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ヨガとリラックス

昨日はヨガと食について、思うことを綴りました。

YOGAとは、とらえどころのないものだなぁぁと改めて感じます。

言葉の理解を超えてしまうので、到底言葉は表現できない。

それは世界観であり、観方だからです。

自分の観方を、他の人に正確に伝えきることはできないですよね。

観方というのは心の形であり、反応の癖であり、人生そのものですから、、。

ですので、言葉で正しくヨガを理解することは難しいことなのです。

でも、こうして綴ること、読むことで、自分の心の観方がなんとなく客観視できてきますから、自分のためには正しいことなのかもしれません。

今日は、ヨガはリラックスなのか?について、簡単に。。。。

リラックスとは何か?

いつもこうして、先ず言葉の定義から知りたくなってしまうのも、私の癖。

何気なく使っている日常の言葉の定義を見直すと、新しい発見や、使い方の誤謬に気が付き楽しいのです。

方便ってどんな意味か知ってます? また、調べてみて下さい。

では、リラックスをウェキペディア先生より、、

リラックス(英語:relax)は、緊張の対義語で、体や心が張り詰めた状態にないことを意味するリラクゼーションの動詞である。relaxの起源は、ラテン語のrelaxareを語源とする中英語であり、re-laxare は「再び (re ) 緩める (laxare )」あるいは「緩んだ状態へ (laxare ) 戻す (re ) 」ことを意味する。

緊張の対義なのですね。緊張というのは、良く交感神経の覚醒状態といわれますね。その対義ですがから、副交感神経の覚醒状態ともいえるのでしょうか。

起源であるラテン語では、「緩んだ状態へ、戻す」という意味もありますね。『戻る』というのが一つの大切な要素のような気がしますね。

ストレスとリラックス

今、リラックスしていますか? 緊張していますか?

あるいは、これまでリラックスしたことがありますか?

人は起きているときには、覚醒していますので、ある程度の緊張状態であると言えます。そして、起きていると多少なり外側からの刺激(それは光であり温度であり、床との摩擦なども含む)に対して反応をしています。その刺激はストレスと言います。

ストレスには様々な種類のものがあります。ストレスの無い時間は寝ている時くらいじゃないかと思います。

では、ストレスがあると、リラックスできないのでしょうか?

ストレスという言葉で連想されるのが、『疲労』『体力減退』『無気力』『自己否定』『うつ』『パニック』など、心身の何かしらの疾患の要因であるという捉え方ではないでしょうか?

ストレスとは、自分を弱らせるものでもある反面、自分を育てるものでもあります。負荷はストレスです。鉄アレーを持って筋肉を鍛え育てるにも、鉄アレーという存在は筋肉にとってストレスです。重すぎると逆に怪我や痛みになっていきます。

ストレスに対する許容、あるいは耐性は、人により随分とことなるもの。

同じものを見ても、恐怖を感じる人と、笑顔で迎え入れる人と、まちまち。

ジェットコースターで笑っている人を、私はあまり理解できないので。。。。でも、ジェットコースターが悪いのではないですね、あの落差が悪いのではないですね、あのわざと軋ませるような音やそれを思いついた設計者が悪いわけではないのですね。。。私の許容あるいは耐性、つまりは心の反応が「笑えない」だけなのです。

しかし、そのジェットコースターを見ている私の感じている「緊張」状態は、いつしか緩みます。ごはんを食べたり、べつの乗り物(ゆっくりと進む船とか、メリーゴーランドとか)に乗ったりすると、解れます。

こうして、観察している対象が変化することで、心の緊張状態も変化していくのが「健康な心」と言えます。

しかし、いつまでたっても、その恐怖感が抜けない、あるいは不安感が抜けない場合、ストレスが自分の心身の不調の原因になっていきます。

ここで大切なことがわかります。

ストレスによって、「緊張する」ということに自体には良いも悪いもない。あるいは逆に、ストレスにより身体的な成長へつながることもある。これをかつては、ノルマをかけるなどと言ってましたね。しかし、ストレスによる緊張が必要以上に続いてしまうことや、過剰で急激な緊張は身体的、あるいは心理的な「傷」となってしまうこともある。

つまりは、「揺れ動き」が大切。「Re(戻る)」が必要なのです。

こころ(反応)は、揺れ動きながら、健全性を保つのですね。

波、ゆらぎを受け入れる

ヨガでは、心の揺れ動き、心の作用を滅する、心の制御を目的とするという一節を良く見ます。

しかし、心が揺れ動かず、作用せず、反応すべてをコントロールする状態を想像できるでしょうか?

賢人聖者の中で、そういった境地を体験した人もいるのかもしれませんが、私のような凡人は、そういった心の状態について

「あぁ、そういった状態もあるのだろうなぁ」という程度のとらえ方です。

それよりも、心というものの波立ちによって、どうすれば苦しまないで今を過ごすか、ということへの理解と学びへ向かうほうが生活には役立っています。

心とめるよりも

心の揺らぎを乗りこなす

心の揺れ動きという作用(性質)を理解した上で、固まらせない、凍らせない、沸騰させないという気持ちで、注意深く心を観察します。

リラクゼーションは、筋肉の状態、神経の状態、心拍の状態からもたらされ、その影響は心理的なものが大きく関与します。

心の状態が、身体的なリラクゼーションにもなり、緊張にもなります。

しかし、逆に、身体的な快感は、心理的な弛緩にも役には立ちます。

心身は相関します。

しかし、身体的なリラックスは、どうしても心の状態に影響するもので、やはり安心が一番のリラックスとなります。安心は心で感じるものです。頭の理解ではありません。理屈でもありません。

ヨガとリラックス

リラックスはとても大切です。しかし、リラックスし続けて生きることを目指す必要もないと思います。

リラックスして生きることと、緊張しないで生きるのとはまるで違うのです。

必要なことは、戻ること、揺らぐこと。

自分の揺れ動きを適度にコントロールすること。

苦手なことや嫌っていることへわざわざ首を突っ込むことはありませんが、覚悟を決めて、必要性を感じチャレンジすることは積極的に行えばよいことです。

強制的なストレス環境に属さねばならないときもあるでしょう。

その際にも、「ストレスが緩む時」「ストレスが変化する時」を感じてみましょう。ストレスそのものが一定ではないということを感じましょう。

それでもなお、ストレスによる過緊張からの出口が見えてこない時には、どうしましょう。

いつも悩むのです、安全な国である日本でリラックスを語るのと、

戦時下の国でリラックスを語るのと、

どちらが容易だろうかと。

そして、リラックスは単純なものではないなということも分かるのです。

極限のストレスのもと、やはりリラックスは困難です。

しかし、自分の体を守る働きには、緊張も弛緩も必要です。

心の揺れ動き、揺り戻しも頭で理解する概念かもしれません。

具体的な実践となると、容易ではありません。

その時に、手助けとなるのが「呼吸」だと思います。

心の揺れ動きも、呼吸の揺れ動きに影響します。

呼吸は常に揺れ動いています。

その呼吸のリズムに変化をつけてみるのです。

時には強く

時には激しく

時には長く

時には静かに

吸ったり

吐いたり

そして息をひそめてみたり。

そうして、呼吸を自在にコントロールする先に

心の揺れ動きや揺り戻しと、身体の様子の関係がつかめてくるかと思います。

リラックスは必要です

しかし、緊張は悪いものではありません

自分の体と心の状態に、適度な揺らぎを与えましょう。



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生活とヨガと夢(生活ヨガ研究所のブログ)
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