商店主の高齢化や後継者の問題、事業再開のための新たな借り入れの是非、同じ場所で再度商売・生活することへの恐怖心、地域からの人口流出――等々の問題があることがうかがえる。ほかの商店主に聞いても、「さまざまな面で環境が厳しくなるのは間違いない」とのことで、これは共通認識としてあるようだ。
ある関係者は「3・11(東日本大地震・原発事故)の時より先が見えない」という。
3・11当時を振り返ると、確かに「この先どうなるのか」といった大きな不安があったが、県内事業者の多くは大なり小なり原発賠償を受けられたこと、原発事故の避難指示区域から避難者が流入し、その受け入れ先では避難者の生活再建に伴う特需があったこと等々から、当初、想定されたよりは悲惨な状況にならなかった。
ただ、今回はそういった特需はない。そのため、3・11の時より厳しいといった認識のようだ。
そんな中、商工業者らが注目しているのが公的支援として、どんなものが出てくるか、だ。グループ補助金など、徐々に国・自治体の公的支援が見え始めているが、本誌が聞いた中では「中小企業でも使いやすく、なおかつ手続きが面倒でない形にしてほしい」といった声が聞かれた。
もっとも、どれだけ優遇された制度であっても、借金には変わりなく、被災した事業者らの悩みが消えることはないだろう。
復興途上の「あんぽ柿」に再度試練
一大産地の五十沢地区が浸水被害
福島県の冬の特産品である「あんぽ柿」は、県北地方が主産地だが、原発事故を受け、2年間は全面自粛を余儀なくされた。2013年からは県などの管理下で再開されたが、まだ全面解禁には至っていない。
あんぽ柿に限らず、原発事故後の県内では、乾燥加工する食品に関して、水分が失われる過程で、単位重量当たりの放射性物質が濃縮され、食品衛生法の基準値(1㌔当たり100ベクレル)を超えるケースが目立った。
そのため、県は、2011年からあんぽ柿・干し柿の試験加工を行い、放射性物質検査を実施して、市町村ごとに加工の可否を判断している。
この結果、主産地である福島市、伊達市、桑折町、国見町は、2011年、12年は全面的に加工自粛となった。
そんな中、生産者らは「何とか復活させたい」、「このまま自粛が続けば文化が途絶えてしまう」として、2013年に「福島県あんぽ柿産地振興協会」を立ち上げ、再開に向けて動き出した。こうした取り組みにより、2013年から条件付きで加工・出荷が可能となった。
具体的には、まず県が試験加工・検査を行い、それに基づき、加工の可否を判断する。それで言うと、前述した県北4市町は、この間ずっと県による「加工自粛」要請が続いている。ただし、あんぽ柿産地振興協会が「加工再開モデル地区」を設定し、同地区内のほ場で採取された原料柿のみ加工・出荷が認められた。その場合、出荷前に、全量非破壊検査を行うことなどが条件となる。分かりやすく言うと、指定された畑以外から原料柿を持ってきてはいけない、加工した商品はすべて検査を受けなければならない、ということだ。
つまり、あんぽ柿の主産地では、基本的には「加工自粛」とされているが、県や生産者団体などの管理の下で、条件付きで加工・出荷されているのが現状なのだ。
今年度の県による試験加工の結果は別表の通り。
それを見ると、原料柿の段階で放射性物質が検出されたのは24検体のうち5検体だが、いずれも基準値(100ベクレル)未満。最大値は52ベクレルだった。
一方、これを乾燥加工させると、数値が上がる。あんぽ柿は24検体中11検体で放射性物質が検出された。最大値は91ベクレルで、基準値超過はなかった。干し柿は24検体中12検体で放射性物質が検出され、2検体で基準値を超えた(130ベクレルと140ベクレル)。
こうした試験結果を受け、県は10月2日、以下のリリースを発表した。
× × × ×
試験加工品24検体を検査した結果、伊達市産の干し柿2検体から食品衛生法の基準値を超える放射性セシウムが検出されました。
(中略)あんぽ柿及び干し柿等の乾燥果実としての加工を差し控えるよう、本日、各市町村(※編集部注・福島市、伊達市、桑折町、国見町)及び生産者団体等に要請いたしました。
なお、下記の4市町では、福島県あんぽ柿産地振興協会が定める加工可能な区域・ほ場や製品の検査基準を満たした生産者に限り、あんぽ柿の出荷を可能としています。
× × × ×
ここにあるように、今年も加工自粛が継続され、あんぽ柿産地振興協会が定めたルールに基づく「条件付き加工・出荷」となったわけ。
もっとも、生産者からすると、2013年からこの方法(条件付き加工・出荷)を取っているため、ある意味では〝例年通り〟と言えよう。すなわち、指定された畑以外から原料柿を持ってきてはいけない、加工した後、検査を受けなければならない――といった基本ルールを守れば出荷可能になる。
8割まで回復したが……
県によると、あんぽ柿の出荷量は震災前(2008〜2010年の平均値)は約1542㌧だった。それが再開初年度の2013年は約200㌧にまで落ち込んだ。ただ、そこから少しずつ回復していき、昨年は約1300㌧と、原発事故前の8割超にまで戻った。「今年は1450㌧が目標」(県農林水産部園芸課)という。
こうして着々と復活ロードを歩んできたわけだが、今回の台風19号で、あんぽ柿の一大産地である伊達市梁川町五十沢地区をはじめ、産地は大きな被害を受けた。
国道349号を、伊達市梁川町の中心部から北方面に行くと、阿武隈川に架かる梁川大橋がある。それを越えると五十沢地区になり、川沿いには柿畑が広がっている。あんぽ柿の原料だ。
同地区の生産者によると、「(堤防沿いの)柿が水に浸かったり、柿の木ごと持っていかれたりで、数万個はダメだろう」と明かした。
そのほか、同地区では自宅や作業場(干し場など)への被害も大きかったらしく、「あんぽ柿生産が本格化する前に、何とか片付けて、いまは作業ができている」(前出の生産者)とのことだが、原料柿に被害が出ている以上、少なくとも相当量の生産減は必至と言えそう。
この点を踏まえ、県園芸課に「一大産地である梁川町五十沢地区では、そういった話が聞かれたが、目標(1450㌧)の見込みはどうなのか」と尋ねると、「正直、まだ見えない」とのことだった。
加えて、今回の台風で水に浸かった柿の木が、来年以降、例年同様に実がなるか、あんぽ柿の原料として使えるか、といった問題もあろう。
そう考えると、復興途上の「あんぽ柿」は、さらなる試練に見舞われていると言えよう。
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